Wakao & Associates, Inc.
| HOME | SITEMAP | CONTACT US |    
NEWSProfileData LibraryPersonal Activityblank


Personal Activity
磁針 コラム
JACAL会
シーホースクラブ
JOVA
オーロラファンデーション

 年代別
 Generation distinction

日米・地域のWA

磁針 -コラム-

”磁針”は日刊紙”羅府新報”に掲載されるコラムです。

 記事題名表示本文一覧表示

スレッド表示

[35] サン・アントニオ  2011/03/22 15:10:26
掲載日:08/19/1997  E-Mail  Home
 ロスアンゼルスからフェニックスを経由して3時間半、空港の建物から外へ出るとムッとした熱気に包まれた。ここは、アラモの砦で有名なテキサス共和国独立の発祥地、サン・アントニオの町である。

 宿はダウンタウンの中心、リバーサイド・サンターの横のマリオット・ホテル、一歩外に出るとすぐ遊覧船の乗り場があり、カラフルな夏のバケーション客でいっぱいだ。30人程乗れる遊覧船が行き交う川に沿って両側に遊歩道が続き、大きな木々の枝が遊歩道を歩く人々に木陰を差し伸べる。川岸の足元には緑や赤の葉脈を走らせた、里芋に似た植物が茂り、大きな木々の間に赤社のサルスベリの可憐な花が人々の目を楽しませる。スパニッシュのパセオ・デ・リオ(川の散歩道)という名前もしゃれている。

 遊覧船の行き交う川岸にはレストランや生演奏の入ったパブが立ち並び、散歩の途中で食事や「ちょっと一杯」が楽しめる。一角に川を挟んで観客席とステージが作られているところがある。星空の下、スポットライトを浴びてスパニッシュギターに色鮮やかな衣装のメキシコの民族舞踊が繰り広げられる。

 しかし、見所はなんといっても「アラモの砦」だ。当時はテキサス、カリフォルニアなどはメキシコの領地だった。1821年メキシコが本国のスペインから独立した頃から、テキサスにはアメリカ人の入植者が増え、自治権を求めてメキシコへの反発が強まっていた。

 1836年、メキシコの独裁者、サンタ・アナに率いられた2400人のメキシコ軍は、アラモの砦にたてこもったドラビス大佐以下188人のテキサス群を包囲・攻撃。12日間に渡る砲撃戦の末、3月6日運命の13日目、圧倒的に数で優るメキシコ軍の総攻撃にアラモのテキサス群は勇戦むなしく一人残らず玉砕する。アラモ砦陥落の46日後、サム・ヒューストン率いる800人の義勇軍は「アラモを忘れるな」を合い言葉に1500人余りのメキシコ軍に激しい攻撃を加え、これを破滅した。

 このような歴史に基づくからだろうか、今でもテキサス人は独立心が強い。サン・アントニオの町も至る所に一つ星のテキサス共和国の旗が掲げられている。10年にわたる独立戦争の後、テキサスをはじめメキシコ領土の半分近くはアメリカに併合されたが、アラモの砦はテキサスのみならずアメリカ史の大きな1ページとなって人々の胸に残っている。
[削除] [編集]  


Copy Rights 2002 WAKAO & ASSOCIATES All rights reserved. wakao@wakao.com