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磁針 -コラム-

”磁針”は日刊紙”羅府新報”に掲載されるコラムです。

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[10] 母の日に思う  2011/03/22 14:48:03
掲載日:05/21/1996  E-Mail  Home
 アメリカで最も花屋が繁盛するのは母の日だそうだ。先週の日曜日は母の日、今年も沢山の花が世界の各地でお母さん達に届けられたことだろう。

 私の母は亡くなる8年前に癌に罹った。「高齢なので手術をして寿命が伸びる確率と、手術により体力が弱って寿命が縮む確率と半々だ」と医者に言われ、母は半々なら痛い思いをするより薬で養生しようと決意した。

 それからは日本へ帰るたびに出来るだけ時間を作って母の側に居るようにした。一緒に暮らさない私には、側にいても話すことには限りがあり、何を話せば良いかすぐに言葉に詰まってしまう。しかし母にとってはじっと側にいるだけで満足だったらしい。アメリカへ帰る時には必ず玄関の外まで見送って来て手を握り涙声になる。それがやり切れなくてわざと邪険に振る舞ったり、さっと後も振り返らず別れたりした。そんな時も背中には何時までも見送る母の熱い視線を感じていたし、手には皺立った母の手の温もりが何時までも残っていた。

 やがて母は病床に伏すようになり、危篤の知らせに日本へ駆けつけた。その時は一時的に持ち直し、私の希望的な慰め話をよそに死後の始末を細々と話した。むしろ自分のことより私の身を気遣ってばかりいた。話に疲れると横になったままじっと顔だけを見つめていた。

 結局母の死に目には間に合わなかった。弔問客で賑やかな間は気が紛れたが、葬儀場でいよいよ最後の別れという時になって悲しみがどっと溢れた。「こんなことならどうして1週間に1通の手紙くらい送ってやらなかったのだろう」と悔やまれた。

 母の存命中は、何かあるとその度に母のところに一族が集まった。正月には兄弟姉妹が一堂に集まったし、大勢の孫達と共にマイクロバスで民宿に泊まったりもした。母はみんなの顔を見てただ始終にこにこしていた。

 あれから間もなく4年、今でも私たちは人集めが好きだ。「人が大勢寄ると楽しいよ」というのが母からの最大の贈り物だったかも知れない。

 どんな時でも、人知れずいつも子供達の心配をしてくれている母親、病気の時はスープを作り、いつまでも枕許に座り続ける母親、母の日はこの有り難い母に感謝を捧げる日である。
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