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磁針 -コラム-

”磁針”は日刊紙”羅府新報”に掲載されるコラムです。

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[205] 最後のゼミ研修支援  2011/03/23 20:31:20
掲載日:03/03/2011  E-Mail  Home
 3月4日、横浜国大の学生10名がロサンゼルス研修に出発する。1997年以来支援してきたこの研修旅行も、応援できるのは今年限りか・・・。毎年大勢の人たちの協力を得てユニークなゼミ研修旅行が実現できた。海外研修というとさまざまな施設や企業を訪問し、日本とは異なる経営スタイルや施設運営を学ぶのが一般的だ。

 しかし短期間の研修旅行でしかも経験の浅い学生がどこまで理解できるのか? 

 さまざまな運営やシステムの相違の背景には国によって社会構造の違いがある。どのように違うかは知ることができてもどうして違うかまでは理解できない。個々の細かい知識よりも、世界にはさまざまな人種がいてそれらは異なる文化を持ち、習慣や考え方やり方が違うという現実を知ればよい。そして、どうして?と自ら考えることを始めてくれればこの研修は成功である。

 日本へ帰国すれば、年々企業駐在員は交替し友人達は次第に疎遠になる。だからこの研修を支援できるのも今年が最後か・・・。そんな思いで今回は今までのノウハウをすべて引き継いでもらうことに専念した。この研修はすべて学生の自主研修である。彼らは自分達がアルバイトをしたり節約したお金を貯めて参加する。チケットやホテルの手配も事前質問書もインターネットを活用して自ら用意する。訪問先には受入れ依頼書と共に自己紹介書を送る。出発までに何度もミーティングを重ね事前研修を行う。自主的に行うこれらの一つ一つが心構えを整え研修を豊かにする準備である。

 今までの先輩はこの研修により自己啓発し大きく成長した。就職時の面接ではほとんどの学生がロサンゼルス研修を語ったという。世界情勢が激しく動き日本の立ち位置が揺れる中、日本の生きる道は諸国・諸企業との連携である。異人種・異文化の人たちといかにコミュニケーションをとり共に協力してゆけるか、そしていかにリーダーシップを発揮できるか、それが次世代を担う若者に求められる。この研修がそのために役立つとすれば、無償で支援した人々の労は報われるであろう。彼らの旅立ちを、無事の帰国を心から願う。
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[204] 日本にもコミュニティ社会を  2011/03/23 20:29:06
掲載日:02/03/2011  E-Mail  Home
 政権交代で民主党が与党となって約1年半、財源確保がないままの福祉への傾斜はとうとう国の借金を1000兆円に迫る水準に押し上げた。財政均衡に見通しのない国債の格付けは更に引き下げられ、日本はまさに嵐に翻弄される小船のようだ。

 戦後、180度の価値観の転換で民主主義と共に国民の権利意識が高まった。やがて人々の権利主張は留まるところを知らず、反比例して規則にない義務感は抜け落ちていった。私が在米経験を通じて感じたのは、アメリカはコミュニティ社会だということ。人々にとって一番大切なのは我がコミュニティ。だからお金のある人は寄付をし、時間のある人はボランティアで汗を流す。政治も行政もこれらの資金やボランティアを取り込み運営の効率化と市民の共感を得る。

 日本でも古くは町内会や隣組などがあり、助け合いが日々の生活に組み込まれていた。それは義務というより人間として生きる精神的支柱だったように思う。核家族化が進み、人々は都会へ流れ、隣の人が誰なのか、何をしているのか、死んでいてもわからない、という有様になってきた。みんなが自分の権利のみを主張し、してもらうことのみ考える。政治家は票のためなら有権者の耳に心地よいことを最優先して福祉のバラまきをする。その結果が1000兆円に迫る借金である。

 これを解決する一手段として提案したいのが地域に限らないコミュニティ社会の形成である。興味を同じくする人、志を同じくする人たちが共通関心事を抱いて集まればお互いに心が通じ合う。仲間が苦境に立てば率先して助けたいと思うし、皆のためとあればお金も出し汗も流す。政治家や行政はこれを支援し育てるように仕向ければよい。行政をすべて政府や地方自治体が行いその責任を抱え込むのであれば、増え続ける国民や住民の要求に応えるために予算は歯止めが効かない。様々なコミュニティを育て、それを行政の支援に組み込み効率的でコストも安い運営は出来ないものか。そのような方向性を示し人々を纏めてゆくのが政治であり国の戦略だと思うのだが。
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[203] 初日の出と初詣  2011/03/23 20:26:02
掲載日:01/06/2011  E-Mail  Home
 東京の元日は素晴らしい快晴に恵まれた。大晦日に紅白歌合戦を観て遅く寝たにもかかわらず、30分前に起きて初日の出を待つ。マンションのベランダから見える東の空に赤みが差し、まだ眠っている街の稜線の上に一筋白く飛行機雲が伸びてゆく。まだ蒼みを残した空には鎌のような三日月。

 やがて稜線の一角が赤く濃くなり明るさが増してゆく。ついに一点が燃えるような赤に変わり、ぴかっと一条の光・・・。見る見るうちに姿を見せ始めた神々しいまでの太陽は、政治や経済の停滞が続く閉塞感を打ち破るように光り輝いている。その変化の一瞬一瞬を夢中でカメラに収める。全体を光り輝く珠と化した太陽は見る見るうちに眼下に見える街々を明るく紅に染めてゆく。西に見える富士山が赤く染まって雄姿を見せる。ああ、2011年の初日の出だ!思わず手を合わせ頭を垂れた。

 太陽には特別な思いを持っている日本で見る初日の出は格別だ。万物をあまねく照らし、すべてを清めてくれる。日いずる国の民はひたすら太陽に感謝を捧げてきた。普段の無信心者も他教の信者もお正月には神社にお参りする。お雑煮を祝い、お屠蘇をいただいたあとは近所の神社に初詣。普段はあまり人影のない八幡様に長い石段の下まで行列ができている。みんな晴れやかで笑顔が溢れている。手水で口をすすぎ手を清め、社殿で拍手を打って深々と礼拝。何の願い事よりもまずは一年間の無事を感謝するのみ。少し離れた別の神社では更に長い参拝客の列が続いていた。

 お正月、お節句、お盆と様々な行事には日常の生活に区切りをつけ、反省をしたり決意を新たにする効用がある。現在のようにすべてが手詰まりの閉塞感に満ちた日本では、だからこそ変化を願うみんなの気持ちが出るのだろうか、例年になく初詣の参詣客が多かったように思える。その願いを込めた2011年、良い年であれと祈るのみ。
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[202] 新年に日本新生の兆しを願う  2011/03/22 21:19:31
掲載日:12/09/2010  E-Mail  Home
 昨年8月の総選挙で政権交代が実現し、2大政党制への移行と清新な政治への期待が高まった。しかし日米合意の普天間基地移転を覆した民主党・鳩山内閣は、パンドラの箱を開けたような混乱に陥り、自ら設けた解決期限を次々に破り、なんら解決策を見出すことも無く日米関係に重大な亀裂を生じさせてしまった。後を受けた菅内閣も小沢前幹事長の政治資金問題に踏み込めず、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で失態を演じ、北朝鮮の大延坪島の砲撃、ロシア大統領の北方領土視察、ウィキリークスの米国外交機密文書の暴露、と大きく枠組みを変えつつある国際社会のせめぎあいの中で、確固たる外交戦略とトップの明確なリーダーシップを示せず日本が漂っている。

 スーパーパワーを持った超大国の米国に陰りが見え、中国・韓国・台湾・インドなどのアジア諸国が台頭し、国際社会は戦国時代に突入した。この混戦を抜け出すために各国は、なりふり構わず自国の経済力と政治影響力を上げ領土拡張や世界の資源確保を最優先課題とする。国のトップ自らセールスマンとなり、自国の商品や技術の売り込みに奔走する。そこには節度も品格も二の次だ。まずは市場占有率の確保と支持国を広げようと国益最優先の戦略だ。

 残念ながら日本はこのような弱肉強食の国際社会の変化についてゆけない。政党は党利党略に終始しリーダーたる首相は明日の日本のビジョンが示せない。明るい経済指標が出てもそれを景気浮揚につなげる政治力が働かない。国民は将来に不安を抱き景気低迷から脱出できない。若者は職の不安におびえ内向き志向。このような日本に国際社会は失望し今までの信頼と期待は崩壊しつつある。

 明治維新、敗戦からの立ち直りと日本は国難に際して復活を果たした。復活には根本的な社会・政治システムの変革が必要だ。いま日本に必要なのは優秀な人材ではない。志と信念を持った人材である。「いでよ!平成の吉田松陰、坂本竜馬」。混乱と迷走の2010年が終わり2011年は新生日本が誕生する兆しが現れる年であって欲しいと心から願う。
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[201] 近隣の秋  2011/03/22 21:19:05
掲載日:10/13/2010  E-Mail  Home
 日本では記録的な猛暑が続き、9月も終わりになってようやく暑さが衰え10月の声を聞くとめっきりと秋らしくなった。猛暑の影響は人間だけでなく方々に見られるようだ。近くの公園では耳を聾するばかりのセミの声。その代わりあまりの暑さで水溜りの温度が上がり過ぎボウフラも湧きにくかったのか蚊が少なかったそうだ。海では秋刀魚が獲れないで高級魚扱い、いたるところに異常気象が発生している。

 さすがに10月に入ってようやく過ごし易くなりめっきりと秋めいてきた。コスモスの可憐な花が風に揺れ、真っ赤な彼岸花が眼に沁みる。金木犀の甘い香りがどこからともなく風に乗ってくる。この田園都市線の沿線は、比較的遅い開発だったからか緑が多い。近所には沢山の神社や小公園が散在する。地元の人たちが土地を寄付し大切に護り伝えているのだろう。ベランダから見ていると、お正月には獅子舞が門付けをして廻る姿が見られ、夏や秋には方々の神社ではお祭りが行われる。盛大に屋台が出て結構盛り上がるのでバカにできない。旧家が残っているせいか寄付をする人も多い。渋谷まで25分の距離ながらまるで田舎の風情が楽しめる。

 以前はタケノコや野菜を栽培し東京へ出荷していたようだが、最近の農家はブドウやイチジク、キウイなど換金性に優れた作物を作っている。ベランダから見下ろせる裏のキウイ畑は見事。7本の木が針金で張られた棚に大きく枝を伸ばしている。7本の木で7千個に近い収穫だから秋のこの時期に鈴なりになった様は壮観である。

 ここのおじさんは研究熱心の働き者。加えて教育熱心でしょっちゅう近隣の小学校から生徒を呼んでパネルも作って実地教育に励んでいる。キウイの収穫時期には200人もの子供達が手伝いにきて一日で収穫を終える。周りには次々と新しいマンションが建つが、まだまだ田舎の風情は楽しめる。都会と田舎が渾然一体となったこの地は誠に住み心地がよい。歩けば7分で天然温泉もあり、肌に快い秋風と共に季節の移ろいを楽しみ秋の味覚が味わえる。贅沢を言わなければここは天国である。
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[200] 愛媛県人会100周年式典  2011/03/22 21:18:35
掲載日:09/15/2010  E-Mail  Home
 8月初め、南加愛媛県人会の100周年。愛媛からは知事以下94名の訪問者が参加した。3年前から企画し、「わしらは小さい県人会じゃけえ100周年はやらんでもええ」と渋る声を奮い立たせ、やがて「ふるさとツアー」「四国遍路巡礼参拝団」を企画するようになった。前者は愛媛を知らない子供たちを参加させ、ふるさとを体験させることでアイデンティティを持たせ、後者は会員の宮田・元高野山米国別院総監が数年ごとに行っていた「四国遍路巡礼参拝団」をこの時期に合わせたもの。いずれも県庁や大学、新聞社など各地の要路を訪問し、親戚や友人とも交わって100周年への参加を呼びかける狙いがあった。2年前には自分も30数年ぶりの松山を訪れ、県知事、松山・愛媛両大学、商工会議所、愛媛新聞を歴訪し100周年への支援を依頼した。

 総勢330名を数える記念式典は、来場者で会場は立錐の余地もない。司会は日系二世の若手男女が英語と日本語を分け持ち、ユーモアたっぷりに進める。準備に若手を前面に起用することで彼らの友人たちの参加もあり、全般的に若者の姿が目に付く。県からも高校生の2グループが合わせて30人ばかり、いっそう若さの華やぎを盛り上げた。

 特筆すべきは婦人会員のコーラス。練習を重ねるうちに息が合い、気が合い、結束力へつながった。舞台ではコーラスに知事夫妻も加わって熱唱、県の高校生に県人会の子供たちも加わった合唱も続く。最後は会場が一体となって立ち上がり「ふるさと」を大合唱。まさに歌の力は驚くべし。

 来訪の商工会議所メンバーも南加日商と交流会、プラークや情報の交換で親睦を深めた。100周年の戦略を立て、準備や実行に英語組の若手を起用することで彼らに県人会への関心を持たせ、スムーズな若返りを図るのも今後の県人会運営への一方法である。多くの県人会が100周年を迎え、様々な方法を試行錯誤してきた。100周年が契機となり活性化した県人会も多い。このたびの愛媛県人会のケースもこのような流れに役立つようなら汗を流した会員は本望であろう。
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[199] 日本のお盆の意義  2011/03/22 21:18:02
掲載日:08/18/2010  E-Mail  Home
 今年のお盆は亡き姉の新盆、お寺に親戚一同が集まり新盆の法要を行った。一同が揃ってお墓にお参りし、墓周りを清掃して香華を手向け合掌する。そのあと打ち揃って本堂に向かいお坊さんの読経を聞きながら焼香をした。小学生の子供たちも神妙に大人に習って参列者とお坊さんにお辞儀をし焼香。その間、親族間の席順を学び焼香の所作を覚える。木々の茂った静かな山間のお寺に降るようなセミ時雨・・・ああ、日本のお盆だなあ!

 法要の前にお坊さんのお話があった。「お盆は我家にご先祖様を迎える日です。お盆の先祖霊お迎えの用意は12日または13日頃から行い、13日夜に迎え火を焚きます。お盆の間(13夜〜15日)は仏壇を閉じます。本尊に見られていると霊が帰ってきにくいのでお盆の間は仏壇を閉じ、庭などに精霊棚を設け供物を供えます。お坊さんはその供物棚にお経を唱えこれを棚経といいます。お墓参りは先祖がそれぞれの家に帰っているので16日に行うかそれに近い日に行うのが望ましい。16日には送り火を焚いてご先祖様をお送りします」。

 どうやら姉の新盆法要を14日にお寺で行ったのは作法に外れていたようだ。とはいえ地方地方や宗派によって様々にしきたりは違う。しかし、法要を機に親戚一同が寄り集まり、大勢の子供たちが打ち溶け合って絆を深めてゆく様子を目の前で見ていると、お盆に限らず様々な行事は、まさに人間同士を結びつけるために人々が長年掛けて作り上げた社会の仕組みだと感じられる。

 この子供たちは、幾つになっても親族が打ち揃って共にお盆を迎え、迎え火や送り火を焚いたり一緒に盆踊りを踊ったり夜店をひやかしたりした思い出は、一生思い出としてついて廻ることだろう。迷信といい、無駄といい、従来の親族同士のしきたりが薄れてゆく。その先には幼児を虐待し、高齢の親の行方や生死も知らないという社会に行き着く。お盆を機に私たちはもう一度先祖の残してくれた人間の智恵を噛み締めたい。
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[198] People to People Ambassador  2011/03/22 21:17:30
掲載日:07/21/2010  E-Mail  Home
<若き民間大使たち>

 「People to People Ambassadorプログラムで自分の甥と姪が日本に行くのだが、会ってやってくれないか?」ロスの中国商工会議所の友人からメールが届いた。

 7月16日、都庁32階職員食堂での昼食会に合流。サンディエゴとロサンゼルスの高校から様々な人種の男女学生が約40人。揃いの半そでシャツ・ユニホーム、アメリカの高校生は何でも吸収しようと元気いっぱい。ホームステイをはさみ、京都、広島、岐阜、箱根・富士山、東京と14日間の旅。きっと一生忘れられない旅となるだろう。食事のあとは皆に何か話してくれという。

 活き活きとした瞳が私を取り囲む。「皆さんがこの旅で出会った様々な経験は、皆さんの視野を広げ、自分の判断基準を強化します。帰ったら何度も何度もこの旅を思い返してください。そのうちに次第に自分の頭の中で整理され考えが熟成してこの旅のより深い意味が感得できるでしょう。」

 異文化に触れて交流を持ったことは国際人への第一歩。やがて社会へ出て仕事に取り組むときは、何人もの人達と力を合わせて初めて大きなよい仕事ができる。そのためにはよい人脈を築くためのコミュニケーション・スキルが必要なことを伝えた。まず相手に興味を持ち、言うことに耳を傾け理解しようと努めること。自分の考え方やしっかりした意見を持つことが大事で、相手のことをじっと聞くだけでは一方通行、相互の意思疎通がないとコミュニケーションとは言えない。お互いの考えを交換し合うことから新しい発見やアイディアが浮かび前進することができる。「皆さんは今回の旅で様々な体験をし多くの新しい友達を得ました。多くのものを見聞したがそれぞれが違った印象や考え方を持ちましたね。それをお友達と分け合ってください。そうするとこの旅の価値はもっともっと深く幅広いものとなるでしょう。」

 1956年、アイゼンハワー大統領の提唱で始まったこのプログラム。彼らはまさに若き民間大使としてその役目を果たし、これからも果たし続けるだろう。一人でも多くが日本を好きになって欲しい。
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[197] 南加愛媛県人会100周年記念  2011/03/22 21:16:51
掲載日:06/23/2010  E-Mail  Home
 8月初め、南加愛媛県人会の100周年。愛媛からは知事以下94名の訪問者が参加した。3年前から企画し、「わしらは小さい県人会じゃけえ100周年はやらんでもええ」と渋る声を奮い立たせ、やがて「ふるさとツアー」「四国遍路巡礼参拝団」を企画するようになった。前者は愛媛を知らない子供たちを参加させ、ふるさとを体験させることでアイデンティティを持たせ、後者は会員の宮田・元高野山米国別院総監が数年ごとに行っていた「四国遍路巡礼参拝団」をこの時期に合わせたもの。いずれも県庁や大学、新聞社など各地の要路を訪問し、親戚や友人とも交わって100周年への参加を呼びかける狙いがあった。2年前には自分も30数年ぶりの松山を訪れ、県知事、松山・愛媛両大学、商工会議所、愛媛新聞を歴訪し100周年への支援を依頼した。

 総勢330名を数える記念式典は、来場者で会場は立錐の余地もない。司会は日系二世の若手男女が英語と日本語を分け持ち、ユーモアたっぷりに進める。準備に若手を前面に起用することで彼らの友人たちの参加もあり、全般的に若者の姿が目に付く。県からも高校生の2グループが合わせて30人ばかり、いっそう若さの華やぎを盛り上げた。

 特筆すべきは婦人会員のコーラス。練習を重ねるうちに息が合い、気が合い、結束力へつながった。舞台ではコーラスに知事夫妻も加わって熱唱、県の高校生に県人会の子供たちも加わった合唱も続く。最後は会場が一体となって立ち上がり「ふるさと」を大合唱。まさに歌の力は驚くべし。

 来訪の商工会議所メンバーも南加日商と交流会、プラークや情報の交換で親睦を深めた。100周年の戦略を立て、準備や実行に英語組の若手を起用することで彼らに県人会への関心を持たせ、スムーズな若返りを図るのも今後の県人会運営への一方法である。多くの県人会が100周年を迎え、様々な方法を試行錯誤してきた。100周年が契機となり活性化した県人会も多い。このたびの愛媛県人会のケースもこのような流れに役立つようなら汗を流した会員は本望であろう。
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[196] 近づく参議院議員選挙  2011/03/22 21:16:21
掲載日:05/26/2010  E-Mail  Home
 迷走に迷走を重ねた沖縄基地の移転問題は結局振り出しに戻ったようだ。「最低でも県外」「5月末までの決着」と沖縄県民や国民に希望を持たせ最後に夢を砕いて喪失感を与えた鳩山首相の責任は重大である。

 政治家は将来のビジョンを描いて国民に国の行く道を示すのは必要であり、それこそが政治家の大きな使命でもある。しかしビジョンを描き夢を与えたら、それを実現する具体的な方策を示し実行してゆかねばならない。口先の理想だけでは国民に政治への不信感を植え付け政治参加への意欲を削いで国全体に大きな傷を負わせることになる。

 昨年8月、衆院選で政権交代が実現し一気に国民の政治への関心が高まった。そのうねりはかつてない高まりを見せ、新聞やテレビ・ラジオでこれだけ政治ニュースが国民の関心を引き付けたことはない。その期待感が政治と金、沖縄基地移転の迷走で崩れ去ったのである。しかし今までの自民党政権では起き得なかった根本的な構造改革が進んでいる。既存の企業や組織と政治が癒着していた紐帯が断たれ、様々な利権や無駄が国民の目の前に曝け出されたのである。仕分けによる無駄使い外郭団や天下りの実態、組織で動く集票と利権、これらにメスが入ったのは政権交代のメリットである。民主与党の評判は落ちたが対抗できるだけの政党はない。閣僚も経験不足からくるミスはあるが一生懸命と新鮮さはまだ残っている。迷走を重ねながらも賞味期限が切れない内に早くしっかりした政権運営をしてもらわないと国は保たない。

 参院選の投票日が日程に乗りはじめ7月11日と取り沙汰されている。多くの有権者が醒めてしまったが、やはり国民の意思を示すには絶好の選挙だ。世界14カ国18都市を結ぶ海外有権者ネットワークでは在外問題に関する各党へのアンケートを用意した。今回の選挙ではインターネット活用に追い風が吹いている。やがて念願のインターネット投票が実現すれば在外投票率も飛躍的に上がるに違いない。やがて海外からの視点が国政に反映される日が来るのだ。我らも希望を捨てずに投票に臨もう。
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[195] 50数年ぶりの中学同期会  2011/03/22 21:15:49
掲載日:04/28/2010  E-Mail  Home
 「俺を覚えている?何度か自宅にも遊びに行ったよ」「私を覚えている?あなたが学級委員長だったとき私は副だったのよ」。1年半前の帰郷でやっと消息がついた友人の肝いりで中学時代の同期会が実現した。なんと指折り数えれば50数年ぶりである。見ればみんな髪は白くなり薄くなり、自分の記憶も朦朧として何を言われてもぴんとこない。皆さんにとっては何とも張り合いのない相手だ。しかし、話を辿ってゆくうちに少しずつ記憶がよみがえり、そのときの情景までもが浮かんでくる。これが同期会のよいところか。

 自分は小学2年生の途中での転入生、朝鮮からの引揚家族で、父を失い幼い子供を大勢連れて実家に世話になる母子家庭、生来の引っ込み思案にこんな事情が重なり隅でひっそりと生きてきたような気がする。しかし同級生とは有難いもの、少し毛色の変わった仲間を記憶に留めてくれた。私の松山訪問を機に集まってくれた仲間たちは、これを機会に同期会を続けようという相談がまとまった。とすると隅っこにいた内気少年は少しみんなのお役に立ったような気になる。

 ついでに親戚への挨拶を思い立ったこのたびの旅には家内を伴った。松山を訪れるのは2回目だそうだ。母や兄弟姉妹が四国を出たのでなかなか訪れる機会がなかった。着いた夜、本家が音頭をとって皆を一堂に集めて歓迎してくれた。
 一人が元の住み家を案内してくれた。港も駅も町の様子も様変わり、記憶にある風景とつなげるのに苦労する。あの山は、この池は、あの畑は、この桟橋は・・・過ぎ去った昔が無性に懐かしい。誰もがこのような感情を持つのだろうか?

 帰りには大阪で関西加州会に出席し、40数年ぶりの鳥羽を訪れ、式年遷宮を目前にした伊勢神宮にお参りした。楽しませてくれた桜の季節が終わり、日々緑が濃くなってゆく。私の最も好きな若葉の季節、目に鮮やかな柿の葉のうす緑が陽光にきらめいて青空に映えるさまは言いようもない。心の底からエネルギーが湧いてくる。感傷を置き去ってまた新たな日々に向かう気持ちが湧いてきた。
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[194] 久しぶりのロスサンゼルス訪問  2011/03/22 21:15:16
掲載日:03/03/2010  E-Mail  Home
 帰国して約11ヶ月、日本の生活やリズムにもすっかり慣れた。久し振りのロサンゼルス訪問が実現し、日本の住人の感覚で日本とロサンゼルスの比較が改めてできるのでは、と勇んで成田を飛び立った。

 飛行機がようやく陸地に入り、ベンチュラー、マリブと見慣れた地形が目に入る。やがてロサンゼルスの町並み、パロスバーデス半島、カタリーナ島が見えると一気に懐かしさが込上げてくる。以前の日本出張から帰ってきたときとはまったく別の感情だ。これが日本の住民になった証(あかし)だろうか?

 空港は広くゆったりとはしているがガランとした感じ。迎えに来てくれた車でレンタカー屋さんにドロップしてもらい、10ヵ月半ぶりの運転、不思議に違和感はない。道はさすがに広い。慣れた道なのだが運転しながら周囲を見回し以前とは少し違った感覚に身を任す。ホテルにチェックインしたあと元の住居を訪ね隣人たちにご挨拶。「家は売るなよ、どうせお前は帰ってくるだろうから」といってくれた隣人たちの友情は変わらない。サラッとはしているが暖かい気持ちが伝わってくる。隣の女の子は1年の間にずっと大人びて見えた。

 2日目から目まぐるしい。銀行に行き、CPAに会い、個人的な用事を済ませると友人たちが様々に歓迎してくれる。ゴルフの仲間、ボランティア仲間、県人会の皆さんが集まってくれ、シャワーのように注がれる暖かい気持ちが有難い。嬉しかったのはアジア系商工会議所の皆さんとランチを共にできたこと。みんな忙しい中を都合をつけて会いに来てくれた。人種に関係なく気持ちが通じ合うのはさすがに国際都市・ロサンゼルスだからだろうか?

 日本の住人の感覚で日米比較をと張り切っていたのだが帰って1週間、まだまだ気持ちの整理がつかない。もう少し時間が経つとこの感覚が熟成されて輪郭が浮かび上がるのだろう。今は周りの暖かい気持ちに包まれて「やはりロサンゼルスは自分の第2のふるさとだ」との思いに身を任せたい。みなさん本当にありがとうございました。
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[193] 河津の桜見物  2011/03/22 21:14:45
掲載日:03/03/2010  E-Mail  Home
 誘いを受けて伊豆半島に「河津の桜」見物。2月下旬、各地ではまだ雪の便りがしきりである。車は東名高速から厚木街道へ、小田原を経て真鶴・熱海へと快調に進む。海がきれいだ。あちらこちらにいかだが浮かんだり、海沿いの街道にいろいろな構築物が増えたり、岩々に朝から大勢の釣り人が張り付いていたりする。30年ぶりの熱海には多少の変化はあるものの湯の町の雰囲気は変わらない。網代、伊東を過ぎたあたりからチラホラと街道沿いに桜を見かけるようになった。2月に桜?と半信半疑だったがやはり伊豆は黒潮に面し暖かいのだ。

 手前の稲取温泉は雛の吊るし飾りで有名。道をそれて海岸へ。横に博物館があり、広場では地元の太鼓と踊り。広場の横に足湯があり温まりながら踊りを鑑賞できる。いかにも地方の祭りといった風情。生活様式の変化で捨てられる運命の吊るし雛を活かしての町興し、天井から吊るされた雛の数々は見事。

 稲取を後にするともう河津町、予想外の人出で町の駐車場はどこも満杯。ぐるぐると廻った末に町外れの道路わきに駐車。ぞろぞろと人波にしたがって歩いてゆくと目の前に川が開け、川沿いに満開の桜・桜・桜・・・。桜並木に寄り添うように黄色の菜の花が続く。大勢の花見客が酔ったように桜花を見上げてそぞろ歩き、川原に降りた人たちは下から桜を眺める。道端には屋台が並び試食があり呼び込みの声が飛びかう。ああ、ここは日本だとついロサンゼルスの花見と比較してしまう。

 海岸沿いは混むからと帰路は天城越えと決めたのだが車が動かない。山中で交通混雑もないだろうに大型バスがすれ違いに苦労するからか、それとも山中も混むほど車で賑わっているのか?天城峠へかかると何と一面の残雪が木々の足元を覆っている。下界の桜が嘘のようだ。浄蓮の滝、湯ヶ島、修善寺、大仁、長岡と昔懐かしい温泉地を過ぎてやっとの思いで東名高速へ。なんと帰路は6時間近く、日本の観光は忍耐が必要だと身に沁みて感じた次第。でも久し振りの行楽、春を待ち桜に思いをかける日本人の気持ちを思い出した。
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[192] 閉塞感に包まれた日本  2011/03/22 21:13:57
掲載日:02/03/2010  E-Mail  Home
 日本全体が暗雲に包まれて日に日に重苦しくなってゆく。昨年の政権交代から、官僚制度の打破、事業仕分けによる予算の見直し、政治家の積極的な行政主導、箱物から人への予算と新政権は人々の期待を担って船出した。近年これほど政治ニュースがお茶の間を賑わしたことはない。選挙で政治が変えられるのだと国民が実感したのだ。

 ところが、議員立法の禁止、新人議員の登用差し控え、新人議員へのメディア発言禁止となり、首相の発言のぶれ、リーダーシップの欠如、連立内閣の不統一、閣僚の発言不一致などが重なり、首相や幹事長の政治資金スキャンダルが続いて国民の期待は急速にしぼんでいる。

 打ち続く不況と所得格差、氷河期を超える就職難で人々は将来の希望が見えない。毎年3万人を超える自殺者が相次ぐなか、いま一番求められるのは将来への希望である。日本はどういう国を目指しているのか、経済はどう回復するのか、社会や政治構造はどう変わるのか、若者やパートで働く人々の就職は、お年寄りの医療や生活は・・・なにも先が見えず不安な閉塞感のみが増してゆく。

 「民主党に怒っています!」と友人からのメール。人々はいかに怒ろうと嘆こうと代わりの頼りになる政党が見当たらない。「何とかならないのか?どうしてくれるのだ?」と国民のフラストレーションのみが高まってくる。

 プレッシャーが溜まるといつかは爆発する。本来は使命感に燃えて立候補した新人議員たち、やがて押さえつけられたエネルギーが爆発して大きくこの国を変えてくれるのだろうか。自民党が生まれ変わってリーダーシップを取れるのか、新しい政党が出るのだろうか。国民の感情は限界に近づきつつある。

この漂っている日本を一日も早く立ち直らせたい。人々は学んだ。自分たちの意志で政治が変えられることを。自分たちの思いを、声を代弁し実行してくれるのは誰だ?今の状況を社会のせいや政治のせいにしたくない。いま何が自分に出来るのか・・・今年の参院選はその一歩を踏み出すチャンスである。一日一日が政治家に働きかけ、自分の声を、思いを届けるチャンスである。
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[191] 28年ぶりの日本のお正月  2011/03/22 21:13:25
掲載日:01/06/2010  E-Mail  Home
 帰国して28年ぶりの日本でのお正月、裏日本では大雪のところもあったが東京は暮れから天気に恵まれ穏やかなお正月を味わった。暮れからはいくつも忘年会が続き、記憶力の減退した身にはとっくに昨年のことは忘れても良いのだが激動の一年とあって簡単には忘れ難い。

 元旦は珍しく満月、しかも部分月食のある日だった。大晦日で「紅白歌合戦」と「行く年来る年」を見終わって就寝した間もなく目覚ましで朝4時に起きる。ベランダから見る月はまさに満月、4時20分が月食のピーク、2割くらいかな。2日は芝の増上寺へ初詣、ついでにすぐ近くの東京タワーを40年ぶりに訪れた。親戚が集まり、年賀状が届き、お屠蘇におせち料理、近所の旧家には獅子舞が廻ってきて景気の良い太鼓を響かせる。近くの稲荷神社も結構なお参りの人出がある。ロサンゼルスのお正月も良かったが、やはり日本のお正月は風情がある。

 そんな新年を迎えた日本だが政治のニュースが花盛り。政治家の国民に対する責任は、安全を守ること、職を確保することだが、もう一つ希望を与えることがもっとも大きい。昨年は「政権交代」という変化をもたらし期待を持たせたが、普天間基地を巡って日米間に亀裂が入り安全保障面が揺らいでいる。就職は氷河期以上で生活の不安が広がっている。通勤途上で毎週続く電車事故、ああ、また今日も飛込みがあったのか・・・と暗澹たる思い。首相の腰が定まらず内閣に不信感が向けられ日本はどこへ進むのか希望が見えてこない。何とかこの苦境を乗り越えて先が見え希望を持てる年にしたいものだ。

 電車では若い人も中年の人も結構席を譲る姿に接する。若者は就職難に遭遇して真剣に将来を考え始めた。みんなが豊かで満ち足りたが心の隙間のある生活から、もう一度人生の目標や生活のあり方を考えようとする気配を感じる。今年はこの苦境を将来の基盤を築き直すきっかけにしたいと願うものである。
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[190] 2009年という年  2011/03/22 21:12:52
掲載日:12/03/2009  E-Mail  Home
 帰国後7ヶ月が過ぎ、日々体や心が日本に慣れてゆく。今年ももう師走。通勤途上や町では行き先々で銀杏や楓、どうだんつつじなどの見事な紅葉が見られる。特に至る所にある銀杏並木が美しい。

 今年は自分個人にとっても日本にとっても大変化の年だった。まだまだと思っていた帰国が急に決まり、ドタバタと荷造りも早々に帰国した。日本では予想以上の地すべり的大勝で民主党が政権をとった。それ以来「政治主導」「仕切りによる聖域のない予算見直し」「箱物行政から人への移行」「小泉改革路線の切替え」とめまぐるしい。従来の沢山のしがらみを抱えた自民党ではできなかった予算スリム化への切込みは画期的で必要なことだろう。しかし、すべてが試行錯誤の全力疾走、暫くは相当の混乱が予想される。

 一方、大不況の波は新政権の予算見直しでは追いつかず、予想以上の税収落ち込みは景気の持ち直しを阻む。更に急激な円高が経済にブレーキをかける。就職活動に必死になっている大学生も氷河期を上回る厳しさで追い詰められている。親にも経済的余裕のない状態で数百円の出費にも苦労する姿が痛々しい。せめてその苦しみを将来の糧にして欲しいと願うのみである。

 世界中が金融バブルに踊らされ所得格差が開いた社会は、いま重大な反省期を迎えている。「坂の上の雲」、「ゼロの焦点」「日本人の忘れ物」「不毛地帯」と日本の歴史を振り返るテレビや映画が多く出るのも過去をもう一度振り返ろうとしているのかも知れない。人間は何が必要でどこまでで我慢をしなければいけないのか?貧しくても希望のある日とは?このような反省の機運だろうか。

 12月に入って方々にクリスマスのイルミネーションが飾られ始めた。ロスサンゼルスのように家ごとに飾る場所も風習もないが、大規模にイルミネーションを飾る日本の名所は息を呑む美しさだ。せめてイルミネーションを眺めて一時の安らぎを得て来るべき新年に幸あることを願おう。
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[189] 海外日系人大会  2011/03/22 21:12:20
掲載日:11/18/2009  E-Mail  Home
 10月14日から3日間の海外日系人大会は、海外各地から300名以上の日系人が参加し、第50回の節目を迎えた。日本でもリーマンショック以来の世界同時不況のあおりを受け、南米を中心とする在日日系人の失業問題は深刻さを増している。今大会の総合テーマは「海外日系人社会と日本―海外日系人大会半世紀を振り返り共生と繁栄を求めてー」であった。

 2日目の代表者会議が実質的な討議の場。各テーマごとに予め届け出た発言者の発言内容に従って討議が進められてゆく。最後に討議内容をまとめた大会宣言を採択、やがて機関誌に記載され各地の日系人社会や各省庁・地方自治体に広く配布される。次に印象に残った討議内容をご紹介したい。
 
 1)深刻な在日日系人の雇用・生活・帰国問題に直面し、技能訓練、日本語教育、相談窓口などの様々な具体例が紹介され、国の支援策に頼るだけでなく自分たちで自覚・自衛策を講じ日本人の貯蓄・辛抱・努力などを見習おう。

 2)自分たちは何ができるか、そのために海外各地の日系社会同士、横の連絡と経験の共有化を進めよう。

 3)高齢化やコンピューター化した日系社会の変化に伴い、いかに若手のリーダーを育ててゆくか?政府の留学生・ボランティア受入れプログラムで招かれた日本国内居住の若手を中心の「ユースの会」が連携と活動で実績を上げており、その発表は将来に明るい希望を持たせた。

 4)日本語には言葉以外に固有の精神面(忍耐・努力・貯蓄、公の心、謙譲・献身など)が伴うことが紹介され、日本精神を重視した日本語教育は参加者に強い印象を与えた。
 
 大会宣言には「在外選挙権の拡大と充実」も盛られ、実りある大会となった。以前は苦労した日系人を祖国へ暖かく迎え交流と国際理解が主目的であったが、今回は若い世代にリーダーが育ちつつあり、日系人というアイデンティティを核に横の連携をとりつつ自分たちの問題解決と新たな日系社会の構築が始まっていることを感じた。強力な日系社会は祖国日本の心強い力となるだろう。
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[188] 新政権にかける期待  2011/03/22 21:11:44
掲載日:10/01/2009  E-Mail  Home
 日本では新政権が発足して半月、野党時代の勉強を活かして各大臣は矢継ぎ早に次々と思い切った施策を打ち出している。このスピード感はどうだ。掲げたマニフェストの実現に不安はあるものの「世の中が変わるかもしれない」という期待感が国民の間に広がっている。

 長い間、文化や経済力に比べて日本の政治の低さが国民に幻滅感を与え続けてきた。55年体制以来、政治が特定の業界や地域に便宜をはかることで票を確保して族議員と官僚の馴れ合いが利権を生み構造化した。多数の外郭団体や業界団体が生まれ、天下りや政治献金により都合の良い法律やルールが作られ、本来の目的に使われるべき予算の相当部分が消えてしまう。民主党マニフェストの実行には莫大な資金が要る。財源は埋蔵金でまかなうことに国民は半信半疑だったが、予算の執行構造を変えてゆけば可能かなとも思える。

 政治家の一番大切な使命は国民の安全と職を与えること。しかしそれにも増して大切なのは希望を与えることだ。人はどんなに苛酷な環境にあっても将来に希望があれば生きてゆける。年間の自殺者が3万人を超え、毎日100人近くもの人たちが命を断つ国は異常としか思えない。永年の政官馴れ合い構造とゆき過ぎた自由経済による所得格差が人々を苦しめ希望をなくし自殺に追い込んでいる。人々が新政権に期待するのは、そのような硬直した構造を断ち切り、予算が本来の目的のために末端までストレートに届く行政改革であろう。

 鳩山首相は初舞台の国連総会で90年比CO2削減25%を宣言し各国の喝采を浴びた。もはや米国でさえ一国だけで世界をリードすることはできない。経済はグローバル化しあらゆる産物は国境を越えて行き交う。アジアのプレゼンスが高まる中、日本は米欧との絆を保ちながらもアジア諸国との連携を深め主要なポジションを確保しなければならない。そのためには明確なビジョンと率先した国際貢献が欠かせない。

 幸いにも鳩山首相は良いスタートを切った。願わくば今の姿勢を堅持して内外政とも国民の期待に応えて欲しい。
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[187] 在外投票制度の改善運動  2011/03/22 21:11:17
掲載日:09/15/2009  E-Mail  Home
 8月30日に行われた衆議院総選挙結果は、惨敗し長年の与党の座から滑り落ちた自民・公明党、地滑り的大勝で念願の与党の座に着く民主党とくっきりと明暗を分けた。

 住居探しで住民届けが基準日より後になったため、今回の投票は私にとって最後の在外投票となった。投票所での係員の話では「海外からの投票用紙請求が普通のエアメールで送られたため間に合わなかったケースもあった」という。やはり現行の在外投票制度はいろいろと改善点がある。

 帰国後こうした在外投票制度の改善を目指し、「海外有権者ネットワーク・日本」を立上げ世界各地へ有権者ネットワークへの加盟を呼びかけた。現在の加盟は12カ国、これらの仲間と共に「在外投票を促進する議員連盟」と連携し改善運動を進める。推進するにはメディアの協力が欠かせないが、すでに朝日、読売、毎日の各紙がオフィスを訪れインタビュー記事を書いてくれた。

 在外投票はとにかく選挙人登録や投票に手間と日数・お金がかかり過ぎる。小選挙区も対象となったため全国の選挙区の候補者情報をどのように海外有権者に知らせるのか。当面の改善目標は、投票所の増設、総務省のホームページに各候補者の情報一元掲載、クーリエ(職員による公館投票の持ち帰り)廃止による投票期間の延長、出国時に住民票を抜く時の自動選挙人登録など、考えられる改善点は多々ある。

 今回の自・公の予想を超えた惨敗は小選挙区制の怖さを示している。比例区では2分の1に足りない民主党が小選挙区では480議席中308議席を獲得した。 Winner takes all の小選挙区制は政党間の選挙結果の優劣が拡大して表れる。

 この選挙結果で国民は初めて自分たちの力で政治を動かすことができることを実感した。自分たちの一票一票が政治を動かすということは選んだ自分たちにも責任が生じるということだ。今回の選挙結果は海外諸国も注目している。民主主義の原点に一歩近づいた衆院選、在外投票ももう少し使いやすいものにして海外からのグローバルな視点を国政に反映させるのが祖国にとっても重要だと思うのである。
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[186] 内政は衆議院、外交は参議院  2011/03/22 21:10:47
掲載日:08/05/2009  E-Mail  Home
 じっとしていても吹き出る汗、照りつける太陽、久し振りに聞くせみの声が終戦記念日を思い出させる。暑い夏と共に今年は8月末に衆議院議員選挙が行われる。自民党の短命政権が続き、麻生首相になってからも国民の支持率は上がらず、いよいよ政権交代かとの下馬評が高い。

 教育費の補助金や無償化など、各党の掲げるマニフェストは聞こえのよいものばかり。世界同時不況対策に巨額の資金を使い、更に選挙用に多額の社会保障費をばら撒く。そのツケはすべて次世代にかかってくるのだが国民も目の前の餅が食べたい。28年ぶりに帰国した自分が遭遇したのはこのような政治情勢だ。

 国のセーフティ・ネットは国力によってまちまち。人々は、人より良い生活をと競い合い、勝ち組、負け組みの格差は避けられない。競争に落ちこぼれた人たちにも最低限の生活は保障しようというのがセーフティ・ネット、社会保障制度である。限りある財源をどこに重点的に使うかが政党の知恵の絞りどころ、ところが選挙公約や街頭演説では口当たりのよいことばかりで大枠での議論が聞こえてこない。

 もっと大切なのは、これらの政策の中身が内政問題に偏って、国際政治における外交方針が示されないことだ。そうであればいっそのこと、内政問題は衆議院、外交問題は参議院で優先権を持って審議したらどうだろう。参議院議員の任期は6年、腰を据えて国際問題に取り組むには格好の任期で国民も焦点が絞り易い。

 ある政治家は、理想はわかっているのだが議員にとっては先ず選挙、落選すればただの人というが、現実はただの人以下で明日から食うにも事欠くようになる。金曜に選挙区へ帰り土曜・日曜と地元を廻わる。月曜は駅で辻立ちして上京し火曜から国会へ。正に「金帰火来」の生活だという。

 日本は基本的に貿易立国、しっかりした外交により国際世論を味方につけるのは正に国防の最重要課題である。然るにこのような状態でどうしてフィロソフィーを持った外交が展開できるだろうか。「内政は衆議院、外交は参議院」は正に真夏の夜の夢か。
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[185] 日本に新しい政治潮流  2011/03/22 21:00:16
掲載日:07/09/2009  E-Mail  Home
 午前2時45分、「若尾さん、吉田雄人、当選しました!横須賀の官僚支配についに終止符を打ちました!」と興奮を伴ったメールが着信、33歳6ヶ月、若き横須賀新市長の誕生である。「彼は全国で三番目に若い市長ですが、一番目と二番目が政党推薦をとりつけているのにくらべ、自民、民主、公明、更に小泉元首相を味方につけた現職を、36年間官僚支配が続いた横須賀で、完全無所属で打ち破ったという意味で、まったく質が違います!」「僕も事務所で当選を見守り、彼を胴上げしてきました。応援してくださった方に、ぜひお礼をお伝えください。」と新市長と大学時代から親友のK氏のメールである。

 いま日本で新しい政治の動きが胎動している。大阪で、名古屋で、千葉で、そして横須賀で・・・。権威を誇った自民党の支持を公然とはねのけ、政党を頼まず、自分の思いを直接市民に呼びかけて政治に取り組もうという地方政治家が出始めたのである。彼は最年少で市会議員になり、二期目には最多得票で当選、1200日以上も駅に立ち続けて市民に政治を訴えてきたという。打ち続く政党同士の低次元のあら捜しや非難合戦に嫌気が差した有権者は、ついに志ある若手の政治家に一票を託そうという気になったのだ。各地で革新候補が勝利し政権交代の波が押し寄せるが、受け皿の民主党は政権を任せるには今ひとつ頼りない。有権者の不満は高まり、無党派・市民重視の候補に期待がかかる。

 考えてみれば、これは日本にとって非常に大きな政治の転換期ではないだろうか?ようやく有権者の意識が、政党ではなく候補者そのものに向かい、どの候補者が何を考え何をしようとしているかに注目し始め、それに応える候補者が出始めたのである。

 この流れを促進するにはどうしたらよいか?信念を持って当選した政治家を市民が応援し、その実績をマスコミが報道する以外にない。この潮流が高まり、やがてうねりとなって全国に広がる時、ようやく日本にも民が主の民主政治が根付くのである。
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[184] アイデンティティとは  2011/03/22 20:59:48
掲載日:06/13/2009  E-Mail  Home
 日本へ帰国後1ヶ月が過ぎ、満員電車の通勤も板についてきた。しかし様々なところで日米の違いに戸惑っている。今までも年に1〜2回は日本を訪問していたのだが、旅行と住むのとでは大違い、見えるもの、感じることが違ってくる。

 先ずは住いをと、通勤の便利や土地勘のある方面に絞って場所を探し、価格帯と居住空間の広さを基準にインターネットで調べる。友人達も様々な情報をくれたが最後は自分の基準、探していろいろと見せてもらっているうちに自分の目標が見えてくる。銀行口座の開設、健康保険、厚生年金などの諸登録、運転免許証書き換え、携帯電話の申込み、どれをとっても住民票か運転免許証がいるという。住民登録がされないと自分の存在が証明できない。いってみれば江戸時代の無宿人、日本の住民と認められないのだ。

 空港へ甥に迎えに来てもらい、その後の買い物などにも常に車で連れて行ってくれた。以前住んでいた土地でもガラリと変わり、周りの建物や風景が違っているのでどこを走っているかわからない。人は無意識のうちに見慣れた建物や道路や山を見て自分の現在位置を認識していることがわかる。それがわからず自分の立ち位置が認識できないとどうも落ち着かない。そうか、これが「アイデンティティ」なのだ! いわゆる自分が何者でどこにいるのか、社会の中でどこに位置しているのか、それがわからないと妙に落ち着かない。多民族国際都市・ロスアンゼルスで人々がアイデンティティを求めるのはこういうことだったのだと納得した。

 犬を飼っても誰に従い、誰は無視しても良いのか、犬は群れで上下関係がしっかりと決まらないと落ち着かないという。人間も社会的動物、自分の立ち位置がはっきりして初めて落ち着く。日本の生活に慣れるということはこういうことでもあるのだろう。暫くは日米の相違に戸惑うが違いを感じる感性が失せない間に皆さんに気付いたことを報告してゆきたいと思う。
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[183] 在外投票制度実現運動  2011/03/22 20:59:20
掲載日:05/18/2009  E-Mail  Home
 もう一つの大きな思い出は「在外投票制度の実現運動」だ。憲法で保証されながら公職選挙法で海外在留邦人に閉ざされていた国会議員への投票を実現させようという運動である。
 
 1993年、細川内閣の成立により海外からも日本の本格的な政治改革への期待が高まった。ロサンゼルスでも運動が始まり、街頭署名による衆参両院議長への請願、国会議員へのアンケート調査、日本弁護士連合会への人権救済申し立てなど多くの活動を行った。違憲訴訟を提訴し、1998年に比例代表に限定した在外投票制度が成立。2005年9月の最高裁・大法廷の判決によりすべての国政に参加できる在外投票制度が確立した。「海外からの視点を国政に反映したい」というのが私達の運動の動機であった。そして強い信念を持って取り組めば思いは必ず実現する、ことを学んだ。

 国を離れると日本が客観的に見える。「自分は何者か」というアイデンティティを模索し、日本人であることを強く意識する。祖国が栄えればその恩恵は自分達の生活やビジネスにも及び、海外在留邦人や日系人は自分達の行動を通じてその地の人たちに「日本」のイメージを与え祖国の広告塔の役割を果たしている。近年、自由経済がゆき過ぎ世界的に貧富の差が拡大する中でアメリカ発の金融危機が世界に拡がった。貿易に頼る日本には、世界が平和で安定し経済が活発であることが望ましい。貿易を行うには相手国の理解と国際世論を味方につけることが不可欠である。現状で日本は国際社会に対してどのような貢献が出来るのだろう?あらゆる分野でグローバル化が進む現在、外から見た日本への視点は日本の政治に欠かせない。

 在外投票制度は確立されたが投票率の低さがその不備を示している。いかに使い易くするか、まだまだ現地からの働きかけが必要だ。帰国後も世界ネットワークの再構築という使命が待っている。総選挙も間近く総領事館も選挙人登録のキャンペーンを始めた。是非みなさんで海外からの声を選挙に反映していただきたい。
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[182] アジア系コミュニティとの連携  2011/03/22 20:59:00
掲載日:04/18/2009  E-Mail  Home
 もう一つ気付かされたのはアメリカ、特にカリフォルニアで増加し活動的なアジア系コミュニティである。全米では約4%のアジア系人口がロサンゼルスでは13%、その増え方と活発な動きは無視することが出来ないまでになっている。

 2006年、韓国商工会議所LAの提唱で始まったアジアン・フレンドシップ・ゴルフトーナメントは、最初のホスト国が韓国、翌年は日本、翌々年は中国と続き2009年度はタイである。次第に友好が深まり、昨年はAACA (Asian American Chamber Association)が結成された。今では加盟10ヶ国が様々なイベントを紹介したり招待しあったりビジネス・ミキサーを行ったりするようになった。アジア系がまとまることで上院議員から昼食会の申し入れがあったり、ロサンゼルス・カウンティの参議会から表彰を受けたり途端に外部の認識度が高まった。

 民主主義のアメリカでは、プレゼンスの高いコミュニティに良い公共サービスが提供される。だからプレゼンスを上げて自分達のコミュニティの声を政治家や行政スタッフに届け、予算や制度を最大限に活用するのが大切なのだ。アメリカの行政はFederal, State, Cityとそれぞれに扱う分野が決められており、その分野では絶対的な権限を持っている。そして行政は民意に沿うことになっているから自分達の要求をどのように伝えるかが大切なのである。

 その意味でAACAの結成は大きな価値がある。といってAACAは単に仲良しクラブだけではない。その中で如何にアイディアを出しリーダーシップを取ってゆくかで日系コミュニティのプレゼンスが上がり声を通すことが出来るのである。

 在米28年間の終わりにこのような様々な体験が出来たのは幸せであった。アメリカにも日本にも良い点もあれば悪い点もある。しかし自分が信念を持って動けば必ず物事は成就するという「アメリカン・ドリーム」は、アイディアと行動力で誰にでも開かれていると実感した。帰国に際しお付き合いいただいた多くの方々に心から御礼を申し上げたい。
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[181] コミュニティ社会のアメリカ  2011/03/22 20:58:24
掲載日:03/19/2009  E-Mail  Home
 期待に満ちてLAXに降り立ってから、いつの間にか28年が経ち、遂にアメリカを去る時が来た。LAの青い空、乾いた爽やかな空気、開放的な人々・・・この地を去るとなると何もかもが例えようもなく懐かしく愛しい。過ぎていく一刻一刻が宝石のように大切に感じられる。

 駐在員として5年の任期で赴任してきた時は、まさか28年間にもわたる滞米になるとは夢にも思わなかった。

 10年を夢中で働き、陽光に満ち溢れる外の空気も吸わずに朝早くから夜中まで働き、10年経って自分の人生は何だろうと疑問に思い始め、それまでの職を辞して独立した。これからは自らの意思で日米の架け橋になろうと・・・。
 
 以来18年、ビジネス・コンサルティングのかたわら勉強会、ゴルフ・トーナメント、経営セミナーと毎月の行事を催し、加えてインターナショナル・アートフェスティバル、サムライパレードなどの数々のイベントを企画・実行するうちに見えてきたのは、アメリカはコミュニティ社会ということだった。

 自分達のコミュニティは自分達で住み易い環境を作る。そのためにはお金を寄付し、集会に参加して発言し、ボランティアで汗を流す。自分達が選んだ国・州・市などの議員とは積極的に接触し、自分達の要望を伝える。公共サービスといえど声を上げないところには届かず、プレゼンスの高いコミュニティには良いサービスがもたらされる。まさに民が主人の「民主主義」がアメリカ政治の実態であった。

 権利だけの主張ではない、政治が悪いのも現状に不満なのもすべては自分達の所為、文句を言うだけでなく変える努力をするのが先決、だから「国が何をしてくれかではなく、自分が国に何ができるか」という言葉が人々に共感を持って迎えられる。

 駐在員であった10年間はこのようなことに気付かなかった。日々の仕事に集中し休日にはゴルフや魚釣り、仲間内のパーティなどを楽しんだ。独立して様々なコミュニティイベントに関わり、少しずつ日系社会に触れアメリカ社会の実態を感じ始めた。「コミュニティ社会・アメリカ」これが私の感じたアメリカ社会である。
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[180] 多民族都市・ロサンゼルス  2011/03/22 20:57:59
掲載日:02/18/2009  E-Mail  Home
 ロサンゼルスは200近くもの多民族が寄り集まって住むマルチ・エスニック・インターナショナル・シティである。言葉や文化が違えば日常の生活習慣やしきたり、ものの考え方まで違ってくる。そのような人々がどのように調和を保って共に暮らしてゆけるのか?ロサンゼルスは正に多民族共存の実験都市とも言える。

 町にはチャイナタウン、コリアタウン、タイタウンなど、それぞれの民族が集まって住む区域がある。先日、韓国の新聞社から取材の申し入れがあり、リトル東京の成り立ちと現状、どのように運営しているかを知りたいという。話の中で、コリアンタウンではバウンダリー(町の境界線)が問題になっているのだという。そういえば韓国のリーダーから、「署名を集めて市にコリアンタウンの境界を認めてもらう計画をどう思う」と聞かれた。即座に「多民族が共生するロサンゼルスで境界線を引くのは他のコミュニティが疎外感を持つだろうし、町の発展のためにもプラスにならないのでは」と答えた。

 リトル東京も近年、建物のオーナーは多人種が増えた。ジャパニーズ・ビレッジ・プラザのマネージャーに高層建築への立替え懸念を伝えると、「ここは日系人よりもアジア系、ヒスパニック、白人、黒人、様々な人たちが増えている。彼らは日本的なものに惹かれてくるのだが、来てみると町は清潔で安全、安心して遅くまで遊べる。だから我々は瓦屋根の建物を大事に保全し、インフラを整えセキュリティを保ち更に魅力ある町にしたい」という。現に10年前の閑散とした町から若者に溢れる町に変貌した事実がそれを証明している。

 リトル東京が他民族の町になってしまうと嘆く人もいるが、これが多民族都市ロサンゼルス。住民は少なくなってもリトル東京がいつまでも日本文化の発信地として多くの人を魅了し続けることが出来るか、が我々の課題ではないだろうか?他民族が一角に増えはじめ危機感を感じたのでは、という風説もあるが、コリアンタウンも境界を主張し囲い込むのではなく、多くの異民族の人たちも迎え入れながら共栄共存してゆくことを願いたい。
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[179] 大統領就任式  2011/03/22 20:57:25
掲載日:01/23/2009  E-Mail  Home
 1月20日火曜日、第44代アメリカ大統領の就任式。初めて誕生したアフリカ系のバラク・オバマ新大統領の就任式に参加し歴史の証人になろうと、200百万人を超える人たちがワシントンDCに集まった。彼が初のアフリカ系大統領だったからではない、彼がすべての国民に「希望」を与えたからに他ならない。10歳の黒人少年は数時間もかけて飛行機でやってきた。「自分が何かをしようと心に決めれば必ず成し遂げられる。肌の色など関係ない」と信念を与えてくれた大統領の就任式を見たかった。黒人開放運動家の夫を自宅前で暗殺された黒人女性は「夫は亡くなったのではない。今日の就任式で彼は人々の心に生きているのだと信じられた」とテレビのインタビューに答えた。

 人は各地で、各時代で、過酷な場に立たされ生きてゆく気力を失う。しかし「希望」さえあれば、人は生きてゆくことができる。オバマ新大統領は、100年に一度という世界的な大不況に直面する人々に、「彼なら何とかしてくれるに違いない」「アメリカは再生できる」「彼なら憎しみあっている世界各地の紛争を解決に導いてくれるのではないか」と希望を与えているからだ。アメリカ人だけではない、世界の人々が彼に希望を託している。

 一人の人間が、これほどまでに人々を勇気付け、希望を与え、再生に向けて心を一つにするきっかけを与えた。金をばら撒き甘言で国民に媚びるのではなく、大儀のために、信義に基き共に一致団結し不退転の決意で苦労を共にすることを呼びかけることで人々の共感を呼び起こした。アメリカはこの困難な時期に、最適の大統領を選んだ。1年半を超える大統領選びの長い旅は無駄にあるのではなかった。その恩恵は、アメリカ国民のみならず世界の国々が、人々が受けることになるだろう。

 日本もリーダーの些細な言葉尻をとらえたり、相手のミスをあげつらっていたずらに政治を混乱させる時ではない。考えや方法に違いがあれば徹底的に話し合い、よりよい方法を探さねばならない。自分や党派の利益を考えるよりも、目の前に突きつけられた未曾有の危機を、力を合わせて乗り越えることを考えねばならない。私達海外に住む日本人・日系人は、祖国日本が、確たる国家のフィロソフィーと信念を持って、どのように国際社会に臨み貢献するのかを明確に発信し、国民をそれに向かって一致団結させられるリーダーを待ち望んでいる。
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[178] お正月イン・リトル東京  2011/03/22 20:56:56
掲載日:12/18/2008  E-Mail  Home
 アメリカのサブプライムローンに端を発する金融破綻は深刻な連鎖反応を引き起こし、自動車、建設、小売業界へと影響が広がって各国政府は公的資金の注入による救済や深刻さを増す失業対策に追われている。100年に一度といわれる世界同時不況が進む中で迎える年の暮れ・・・そして新年。

 このような暗い世相を吹き飛ばそうと南加日系商工会議所では「お正月イン・リトル東京」の準備が着々と進められている。ウェラーコートとジャパニーズ・ビレッジ・プラザには特設ステージが設けられ、太鼓、獅子舞、お琴、書初めのほかに、武道、歌・踊りなどのバラエティショーが演じられ、京都グランド・ホテルやステージの周辺では、カルタ取り、折り紙、凧作り、着物などの日本文化の紹介、その周りには、餅つき、焼きそば、甘酒、今川焼きなどのフードブースが並びお祭り気分を盛り上げる。

 今回の新顔は、中国のアクロバットと韓国の太鼓・踊り。2008年のアジア商工会議所連盟の結成によって実現した協力事業の一環である。これにより中国や韓国、ほかのコミュニティの関心が得られ、より多くの人が集まればお正月イベントに限らず、広く日本文化の紹介や小東京の活性化につながるだろう。

 観客が1万人を超すお正月イベントを支えるのは各団体や企業の支援があってのこと。コミュニティで盛り上げることに意義がある。子供のときに触れた餅つきや凧作り、カルタ取りなどの日本文化体験は一生の思い出となって将来のアイデンティティ形成に役立つに違いない。子供のためにも是非ご家族でどうぞ! ローズパレードは午前8時から10時まで。お正月イベントは午前11時開始だから帰りに寄れば間に合う。ステージを観てお寺でおみくじを引き破魔矢やお守りを買って元旦はお正月気分を満喫しよう。お問合せは日商のオフィス (213) 626-3067 まで。ボランティアの募集も行っている。
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[177] アメリカの底力  2011/03/22 20:56:22
掲載日:11/20/2008  E-Mail  Home
 熾烈を極めた大統領選挙が終わり、バラク・オバマ候補が次期大統領に選ばれた。近所の前庭に立てられた看板は、マケイン支持の看板が選挙結果が判明した翌朝には即刻撤去され、オバマ支持の看板は1週間半も誇らしげに残っていたのは印象的だった。人々はまだその余韻に浸っている。

 今回の両候補の敗北演説、勝利演説は共に素晴らしくまさにアメリカの底力を示した。オバマの勝利演説は歴史に残る名演説だがマケインの敗北宣言も潔い。今回の大統領選を通じ強く感じたのは、アメリカの強さは「多様性の受容」にあるということである。その多様性をまとめるのが愛国心、いざという時には小異を捨ててアメリカの旗の下に結集する、ということである。リーダーを大切にするアメリカは右にも左にも大きく振り子が振れる。悪い方へ振れれば次には反対の方へ振り戻される。しかし行くところまで行くのでトータルとしては進歩の度合いは大きく早い。

 この二つの演説によって流れは変わり、党派・党略を超え感情を抑えて挙国一致で国難に当たろうという機運が生まれた。とはいえ立ちはだかる難問は容易ではない。泥沼に陥った二つの戦争、サブプライム・ローン破綻による世界的な金融危機、続出する企業の倒産と失業率の増加、極端な自由経済による所得の格差、勝ち組の法外な報酬と希望の持てないワーキング・プワーの増加、唯我独尊の外交が招いた国際世論からのアメリカの孤立・・・しかし人間のもっとも貴重な糧は「希望」である。それがマイノリティ出身の新大統領によってもたらされたのがアメリカの底力「多様性の受容」である。

 両候補がいかに説いても人間の感情は一夜にして変わるものではない。多くの人がまだまだわだかまりを持っている。しかしそれでも二人の呼びかけはより多くの人たちの共感を得た。世界がアメリカの立ち直りと変容を注目し、アメリカの「チェンジ」は世界にも「希望」をもたらした。日本も党利党略に明け暮れている時ではないだろう。
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[176] 目前に迫った大統領選  2011/03/22 20:55:44
掲載日:10/23/2008  E-Mail  Home
 散歩に出るとあちらにマケイン、こちらにオバマと家々の庭先に看板が目につく。お隣の庭にもオバマの看板。1年にもわたる長丁場の大統領選もあと残り10日、8年間続いたブッシュ政権のあとを担うのはマケインかオバマか?ここにきて大新聞やパウエル元国務長官もオバマ支持を表明し、各種の世論調査もオバマ優勢を伝えている。しかし選挙は最後までわからない。過去の経験から人種問題が絡むと、いわゆる「ブラッドリー効果」(世論調査ではマイノリティが優勢だが投票では別の結果となる)が働かないとも限らない。

 選挙戦を通じて感じたのは、大統領が選ばれるまでの長いプロセスは実に過酷だということ。生い立ちから過去の行動、言動暦まで相手陣営やメディアが徹底的に調べて暴き立てる。そのすさまじさは日本の閣僚任命時の「身体検査」の比ではない。しかもインタビューや演説、ディベートに至るまで、質問には瞬時に答えねばならず、一瞬の発言のミスで形勢ががらりと変わる。想定問答集を用意して・・・などと悠長なことは言っていられない。しっかりとした自分のビジョンとスタンスを確立し一瞬一瞬に判断して即答しなければならない。正に千尋の谷の上に張った綱を渡るような気持ちだろう。

 今回の大統領候補は異例づくめ、初の黒人系大統領か初の女性大統領か、最高齢の大統領か初の女性副大統領か、国民の興味は募った。しかし911から始まったテロとの戦いは多くの国々を巻き込んで泥沼の戦争にはまり込み、毎日多くの人命と膨大な戦費が失われてゆく。他国の言うことには耳を貸さず、京都議定書の批准も蹴り飛ばし、ひたすら唯我独尊のわが道を突っ走ったブッシュ政権。その間、国民は疲弊し所得格差は広がりワーキングプワーという新語が生まれた。働いても働いても楽にならない。国民が「変化」を求めるのも無理はない。

 新大統領には未曾有の経済危機を立て直すという大仕事が待っている。その大統領を選ぶのはあなたであり私である。アメリカのダイナミズムに期待し、新しい希望に満ちた世の再来を実現しよう。
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[175] 総選挙に在外投票を!  2011/03/22 20:55:12
掲載日:09/25/2008  E-Mail  Home
 2代続いた総理の突然の辞任を受け、5人の総裁候補が立った自民党の総裁選は、本命視された麻生太郎氏が圧勝をおさめた。麻生新総理大臣の誕生である。

 小泉政権は5年にわたり国民の高い支持を受け、「改革」を旗印に日本の政治のあり方に風穴を開けた。永田町の派閥間の話し合い政治から、メディアを通じわかりやすい言葉で直接国民に語りかけた小泉氏は、「劇場型政治」「政治をショー化した」といわれながらも引退後の今も圧倒的な人気を誇る。信念を貫き、直接国民に語りかけ、官僚を主導した小泉政治の人気の秘密は、「明るさ」「開放性」「わかりやすい言葉」であろう。これが多くの若者に政治への関心を持たせ、小泉チルドレンといわれた多くの新議員を誕生させ、従来の派閥や抵抗勢力を打ち砕く原動力となった。

 安倍、福田と人気の低迷した2代の総理大臣のあとを受けて、明るさと直接国民に話しかけられる政治家・麻生総理が誕生したのは当然の成り行きとも言える。

 新総理誕生とともに総選挙が日程に上ってきた。民主党では2大政党制の実現を悲願とする小澤代表が3選され、今度の選挙で政権交代に政治生命をかけるという。明るさの麻生、智謀の小澤の激突である。小泉以降官僚にも直接国民の監視の目が届くようになり後戻りのできない日本の政治体制。今度の衆議院議員総選挙は戦後の政治史に残る大きな意味のある選挙となるだろう。

 アメリカのサブプライムローン破綻の影響は、リーマン・ブラザース、メルリ・リンチなどの証券大手や世界最大の保険会社・AGIの危機を招き世界の金融危機を招こうとしている。アメリカ政府はついに大規模な公的資金の投入に踏み切り日本の金融機関も巨額の投資で金融再編に参加しようとしている。予断を許さないアメリカの大統領選挙、ロシアの動きなど、未曾有の激変が起こりつつある国際政治を迎えて、在外投票権を与えられた我々海外在住者は、今こそ海外で培った視点を活かし投票権を行使すべきである。
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[174] 北京オリンピックがもたらすもの  2011/03/22 20:54:31
掲載日:08/28/2008  E-Mail  Home
 北京オリンピックが終わった。国家の威信をかけて何年も前から準備しただけあって、開会式も閉会式も予想を上廻る規模と発想に満ちていた。2008人もの太鼓奏者や会場を埋め尽くすカンフーや踊り手たちが一糸乱れず整然と動くさまは正に絵巻。「全体主義の国でないとこれは出来ないねえ」などと外野席の声も聞こえてくる。彼らはどれだけの時間をかけて練習したのか考えただけでも気が遠くなるが、実際にはその何倍もの人たちが厳しい練習に耐えその中から選抜されたに違いない。人間だから当日体調が悪くなったり、病気になる人もいるだろう。使用する器具や装置も故障に備えて予備が要る。本番の競技と同じように秒以下での整然とした動きが要求されるマスゲーム・・だから人々の感動を呼ぶ。

 1984年ロスアンゼルス大会でオリンピックは商業ベースに乗り興行的な要素が強くなった。近年では国家行事として国の威信をかけて開催される。「民族の祭典」から「国家の祭典」になり国際政治が色濃く反映される。それもそのはず、オリンピック開催による影響は計り知れない。日本ではオリンピックを境に国全体が高度経済成長に向かい国際社会での地歩が固まった。韓国もオリンピックを機に一気に近代化が進んだ。13億の民を抱える中国ではこのあと何が起きるのか?

 55もの少数民族を抱える多民族国家、急速な近代化が進行中で地域格差・階層格差が顕在化し人々の不満が各地で噴出している中国。一党支配ではあるが、インターネットやテレビ・ラジオによる情報の拡散は民衆の権利意識を高めいやでも民主化を加速する。

 様々な問題はあるにせよ、オリンピックが国内外の中国人に与えた自信と誇りはこれからの経済発展、人々のマナーやビジネス・ルールの国際化を加速するだろう。中国が突出した国力を持つ中で周辺国との国際政治関係も大いに変わる。しかしアジアにこれだけの注目が集まりアジア人のパワーを示したことでヨーロッパやアメリカの人々の認識も変わるに違いない。その恩恵はアジア人全体に及ぶものでもある。北京オリンピックは様々な意味で歴史に大きな一ページを残したといえる。
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[173] 日米修好百周年記念の奨学金授与  2011/03/22 20:53:55
掲載日:07/31/2008  E-Mail  Home
 日米修好百周年記念奨学金基金(JATCSF)は1960年の設立。ペリーの黒船来航を受けて開国した日本がアメリカ合衆国と修好通商条約を結んだ百周年を記念し、南加日系商工会議所によって募金が行われ奨学基金が創設された。昨年までの累計では千五百五十四人に六十八万九千五百ドルの奨学金が贈られている。

 この基金は、条約締結のために使節団が初めて日本の船で太平洋を渡りワシントン・DCに赴いたことを記念して、太平洋の荒波を渡る咸臨丸の絵がロゴとなっている。当時の新聞では刀を差した使節団が裃姿でパレードする様子を描写し、東洋の貴公子たちという表現で讃えている。言葉が通じず異形の身でありながらこのような評価を受けたのは物珍しさもあったのだろうが、日本国を背負っているという使節達の使命感、矜持が見る人の胸を打ったに違いない。彼らは高い教養と武士の誇りに裏打ちされた貴族でありジェントルマンであった。不名誉なことを仕出かせば直ちに腹を切るという命を懸けた覚悟の振る舞いが見る人に思わず尊敬の念を抱かせたものと思われる。

 教育は単に知識を得るためのものではない。どのように豊富な知識を身につけようとそれをどのように活かすかは各人の志の高さである。7月26日に行われた奨学金の授与式では、寄贈者から一人一人に壇上で賞状と千ドルの奨学金が手渡された。選ばれた受賞者たちはいずれも優秀な若者。目を輝かせ、はにかみながら奨学金を受取る我が子を見守る親の誇らしげな眼差し。この奨学金は単にお金を授与するのではない。次代の日系社会を担う学生たちに、修好条約締結に訪れた使節団のように国を思う心、やがて社会の柱となるべき志の高さを持って欲しいと願う寄贈者の願いが込められている。

 JATCSFではブローショアを作成中。過去の受賞者からは現在活躍中の錚々たる人たちを輩出している。その人たちのエッセイを募集中だがその経験と志はきっと次代のロールモデルとなって若者たちを奮い立たせるに違いない。良き日系人であることは良きアメリカ市民につながる。多くの支援者の善意で続いているこの奨学基金が更に発展し、その使命と共に志の高い若者たちを日系社会に輩出してゆくことを願って止まない。
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[172] 三十数年ぶりの帰郷  2011/03/22 20:53:16
掲載日:07/03/2008  E-Mail  Home
 しんと静まりかえった明るい機内はゼイタクの極み、ベージュ色のシートと灰色のカーペット、ゆったりとした座席に一つおきに散らばった乗客は大半が目を閉じている。「午睡のフライト」、こんな言葉が頭に浮かぶほどの平和で静謐な機内であった。と、ふいに左の窓いっぱいに紺碧の海、白い海岸線、鮮やかな松の緑、尾根を走る白い道が現れた。瀬戸内海の島々。移り行く景色は例えようもなく美しい。ボーイング777は、やがて海岸に達し滑るように松山空港に着陸した。私にとって実に30数年ぶりの帰郷である。

 出迎えの車に乗って事務所につくと、愛媛銀行の会長でもある県の海外協会の会長が多忙のなか寸暇をさいて迎えてくれた。事務局長の行き届いたアレンジのおかげでひと時の休息のあと県庁に向かう。経済・労働部長、県知事に面会し、訪問の主目的である南加愛媛県人会・創立100周年記念事業への協力を要請する。お二人ともノーネクタイ。クールビズが地方行政機構にも行き渡っている。県庁を出ると地元最大紙・愛媛新聞社に向かう。社長室に通されるとどうも見たような気がする。次第に記憶が戻り、なんとなんと昔の同級生、やあ君かと一気に昔に戻り話が弾む。

 日本有数の平山城を抱える松山市。小高い山の上に建った松山城と周りを囲むお堀は、周囲に数多くのビルが立ち並んだとはいえ以前と変わらない。昔ながらの市内電車がいっそうその感を募らせる。城下町の有り難さである。

 翌朝、新聞で見たよとホテルへ旧友からの電話。予定があるがどうしても彼に会いたい。遅くなってしまった会食の帰りにタクシーから電話すると「午後5時から飲み屋で待っているんだ。直ぐ来い」と。会えば50年前の思い出が一気に蘇る。空白は一瞬にして吹っ飛び昔に返る。思わず時の立つのを忘れてしまった。

 記者会見をこなし、松山大学、愛媛大学、商工会議所などを訪問したが、どこに行っても同窓生がいる。来年の創立100周年の準備の一環「ふるさとツアー」にはなんとしてでも参加せざるを得ない。瀬戸内の魚を堪能し、道後温泉につかり、みんなの親切をシャワーのように浴びた。正に「友はよきかな」「ふるさとはありがたきかな」である。
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[171] (スキップ)  2011/03/22 20:52:43
掲載日:06/05/2008  E-Mail  Home
 
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[170] 海外研修で得るもの  2011/03/22 20:52:15
掲載日:05/08/2008  E-Mail  Home
 いま日本では、就職戦線は売り手市場、ひと頃の就職難が夢のようだ。企業はあの手この手で優秀な学生を取ろうと工夫を凝らしている。企業が求めるのは、自ら考え、企画し、行動できる人材である。以前のように新入社員を白紙の状態から自社の色に染め上げる余裕がなくなったのか、それとも変化の激しい世の中で、新しいアイディアで企画し、行動できる人材を確保することこそ会社の採用にとって不可欠と考えるようになったのか?

 今年も横浜国大のゼミ研修生を迎えた。6人全員が20歳。はじめの印象では意外と幼稚な並みの若者たちと感じた。ところが、研修初日に浴びた鋭い質問に彼らは俄然目覚めたのである。「各自一分で自分を語って」「どうして横浜国大を選んだの?」「現在、何を何のために勉強しているの?」「自分を語るのは難しいね。好きで自信のある趣味を自己紹介に入れたら?」「人前で自信をもって語れる話題を3つ身につけるといいよ」・・・

 その後、企業訪問の先々で彼らの放つ質問は鋭さを増していった。「御社がGMを追い抜く課題は何でしょう?」「御社のマーケティングで日米のメディア媒体はどのように異なりますか?そしてその理由は?」「多人種の職場で業務を遂行するための工夫は?」「開発に必要な情報はどのように得ますか?」・・・

 それらは彼らが真剣に自ら考え始めた証拠である。それは自分の反省にも向けられる。「今まで自分を真剣に見つめたことはなかった」「日本をもっと知らねば」「質問をうまく表現できない。心の底から英語の必要性を感じた」「自分を伝えるために人に負けない自信のあるものを身に付けたい」「この研修に親や友人、この地でこれだけ多くの人たちに世話になっていることを気付いた」「自分だけでなく社会に役立つ人間となりたい」・・・

 海外研修は短期間である。そこで得た知識はやがて薄れ記憶から消えてゆく。しかし、未知の世界に触れた感動は自己を磨く原動力となって彼らを逞しい社会人へと導くだろう。「人は強烈なインパクトを受けると驚く。驚きは感動となり、感動が続けば情熱となる。情熱は人に120%の力を発揮させる」とは私の親友の言葉である。多感な学生の海外研修はまさにこの言葉にすべてが集約されているように思う。
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[169] 祝LAPD副本部長就任  2011/03/22 20:51:41
掲載日:04/10/2008  E-Mail  Home
 4月7日、アジア人初のロスアンゼルス市警( LAPD)本部長補佐に任命されたテリー原氏の就任式がポリスアカデミーで行われた。これはLAPDにとっても歴史的な昇進である。

 現LAPD本部長のブラトン氏がニューヨーク市警(NYPD)からLAPD本部長に就任して間もなく、タウンホール・ミーティングに招かれた彼は次のようなスピーチを行った。「NYPDには5万人の警察職員がいてLAPDは1万人、数は5分の一です。しかし予算には限りがあるので、私は市民の皆さんの協力を得て犯罪の防止に努めたい」と。

 昨年秋に彼の任期が終了し、5年間で犯罪率は20%を超える減少を達成した。本部長の方針でLAPDは年に数回各コミュニティに市民との対話の場を設けている。本部長と共に常にアジア系コミュニティとの対話の場に同席し、窓口役を果たしているのがテリー原氏である。

 もう一つブラトン本部長の取った方針は、各コミュニティに母国語で話のできる警官を配置することである。ロスアンゼルス・カウンティの裁判所では必要に応じ手配される通訳は100言語を超える。街では200を越える言語が話され、多くの異なった文化的背景や思考・行動パターンをもった人々が、如何に調和を保って暮らしてゆけるかを日々模索している。これが多民族・多文化を抱えた国際都市・ロスアンゼルスで、ブラトン本部長の方針はこの認識に基づいている。

 普段は近寄り難い警官が母国語を話すことで親近感が湧く。LAPDの警官に母国語で各コミュニティと話しのできる警官を採用し配置したことが劇的な犯罪率低下に繋がっているともいえよう。10年前のアジア系警察官は60名、今は750名を越えるという。抜群の能力とリーダーシップを持っているテリー原氏のアジア人初の本部長補佐への昇進は、ブラトン本部長の基本方針にも沿っている。

 本部長がこの就任式で「LAPDにはいまや昇進の壁(グラスシーリング)は存在しない」と高らかに宣言したのはこのような背景がある。それに見事に応え着々と任務をこなし周囲の信頼を築いていった新本部長補佐・テリー原氏をアジア系市民は誇りに思い大勢が就任式に列席し祝福した。多民族国際都市・ロスアンゼルスの発展と共に更なる原氏の活躍と昇進を願おうではないか。
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[168] 真珠湾攻撃と原爆投下  2011/03/22 20:51:08
掲載日:10/18/2007  E-Mail  Home
 今年8月末に行われたロングビーチの Int’l City Theatreで原爆に被災した乙女がアメリカで治療を受ける実話を題材にした演劇「Calling Aphrodite」のOpening Showが行われた。上演に先立つレセプションで総領事の挨拶があったが、兒玉総領事は原爆を正面からとらえたスピーチを行った。主賓にはロングビーチ市の歴代の市長が何人か顔をそろえていたから原爆の話題を正面から語るのはかなり勇気のいることである。これを聞いた友人は、あのように勇気を持ってアメリカ人にわかり易く訴えかけてくれたことは涙が出るくらいうれしかったとその感激を述べた。

 現在、第二次大戦の戦争記録がテレビで放映されている。7回、14時間近くのシリーズで、ヨーロッパ戦線から太平洋戦争まで、行きつ戻りつ様々な人の回想話を交えての記録である。毎年12月の真珠湾攻撃記念日が近づくと日本人は何となく居心地が悪い。アメリカのテレビでは今までどれだけあの時の映像が繰り返し放映されてきたことか。アメリカ国民の脳裏にはしっかりと記憶されているに違いない。

 第二次世界大戦終了50周年を記念して、1995年にスミソニアン航空宇宙博物館で原爆展を企画したことがあった。国内の賛否両論が入り乱れて政治論争に発展し、結局は中止になりハーウィット博物館長は辞任した。目的は第二次世界大戦の総体を見直し、ホロコーストや原爆も含む戦争全体と冷戦に至る歴史的意義を考えるきっかけを提唱しようとしたのであるが、アメリカでは原爆投下により戦争が早く終結し結局はよかったとの意見が大勢を占めたのである。

 この論争の後アメリカ国内では様々な論議が活発に行われた。歴史を冷静に捉えることは難しくそれだけの時間の経過が必要とされるのだろう。ものごとは事実を知って比べてみて初めて認識される。従軍慰安婦問題や南京虐殺問題、真珠湾攻撃、原爆問題も含めて歴史から目をそらすことなくお互いに知った上で真の日米関係が築かれるだのと思う。
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[167] 南極の氷が溶けたら  2011/03/22 20:50:26
掲載日:02/10/2007  E-Mail  Home
 世界の各地で天候の異変が起きている。ロスでも冬が変に暖かかったり4月や5月に入っても雨が多く寒い日が続いたりする。原因は、森林の伐採、人口の急激な増加、エネルギーの使い過ぎ、大気汚染などが重なり合って地球の温暖化が進んでいるのだろう。各地にある氷河は年々後退が著しい。氷河の氷が溶けたらいったいどうなるのだろう?

 南極地域観測隊は、昨年ドームふじ基地で3028mのボーリングに成功し100万年前の氷床コアを持ち帰った。氷は南極に降り積もった雪が空気と共に圧縮されて閉じ込められている。これからの解析で100万年前からの気象が解析される。その結果人類の地球破壊がどのように進行したか示されるに違いない。

 9年前、南極観測船「しらせ」に乗った縁者のつてで寄港地シドニーを訪れた。そのときの資料によると、南極の氷の厚さは最大で4776m、大陸全体で平均2000m、量は約3千万立方kmもあるという。これがすべて溶けると海面が70mも上昇するのだそうだ。すると世界のほとんどの大都市は水没してしまうではないか。「しらせ」の気象観測室のレーダーには、南極大陸に近く小指の先ほどの白いものが写っていた。これは巨大流氷で東京都と同じ大きさ、「しらせ」が横を通過するのに半日かかったそうだ。何十万年もかかって流れ出してきた氷河が海へせり出し岸から離れたものだ。
 
 京都議定書でアメリカを除く先進国が大気汚染物質の削減に合意した。しかし中国をはじめ後進国の経済成長に伴い石油の消費は留まることを知らない。ガロン3ドルに迫ろうとするガソリン代はその警告か?人類は宇宙船・地球号を守ることができるのか?

 シドニーでお土産に貰った氷の水割りは、グラスに耳を近づけると「ピーン、ピーン」という神秘な音を立てて氷河に閉じ込められた2万年前の空気の存在を知らせてくれた。
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[166] 変化の年・2007年  2011/03/22 20:49:53
掲載日:12/09/2006  E-Mail  Home
 日本では、5年余り続いた小泉長期政権に代わって安倍新内閣が誕生し、アメリカでは中間選挙でイラク戦争の是非をめぐって共和党が大敗を喫した。これを受けて上院軍事委員会は全会一致で新国防長官に指名されたロバート・ゲーツ氏を承認した。ゲーツ氏は閣僚でありながらブッシュ大統領とはかなり意見を異にし、思い切ったイラク政策の見直しを表明している。2008年の大統領選もあり、これから本格的なイラク政策の転換が行われるに違いない。また、身近なところではリトル東京の周辺にコンドミニアムの建設が相次ぎ年明けには入居が始まる。日系人とは限らない住民が増えることで廻りの雰囲気はがらりと変わることだろう。

 このように、2007年は大きな変化の年となる。変化はある種の苦痛を伴うが一面ではチャンスの到来である。大きく変化を見つめその方向を掴み、素早く対応してゆけば変化はチャンスに転じる。漫然と変化に身を任せ、流れに漂えば楽ではあるがチャンスを掴むことはできない。イラク問題の後はアジア問題である。21世紀はアジアの時代といわれている。冷戦後ただ一国、世界の超大国として君臨してきたアメリカはイラク戦争で体力と威信を消耗した。アジアの台頭が一段と加速されるに違いない。

 その様なアジアで、日本はどのような位置を占めようとしているのか?ここロスアンゼルスでは韓国、中国、ベトナムなどアジアの各コミュニティが活発である。LAPDの市民・サミット・フォーラムなどの会合に出ると日系からの参加者は数えるほどしかいない。アニメ、寿司ブーム、ファッションなど日本の文化面ではアメリカに限らず世界中で注目され、日系コミュニティ内で行われる各種のイベントは盛んである。しかし、外部にも日系コミュニティのプレゼンスを示さなければその存在はますます薄れてゆく。

 変化の年・2007年を迎えるに当たり、読者のみなさまは大きく目を開き変化をチャンスに結び付けて欲しい。新年が皆さまにとってよき年となりますように!
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[165] 公共サービスは戦い取るもの  2011/03/22 20:49:21
掲載日:11/15/2006  E-Mail  Home
 今年10月、ビアライゴーサ・ロスアンゼルス市長は日本、韓国、中国の3カ国を訪問した。新聞報道によると、日本ではファミリーマートなどでロスアンゼルス観光の呼びかけキャンペーンを行ったのに対し、韓国では海外からの投資3億ドルをロスアンゼルスのコリアンタウンの新開発事業に充てると発表した。

 事業内容は、韓国総領事館、文化センター、貿易オフィス、韓国系アメリカン博物館などを含む、「韓国貿易センター」の開発をはじめ、低所得者用住宅、公共スペースや公園、ミッド・ウィルシャー地区のCGVマダン劇場、ほかに高級マンション建設にと壮大な計画だ。もちろん、これは市の予算から直接投資がされるわけではないが、日系コミュニティの歴史を辿ると、日米文化会館、日米劇場、日系博物館、低所得者住宅(カサ・ヘイワ)など、これらの諸施設は日系の先達達が血のにじむような努力をしてコミュニティあげての支援の下に達成したものである。

 民主主義のシステムにおいては、公共サービスといえど住民に均等に供されるわけではない。政治家の目は常に誰が、どのコミュニティが自分の政治的基盤に貢献するかを推しはかって行政をすすめる。このたびの市長海外訪問での対応の違いはロスアンゼルスにおける日・韓のコミュニティの力の差をまざまざと表している。

 人口(投票数)においては、圧倒的に日系のパワーは比率が下がっている。これを補うには、今まで築いてきた日系の人脈を通じ普段からコミュニティのプレゼンを上げるように努力をしてゆかねばならない。今回の3カ国訪問はその意味で日系のパワーをアピールする絶好のチャンスだったのだが、その成果はますます開きが出たようだ。日系からは市長訪問に際し、どのような努力がされたのだろうか?日本ではしかるべき要人との会見がセットできたのだろうか?日系社会と本国と、その人脈を持った人を大いに活用しこのようなチャンスを活かすべきである。

 待っていてはチャンスは活かせない。普段から日系のプレゼンスを上げ、こちらから働きかける努力が必要だと思う。
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[164] イラク戦争の解決策  2011/03/22 20:48:48
掲載日:10/14/2006  E-Mail  Home
 イラク戦争が益々泥沼化している。選挙を目前にイラク戦争を巡っての論争が活発だが、テロとの戦いは心の戦いである。物理的な制圧だけでは人々を統治できない。911に端を発し、対テロ戦争を宣言して以来、アメリカはどれほどの戦費・兵士の命を費やしてきたか。国内の治安は悪化し、セキュリティ保全にどれほどの経費を使い空港などでどれほど国民が不便な思いをしているか。世界で圧倒的なパワーを持つアメリカ軍がこれだけの犠牲を払いながら泥沼に陥っている。もしかしたら日本の台湾統治の歴史にその解決のヒントはないか。

 日清戦争の結果、日本は下関条約により台湾を清国から割譲された。当時の台湾は清国も統治が行き届いない「化外の地」、外から見ると緑溢れる美しい島だが、上陸すると、マラリヤ、コレラ、赤痢や風土病が蔓延し、首狩の風習を持つ蛮族が待ち構えていた。

 歴代の総督は頑強に抵抗を続ける蛮族の制圧と共に、島内のインフラ整備に力を注いだ。上下水道は本国の東京よりも早く完成されたし、全島に駐在所や学校を設置し、郵便制度を設け、農事試験場を設置して米や砂糖の品種改良に努め殖産を興した。港を築き、鉄道や道路を建設し、ダムを築き、水利を整え、本国から膨大な資金を何年も何年も投資した。この結果、ようやく治安は収まり、人々の識字率は飛躍的に向上し多くの優秀な人材が育っていった。日本人との差別はあったが今でも親日の台湾人が多いのはうなづける。これらの過程において、芝山巌事件、深堀大尉探検隊遭難など多くの情熱を持った日本人が犠牲になった。困難を克服した人々の原動力は「公」の精神であった。

 最近のニュースでは、イラクに建てた警察学校の建物が手抜き工事により配管からベッドに汚物が垂れてくるという。請け負ったアメリカの建設会社は、下請けのイラク業者のせいにする。膨大な予算をつぎ込んでも、金儲けが目的で、復興への情熱と「公」の精神のない仕事では人々の心は離れるばかりである。時間は掛かるが日本の台湾統治の歴史を見直してみるのも価値があるかもしれない。
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[163] テロとの戦いに出口はあるか  2011/03/22 20:48:12
掲載日:09/16/2006  E-Mail  Home
 5年前の9月11日、同時多発テロを受けてブッシュ大統領は「テロとの戦争」を宣言した。アメリカは世界の国々にテロとの戦いを呼びかけ、アフガニスタン、イラクを攻撃した。今年の911記念日は各地で追悼式が行われ、ブッシュ大統領は国民にテロとの戦い続行と長期戦への覚悟を訴えた。「この5年でアメリカは安全になった」とブッシュ大統領が述べて間もなく自爆テロでアメリカ兵が死にその言葉がむなしく聞こえる。果たしてこの5年間でどのような成果があったのだろうか?

 莫大な戦費はアメリカの財政に危機的な赤字をもたらし、国内のセキュリティ・チェックは厳重を極めその膨大なコストと共に市民に多大な不便をかけている。ガソリン価格は急騰し市民の懐を直撃している。これだけの犠牲を払って何が得られたのか?タリバン勢力を表面から駆逐しフセインを捕らえ、物理的には勝ったかに見えた戦争は、戦いの大義名分である大量破壊兵器が見つからず新たな旗印「中東に民主主義を根付かせる」を掲げた。しかし国が違えば考え方も常識も価値観も違う。テロの抵抗は止む気配がなく広がる一方で内戦状態をさえ呈している。現地の人にはアメリカの介入が果たして有難いのだろうか?

 報道された911の前後の各5年間のテロの数字を見ると、中東・湾岸7.2、南アジア9.8、東南アジア・オセアニア1.5、中南米1.6と増加し、欧州1.1、北米でさえ1.1倍と増えている。僅かにアフリカの0.8、東・中央アジアの0.7倍が減少しているのみだ。数字はアメリカの行動が世界にテロを広げ、ロシアや中国がテロを口実に少数民族の抵抗を抑え込んだことを示している。
 
 軍隊として対抗できない時にゲリラ戦が発生し、もっと劣勢なときは一人でも行えるテロが起きる。テロ戦では幾ら目前の指導者を抹殺しても攻撃は憎しみを生み次々と代わりのテロ要員が出てくる。すなわち、物理的な戦いでは出口が見えず、心理戦が必要なのだ。そのためには先ず相手は何が不満なのか、それはどこまで譲れるのか、などの分析とそれに対応する心理作戦が必要である。その意味で現在は出口の見えない戦い・・だからアメリカ国民には不安が募る・・今こそ戦略の転換期だと思うがどうだろう。
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[162] 外交と靖国参拝  2011/03/22 20:47:36
掲載日:08/19/2006  E-Mail  Home
 8月15日、小泉首相が国際社会の見守る中を靖国神社に詣でた。首相在任中6度目で初めて終戦記念日の参拝。中国や韓国の厳重抗議はいうまでもなく、各国の反応も首相の靖国参拝はアジアの安定に反すると批判が相次いだ。

 外交は日々の積み重ねである。中国を例にとると、中国が国際社会へ復帰する過程には大変な努力があった。当時9億人という膨大な国民を食わせることが先決、国力を引き上げるには国内の努力だけではどうにもならない。どうして外国の理解を得、協力を得るか。こうして招待外交が展開された。国を挙げて作家、音楽家・芸術家をはじめ多くの要人や文化人を招いて自国を見せた。自国からも様々な歌舞団、演劇団を送った。これらの訪問を通じて国内には様々な刺激がもたらされノウハウや技術が蓄積された。中国を見た人たちは自国へ帰りその見聞を一般の人々に書き、語り、広めた。ピンポン外交では政治とは異なる爽やかなイメージを植え付け、パンダ外交ではパンダの愛くるしさで共産国・中国のイメージを改善した。招待外交実施前には、日本について「戦争指導者が悪いのであって一般国民は同じように被害者である」という理論で国民教育を行った。

 このように国民全体のレベルで付き合いが高まり理解がゆきわたってはじめて大きな外交の転機が可能となる。また、国と国の関係はよい時ばかりではない。悪い時に何とかその間をつなぐのは民間人、個人対個人のつながりである。

 外交は一方的に自分の立場を主張するのではなく、相手の立場を考えながら妥協点を探らねば成り立たない。靖国問題が国内問題と片付けられない難しさがここにある。

 「日本人は許すと、すぐ忘れてしまう。許したら、忘れなければいけない、と考えているようだ。中国人の場合は違う。許した後は、きれいにつき合うが、その事実は決して忘れていない。」司馬遼太郎が街道をゆくシリーズ「中国・蜀と雲南のみち」で引用したこの言葉をかみ締めたい。
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[161] 総領事紹介イベント  2011/03/22 20:47:00
掲載日:07/22/2006  E-Mail  Home
 「入り口にはずらっと花輪が並び400人を越える会場は熱気で包まれていた。ロスアンゼルスの市長や郡の参事官も出席して祝辞を述べ、新会頭が団結しよう!と音頭を取ると会場は異常なほどの盛り上がりを見せた。韓国社会の活力に圧倒されたよ。」とはロスアンゼルス韓国商工会議所の会頭就任式に呼ばれた南加日系商工会議所会頭・中村達司氏の述懐である。

 アメリカの社会は民主主義が原則、多数決で国の行方を決める。公共サービスは国民に公平だ思いがちだが、声の大きいコミュニティに厚いサービスが提供される。ロスアンゼルスだけでも150以上の言語が話されている多民族社会にあっては、様々な民族のコミュニティが自分達の存在を主張してプレゼンスの強さを競っている。

 ロスアンゼルスの市長が代わって公共機関の上位職日系人がそのポストを失っている。これらのポストは政治的な影響を受けるから投票数(人口)で劣る日系社会は徐々に相対的なプレゼンスが下がるのは止むを得まい。しかし政治家や行政の要所要所に日系人が居ることで日系社会の市民生活やビジネスが受ける恩恵は大きい。日系社会の先人達が過去幾多の苦難を乗り越えて築いてきた恩恵を私たちは受けている。

 6月の終わりに兒玉和夫・新総領事が着任した。兒玉総領事はワシントン・D.C.在任中に広報担当の公使を務めたそうだ。着任早々ロスアンゼルス・タイムスの編集長に会って日本やアジアの情勢を説明し今後の協力を約束したそうだ。これからは日系社会とアメリカのメディアとの間に親密な関係を築いてくれるものと期待したい。

 ところで日系社会のプレゼンスを上げる機会として、新総領事をロスアンゼルスの要人に紹介するパーティを開いたらどうだろう。日系社会には有力なアメリカ人を友人に持つ人たちが多く居る。企業や個人が幾人かずつスポンサーをして友人を新総領事に引き合わせるパーティを提案したい。総領事館はすでに様々な人的ネットワークを築いているがそれを拡げることにより更に多くの親日アメリカ人が獲得できるのではないだろうか?総領事というポジションにはそれだけのパワーがある。各人の人脈を紹介することで総領事の手間を省きその使命を果たしてもらうには今が絶好の機会だと思う。
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[160] Facing Forward(2)  2011/03/22 20:46:17
掲載日:07/01/2006  E-Mail  Home
 
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[159] Facing Forward(1)  2011/03/22 20:45:49
掲載日:07/01/2006  E-Mail  Home
 
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[158] トレーサビリティ  2011/03/22 20:45:21
掲載日:05/27/2006  E-Mail  Home
 健康と安全はいつの世にあっても人々の願いである。食の世界にあっては最近オーガニック食品が人々の注目を集めている。オーガニックとは、有機栽培で育てられた野菜や果物、更にそれらの飼料で育てられた牛や豚などの肉までも指す。日本では戦後の食糧難を乗り切るため国策により化学肥料や農薬で大量収穫を目指してきた。やがて食糧難が一段落すると水銀中毒や各種の農薬被害が指摘されるようになり、安全で本来の美味しさを持つ野菜や果物を自然のまま育てようと有機栽培が見直されだした。土には落ち葉や枯れ草が混じり、様々な昆虫やバクテリア、ミミズなどが共生する。その様な土は自然の生命力に溢れ美味しくて力強い果物や野菜を育てる力がある。

 しかし市場に出回っているオーガニック食品は本当に信じてもいいのだろうか?という一抹の不安がぬぐえない。牛肉の輸入問題を巡るFDAのずさんな検査体制、外国産を国内産と偽る輸入業者、消費者には公的機関の検査体制もどこまで信用できるかという不安が付きまとう。

 それらの不安を解消する手段として日本で提唱されているのが「トレーサビリティ・システム」だ。トレーサビリティとは生産から流通まで、その食材がどのように作られてどういう経路を通って消費者の手元に届いたかをデータベースで管理し、誰でもいつでもインターネットで自分の買った食材のヒストリーをトレースできるというシステムである。様々な人の手を経てデータが蓄積されるのでごまかしが効かない。

 このトレーサビリティを使って育てた和牛やお米、うどんなど、「安全で質のよい日本の食材を世界へ」をモットーに5月25日に試食会が行われた。4つの有名レストランのシェフが腕を振るった試食会には大勢のシェフたちが集まり、和牛肉の部位切り分けの実演に見入り熱心にメモを取った。そこには常に新しい食材とメニューの開発にしのぎを削るシェフやレストラン・オーナー達の熱い思いが感じられた。日本発のトレーサビリティ、果たして世界へ発信する力となり得るであろうか。
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[157] 憲法記念日に思う  2011/03/22 20:44:45
掲載日:04/29/2006  E-Mail  Home
 5月3日は憲法記念日。あるコラムによると、憲法の公布と施行の間には6ヶ月を要する。当時の吉田首相は当初紀元節(明治憲法施行日)に合わせようとしたが間に合わず11月3日の明治節(明治天皇誕生日)に変更した。連合軍司令官マッカーサーがこれを認めたのは施行日の5月3日が東京裁判開廷1周年に当たるからに違いない、という。記念日は制定にいろいろと為政者の思いが込められている。

 アメリカは核兵器や大量破壊兵器の存在を理由にイラクに侵攻した。多くの犠牲者と混乱を引き起こしたいま、あの情報は間違いだった、しかしイラクには民主主義が必要だという。3月初旬ブッシュ大統領がインドを訪問し、核平和利用に全面的な協力を約束した。以前、インドの核開発に「絶対反対」を唱えていたが180度の転換、しかも国内的にも国際的にも問題があり、実現のためにはいくつもの法改正が必要だ。イラクの核査察から戦争へ、国連での横車ともいえる強引な政策。

 日本も国内世論を振り切ってイラクへ自衛隊を派遣するなど例外ではないが、時の権力者は自分の考えを通すために最大限のゴリ押しをする。しかし、いかに時の権力者が我意を押し通そうとしても憲法がある。憲法とは、その国を特徴づけ進むべき方向を指し示すと共に、時の政府・権力者に一定の枠をはめるという機能を持っている。いかに最高権力者といえども憲法の枠を超えた行動はとれないし、憲法改正には議会または国民の3分の2の賛成を必要とするなど、非常に高いハードルを設けている。

 今年は日本でも憲法改正の論議が活発化する。一度憲法改正を行えば今後数十年にわたり国の指針を決めることになりその影響は子孫に及ぶ。そのような大切な改憲論議には国民がもっともっと真剣に考え参加するべきである。憲法記念日は年に一度国民がその意義を考える日、単なる連休の一日にしてはもったいない。
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[156] あしなが研修生を迎えて  2011/03/22 20:44:07
掲載日:04/01/2006  E-Mail  Home
 3月25日、研修プログラムを終えたあしなが育英会の学生・6人のために送別会が行われた。3週間の思い出を、溢れる思いに身振りをいれ、時には涙を浮かべ一人一人が語った。

 あしなが育英会は、片親または両親を亡くしたか重度の障害で働けない家庭の子供達に教育の機会を与えることを目的とする非営利団体である。自分も幼時に父親を失い母親の手で育てられたので身に覚えがあるが、親を失った子供達は様々なハンディキャップを背負う。経済的にも厳しいが、学校参観日、遠足のとき、家庭調査のとき、入学願書や就職願いを書くときなど、折に触れて親のない辛さを味わう。

 だから・・・普段は肩肘を張って身を固くする彼等には人の親切が身に沁みる。この研修を通じて知った人の情けが、ふと掛けられた一言が深く心に響くのだ。送別会の一人一人のスピーチにはそれらの思いが溢れていた。取材に訪れたメディアの人たちも胸に迫る思いを抱えてメモを取っていた。

 彼らが何を得たか、本部からの礼状がすべてを語っている。

 「事後研修を通して聞いた彼らの体験談からは、みなさまの多大な愛情を感じずにはいられませんでした。愛する肉親を亡くし寂しい思いを抱えた経験のある彼らにとって、日系商工会議所や、敬老ホームの方々に沢山の愛情のこもった言葉をかけていただいたり、新しい家族ができたことが本当に嬉しそうで、一人一人の言葉には熱がこもり、涙ぐみながら一生懸命体験談を話す研修生もいました。また、大きな人生を歩まれている諸先輩方のお話しをいただき、今後の生き方をみな深く考えたようです。自分自身の改善すべき課題も持って帰ってきました。そして以前よりも、積極的に堂々と自分の意見を言うことができるようになった変化など、大きな成長ぶりを感じました。人生に前向きに、そして自分に期待できる力が強くなったのだと感じました。
これからの彼らの人生が、よりワイドに深く、他者への愛情に溢れたものになるだろうと確信しています。広大な大地で、みなさま方の大きな愛情をいただき、3週間という時間では得られないほど多くのものを与えてくださったことに心より感謝申し上げます。」
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[155] 総領事のアドバイス  2011/03/22 20:43:32
掲載日:03/04/2006  E-Mail  Home
 2月某日、南加日商(南加日系商工会議所)・中村達司氏の新会頭就任挨拶に同行し野本総領事にお会いした。会見の終わりにアドバイスをお聞きしたところ、「南加日商に限らず諸団体の活発な活動には敬服しているが、その活動を日系社会内に留めず他のコミュニティとの接触にも広げて欲しい。」とのアドバイスをいただいた。総領事はこの地で日本国を代表するとともに、邦人保護や日系社会の発展と地域社会でのプレゼンスを高めるのを後押しする立場にある総領事館の長として、このことに日夜思いを巡らせて来られたに違いない。

 2004年、日米和親条約締結150周年を祝って数々の祝賀行事が開かれた時も、この思いからサムライパレードを小東京周辺で行った際、日本から到着したサムライ達をロスアンゼルス市警の幹部と共に公邸に招き歓迎会を催してくれた。

 アメリカは人種の坩堝ではなく、人種のサラダボールだといわれる。沢山の人種が渾然一体と住むのではなく、それぞれの人種が自分達のコミュニティを築いて住み分けている。力を持ったコミュニティはプレゼンスが高く常に脚光を浴びる。民主主義の多数決の政治システムでは政治家の目はどうしても力を持ったコミュニティに向けられる。

 JBA(南カリフォルニア日系企業協会)は毎年カリフォルニア・フォーラムに州政府の高官を招いて企業環境の向上や日系企業の存在をアピールしている。全米日系人博物館は総領事館に協力して日系人のリーダーを日本に送って若い日米リーダーの相互理解とネットワーク構築を支援している。このように日系社会に数多くある諸団体がそれぞれの分野で努力をするならば、やがて大きな力となって自分達にその成果が返ってくるだろう。

 野本総領事の3月末帰任が決まった。3月15日には日系諸団体が合同で送別の宴を張る。お別れを惜しむとともに総領事の願いを大切にしたい。
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[154] 評価ツールと監査システム  2011/03/22 20:42:42
掲載日:02/07/2006  E-Mail  Home
 日本の耐震強度偽装問題は、関係者が次々と国会へ証人喚問され、建築業界のみならず国を揺るがす不祥事となった。構造計算書を偽造した姉歯一級建築士が悪い、いや木村建設やマンション販売会社ヒューザーが圧力をかけた、いやホテルの開発指導を行った総合経営研究所が悪いと責任をなすりつけ合っているが、長年の夢を実現し一生一度のマンションを購入した人達にとって、建物の解体もありうるトラブルに巻き込まれたことは誠にお気の毒というほかない。

 防衛施設庁の官製談合、みずほ証券の誤発注など様々な不祥事が起きるたびに、「けしからん!」「責任を取れ!」と国民全体が激昂する。それをメディアがあおり新たな事件が発生すると関心はそちらへ移る。やはり日本は「情の国だなあ」と思う。

 いま、日本にとって必要なのはしっかりした監査システムなのだ。アメリカは多民族で構成され、多くの異なった文化背景や価値観が混在する。だから物事を評価する際にみんなに納得される客観的な評価ツールを作る。それが様々な分野でランキングや評価システムを可能にする。フォーチュン500、スタンダード・アンド・プアーズ、ザガット、オリンピックの出場選手選考など・・・。企業の人事評価や企業買収の際の企業価値診断もしかり。このしっかりした評価ツールこそ公正な監査を行う道具になりうるのである。

 幼女の誘拐・殺人、子供や親の親族殺人、保険金詐欺、ライブドアなど、金のためなら何でもする風潮、そこには倫理も人の道も通用しない世の中に変わってしまった現実が見える。事件がおきるたびに倫理や教育に責任を求めるのではなく、それらを予防するための監査システムの確立こそ日本にとっては急務ではないだろうか?まずは監査システムのためのツール作りを急ごう。
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[153] 本格的回復に向かう日本経済  2011/03/22 20:41:33
掲載日:01/07/2006  E-Mail  Home
 年が明けて新年を迎えた。日本にとって2006年は2つの点で大変重要な年になると思われる。一つは国民投票システムが提案され憲法改正への道筋が固まる年であり、二つ目はバブル崩壊後15年を要した日本経済の回復がようやく力強く本格的になってきたことである。憲法改正問題は次の機会に譲るとして日本経済の回復について考えてみたい。

 昨年の後半急伸した日経平均株価は年明け後も上昇気流に乗って伸びている。ゼロ金利といわれた超低金利の時代が長く続き、バブルでリスクに懲りた人々のマインドも、より高い投資リターンを求めて動き始めた。郵政の民営化が本決まりとなり、郵貯からも相当の資金が各種市場に流れ込んでいる。都心をはじめとする都市部では再び地価の上昇がみられる。ライブドア、楽天、村上ファンドとIT関連企業や投資会社の記事が新聞紙上を賑わせ「バブルの再来に気をつけろ」という声も聞かれる。

 しかし、日本経済が本格的な回復に向かっているのは国内設備投資の回復である。失われた10年ともいわれる長期低迷期には多くの中小企業、いや大企業も中国へ中国へと安い賃金を求めて工場を移転し国内は空洞化した。はじめは高度技術は国内に残していた企業も生き残りをかけて中国での本格的な稼動のために最新技術も移転した。その結果、中国では急速に製造技術やノウハウを身につけてもっとも手強い競争相手となった。

 「苦しくても頑張っていれば苦境を乗り切る新しい技術を開発できる。安易に中国に技術移転すべきでない。」というのは李登輝・前台湾総統の言葉だ。日本は苦しみを経て不良債権や人員・在庫過剰の整理に目途がつき、新規技術も数多く芽を出して、多くの日本企業が国内での設備投資に向かい始めた。2006年はその意味で本格的な経済回復のスタートとなる希望の年だと思う。
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[152] 国の独立とは  2011/03/22 20:30:12
掲載日:12/10/2005  E-Mail  Home
 ある韓国人が台湾を訪れ、余りの親日的な人々に驚いた。「同じ植民地でありながら日本はいったい台湾に何をしたんだ?」

 台湾は日清戦争後日本の植民地となり第2次大戦終了まで50年間日本の統治が続いた。その間、帝国大学を設け、教育機関を整備し、水利工事をおこし、鉄道と郵便制度を設けた。台湾製糖をはじめ多くの殖産をおこし、当初はお荷物ともいえるこの島を価値ある島に作り変えた。初めは価値のない地であったため利権を求める人達の目に留まりにくかった点が朝鮮とは違った結果をもたらしたのかも知れない。

 先日、台湾前総統・李登輝氏の講演を聞きに行った。会場は2000人を越える聴衆で熱気を帯びていた。李登輝氏の演説は、とても84歳とは思えず力強く熱のこもったものだった。聞けばアラスカ、ワシントンDC、ニューヨーク、ロスアンゼルスと既に30以上のスピーチをこなしているという。論点は、如何に台湾が真の独立国となるか。そのためには、1)改憲により国名を変え、2)教育により国民に独立国民としての意識を持たせ、3)しっかりとした自衛力を蓄えて独立国として世界に認めてもらう、というものだ。

 経済的に自立し島民の大多数が独立を望んでいれば独立が当然と思われる。しかし台湾海峡を隔てて対峙する中国は断固として台湾の独立を認めない。その緊張のバランスを保つために台湾は巨額の資金を投じてアメリカから武器を買う。台湾海峡に緊張が続く限りアメリカの軍需産業にとって台湾は上得意なのだ。もし台湾が中国に併合されたら日本にとって生命線ともいえる石油輸入ルートにも重大な影響を与える。またアメリカをはじめ世界の軍事・経済・政治のバランスに重大な影響を及ぼす。その中にあって熱く独立を訴える台湾の住民は木の葉のようにもてあそばれている。果たして世界はどのような決着をつけようとしているのであろうか?
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[151] ピーター・ドラッカーの訃報  2011/03/22 20:29:38
掲載日:11/29/2005  E-Mail  Home
 現代経営学の父・ピーター・ドラッカー氏の訃報記事が目に飛び込んだ。ドラッカー氏はウィーン生まれ、フランクフルト大学で国際法の博士号をとり1937年米国に移住、長年ニューヨーク大学やクレアモント大学の大学院で経営学や社会学を教えてきた。

 戦後の日本経済の高度成長を「経営管理」という経営を実践理論面から支えた偉大な人物である。彼の経営管理論はアメリカよりも日本で最も信奉され多くのファンを作った。ドラッカーといえば経営学者のみならず、経営者、組織の管理者にとっては神のごとき響きをもって迎えられた。

 「われわれの社会は、わずか50年という信じられないほど短い間に、組織の社会になった。・・・経済的な財やサービスの生産、保健、社会保障、福祉、教育、新知識の探求から資源の保護にいたるまで、主な社会的課題は、すべて大きな組織の手にゆだねられている。」と20世紀の後半に起こった社会現象を鋭く捉え、だから「くたばれ組織!」とこの変化をののしるのでなく、いかに組織を効率的に運営し社会発展に寄与するかの大切さを説いた。

 3年前、クレアモント大学のドラッカー教室を一日聴講、ドラッカー教室で学んでいた友人の紹介である。彼女はドラッカー夫妻に可愛がられ、しばしば家庭にも招かれた。当時ドラッカー教授は92歳、朝5時から起きて毎朝執筆する。奥様は90歳、現役でテニスを楽しんでいるという。

 階段教室に100人近くの学生が待機する中、定刻にドラッカー教授が入場。なんと机の前に椅子を置き、全身を学生にさらして講義が始まった。その間2時間近く、原稿は一切使わない。テーマは「ニッチ・ビジネス」だったが、次から次へと実例を引き頭の衰えは一切見せなかった。

 授業が終わると一列に並んだ学生達が差し出す著書に一人一人名前を聞いて宛名入りのサインをする。友人は「貴方の贈ったドル札の折り紙のフレームが教授の玄関に飾ってあるよ」と教えてくれた。家内が心を込めた折った作品だ。

 その誠実な人柄と共に経営学を学ぶ者にとってはまさに「巨星墜つ」である。
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[150] ピロリ菌発見者にノーベル賞  2011/03/22 20:29:04
掲載日:10/15/2005  E-Mail  Home
 今年のノーベル医学生理学賞にピロリ菌を発見した二人が選ばれた。一人は豪州・オーストラリア大学のバリー・マーシャル教授、もう一人はロビン・ウォーレン名誉教授である。

 ピロリ菌は胃の中に住み、食べたものすべてを溶かしてしまうあの強烈な胃酸の中で生き続けることができる不思議な菌だ。この菌はしっかりと胃壁に取り付き自分の城を築いてしまう。この結果、周辺に炎症が生じこれが潰瘍に発展する。このようにしてピロリ菌は胃潰瘍や十二指腸潰瘍の原因になっている。

 ピロリ菌の保菌者はアジア系に多く、日本人は65%以上の人が持っているという。感染の判定はいたって簡単、与えられたビニール袋を口に押し当て息を吹き込むだけ。この呼気を分析すると保菌者か否かがわかる。保菌の判定が出ると念のため胃の内視鏡検査を行うが、ピロリ菌退治はいたって簡単、10日間2種類の抗生物質を飲むだけである。その間の制限はアルコール類の禁止のみ。

 さて、自分の場合、10日間の治療期間を経て更に2〜3日様子をみた。自覚症状のある病気ではないので治ったかどうかも自分では判定がつかない。久し振りに快気祝いと称し一人で祝杯を上げた。すると何とその晩からだのあちこちが痒く方々に斑点が出て一番ひどい足首は2倍ほどに腫れ上がった。どうもピロリ菌退治と共に体質が変わりアルコール・アレルギーになったらしい。数週間を経て検査をしてもらうと見事に除菌されていた。

 その後、食事やお酒も美味しいし胃の調子もよい。こんな簡単な検査と治療で胃潰瘍や胃がんの予防ができるのかと驚いた。ピロリ菌保菌者がすべて胃潰瘍になったり胃がんになるわけではない。しかし胃潰瘍や胃がんの患者がほとんどピロリ菌保持者だということは相関関係が明らかである。

 こんなに簡単な治療法、みなさんも是非検査を受けることをお勧めしたい。
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[149] 衆議員総選挙に思う  2011/03/22 20:28:26
掲載日:09/20/2005  E-Mail  Home
 狭い国土、天然資源に乏しく人口密度の高い日本にとって生きる道は貿易しかない。世界の国々に品物を買ってもらい貿易を続けてゆくためには、それらの国々に受け入れてもらわなければならない。いわゆる国際世論を味方につけることが日本の国防にとって最大の課題である。

 郵政民営化で国論をかけて行われた今回の衆議院議員総選挙、民主党は年金や健康保険など、郵政民営化以外にも大切な国民の課題があると訴えたが、「郵政民営化賛成か反対か?」と単純明快に訴え、刺客、落下傘候補などの刺激的な手法を次々と繰り出し劇場型選挙へとムードを盛り上げた小泉・自民党は地すべり的な圧勝を勝ち取った。

 2000年5月より海外からも投票ができるようになった在外投票、今回は各地の在留邦人の関心も高まった。しかし今回の選挙で政党間の議論に「これからの日本が世界の国々とどのように付き合ってゆくか」という外交戦略は聞こえてこなかった。日本の国防に直結する外交戦略がこれから4年間の国政を担う国会議員の選挙に登場しない。

 ロスアンゼルスの町や空港では至る所から日本語が聞こえ、数多くの若者やシニアが世界を旅している。「XXが面白かった」「XXが安く買えた」という会話は聞こえてくるが、日本とその国の関わりを現地の人たちとの接触で彼らはどのように感じたのだろう。その感覚が日本の将来を決める一票となって投票されてこそ外国を旅する価値がある。現地に住み、日々日本とその国のハザマで暮らしている在留邦人の一票は、その意味でも重さが違うように思う。

 今回の投票では推定在外有権者72万人に対し在外選挙人登録者は約8万人、そのうちの25.78%が投票したと総務省は発表した。推定在外有権者数からいえばたった3%に過ぎない。国会議員からは「せっかく在外投票制度を作ってやったのになんだ!」との暴言も聞かれる。今後はいかに使いやすい制度にするかが在外投票制度の定着に必要であろう。
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[148] 小東京の活性化のために  2011/03/22 20:27:54
掲載日:08/20/2005  E-Mail  Home
 今年の二世ウィークは久し振りに多くの人出で賑わった。人気のサウンドグループ・KAT-TUNや人気力士・岩木山がきたためでもあろうが、史上最年少の実行委員長が実現して新しい動きが出たのだろう。

 小東京の活性化が叫ばれて久しい。バブル経済期には常時3-4台のバスが停まり小東京付近には日本からの観光客が溢れた。日系企業も数多くダウンタウンに立派なオフィスを構え社員たちが食事や日本からの出張者を案内して訪れた。その町が、地震、暴動、911テロに必死の観光客誘致策にもかかわらず観光客は激減し、多くの日系企業も撤退や郊外への移転によりすっかり寂れてしまった。

 この地域に活気を取り戻すためには、まず地域が安全であることが第一だ。そして皆が訪れて楽しい、面白いという要素が加わって人が集まる。

 8月18日朝、JACCC Garden Room でLAPDのAsian Pacific Islander Advisory Council Meeting が行われた。用意された70席をはるかに超える盛況で、テレビカメラも4-5台見られた。残念なことには日系のメディアの姿が見られなかったことである。

 地域の安全を保つには市民が警察と密接な交流を保つことが大切である。出会う警察幹部は一様に何かあればいつでも電話をしてくれという。今回のミーティングでは流れが変った。ロス市警で日系、いやアジア系で最高の地位にあるコマンダー・テリー・原が責任者となり新基軸が打ち出されたように見える。今までの市民との話し合いに加えて、警察がどのようなシステムで動いているのか、管轄内に何が起きているのか、だれが担当しているかを先ず知ってもらうという姿勢に転じたようだ。

 JACCCの建物で行われたにもかかわらず、日系からの参加者は少なかった。もっと多くの参加者と共に、日系メディアが警察と市民との間をつなぐ役割を果たしてくれるともっと地域の安全が保たれ活性化に繋がると思うのだが・・。
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[147] 故妙中俊彦氏を悼む  2011/03/22 20:27:15
掲載日:07/30/2005  E-Mail  Home
 日本から帰国した途端この悲報を耳にした。「妙中さんが昨日お亡くなりになった」と。すい臓ガンを患ったが一時は非常によくなっていたのに誠に残念だ。

 妙中さんは私たちの勉強会やセミナーにも都合がつく限りご夫婦で出席。いつも笑顔を絶やさず、自宅の庭に大輪の紫陽花が咲くと毎年惜しげもなく切り取って両手いっぱいに届けてくれた。また、私たちが様々なイベントを行うたびに親身になって相談に乗ってくれ、自ら資金集めに走り回り、勇気付けてくれた。若い人達の育成には特に情熱を持ち自分の体験や思いを熱く語って聞かせた。

 妙中さんの説く「コミュニティへの貢献の大切さ」は自分の実践からの話だけに説得力があった。「私の師匠は和田勇さん」が口癖で、その和田さんが奔走して出来上がった日系敬老引退者ホームには、和田さんの熱い思いが込められているのを知ったのも妙中さんを通してだった。「この引退者ホームは老人のためではない、若い人のために作るのです。本当に世の中のために尽くすには自分で事業を起こしてもらいたい。人は自分の事業を持ち成功したときに大きく社会に貢献できる。」「失敗を恐れず繰り返し挑戦して年をとった時のためにこの敬老ホームがあるのです。この敬老ホームはチャレンジ精神を失わない若者のためなのです。」

 妙中さんは和田勇さんの人柄に打たれ自らを弟子と位置づけた。老骨に鞭打ち、自ら敬老ホームの動く広告塔となって資金集めに奔走した。あの笑顔でユーモアを振りまきながら頼まれると寄付を断りきれなかった人も多かっただろう。自分の栄誉や損得は眼中に無かった妙中さんにせめてもの贈り物は、南加日商の役員就任式で表彰した「日系スピリッツ賞」であった。

 私はこれほど無私でボランティア活動に打ち込んだ人を知らない。敬老ホームのみならず日系社会にとっては大きな損失である。いまはただ偉大な足跡を残した妙中さんのご冥福を祈るのみ・・・合掌。
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[146] 海上自衛隊・練習艦隊を迎えて  2011/03/22 20:26:43
掲載日:07/02/2005  E-Mail  Home
 6月24日、海上自衛隊の練習艦隊がサンディエゴを訪れ、市民との交歓会を催した。門を入るとNAVYの基地の一角に4隻の護衛艦が並んでいた。4千トン余りの艦が予想よりもはるかに大きく見える。

二隻の護衛艦の後部甲板を使った会場は、高級士官が日米の市民を敬礼で迎え趣向を凝らしたオードブルが並んでいる。純白の制服に身を包んだ兵や下士官が接待に努め、そこここで市民と自衛官との和やかな談笑が続く。やがて日没、全員が起立して注目する中、暮れ行く太陽と静かなラッパの音と共に軍艦旗が降ろされる。

 士官の一人、3等海佐(少佐)と話してみた。この航海は3ヶ月、ハワイ、サンディエゴなどに寄港しアメリカ海軍との連携や様々な訓練を施す。いまや世界でも指折りの規模を持つ海上自衛隊だが、軍備面ではこの港にいる艦だけでとても敵わないという。さらに違いは戦略面、そもそも発想が違うという。

 明治以来、日本は日清、日露と世界を驚かす戦勝を挙げたが、それは兵器や装備、戦略面で独創的な工夫を凝らし国民が一丸となった勝利でもあった。しかし、陸軍大学、海軍士官学校の卒業席次が昇進について廻るようになると、組織は官僚化し、独創的なアイディアが用いられなくなる。失敗の経験が生かされず失敗者は死地へ追いやられる。

 軍には統制力が必要だがトップが常に革新を意識しないとマンネリに陥る。どんなに過去の戦史を詳しく覚えても戦いに同じパターンはない。常に新しい発想とアイディアをくみ上げるシステムが必要だ。戦争は外交の一手段、外交力を発揮するのに軍備があり戦争をするのが目的ではない。しかしその覚悟がなければ外交の力とはならない。

 その士官とは、国と軍隊、外交と戦争のあり方など意見を交換しあった。帰りにはすっかり暮れなずんだ空に黒々と練習艦隊のシルエットが浮かんでいた。
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[145] メモリアル・デー  2011/03/22 20:26:10
掲載日:06/01/2005  E-Mail  Home
 5月の最後の月曜日はメモリアルデー(戦没者追悼記念日)。南北両軍で米軍史上最大の65万人の戦死者を出したといわれる南北戦争、元々はその戦没将兵の追悼日として始まったが今ではすべての先亡者を偲ぶ記念日となった。

 エバーグリーン墓地で行われた今年のメモリアルデーは、1937年に南加日系婦人会によって建立された慰霊塔で日系人先亡者の追悼法要、続いて殉国碑の前で戦没日系人将兵への献花式が行われた。

 日系人先亡者の追悼法要では導師を務めた伊藤輪番が、今ある生を「あとに来る者のために・・・」という詩人・坂村臣民の詩を朗読した。人は親から子へ、子から孫へと代々生命が伝わってゆく。子のため孫のため子孫のために・・・、村のため町のため国のため世界のために・・・と人々は努力を積み重ねてきた。だからあとに続くものは先人の努力と苦労を思い感謝の祈りを奉げる。

 それに続く戦没日系人将兵への献花式では、国のために、私たちのために命をささげて戦場に散った将兵に対し、1年のうちたった一日でよいから感謝を奉げる日を持とうと呼びかけた。それは・・お正月でも、クリスマスでも、誕生日でもない、メモリアルデーである。身を挺してくれた人がいるから今日の自分がある。あとに続く者を信じ努力した先人はあとからくる者に夢を託し努力する。
広大なエバーグリーンの墓地はおびただしい日系人の墓が並び、そこここにお参りの人の姿が見える。空はあくまで青く濃い紫のジャカランダが枝いっぱいに花をつけている。あくまでも明るいカリフォルニアのお墓、だが人々の思いはこの季節になると在りし日の人の面影を偲びここにやってくる。

 七人の儀杖兵の礼砲が空にこだましセレモニーは終った。願わくば、来年は更に多くの人が先人の思いを偲び感謝を奉げに参拝して欲しいと願う。
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[144] ベトナム戦争終結30周年  2011/03/22 20:25:39
掲載日:05/04/2005  E-Mail  Home
 4月30日はベトナム戦争終結30周年。各地のベトナム・コミュニティでは様々な催しが行われたようだ。終結というより敗戦というのが実際なのだが、米国にとっては史上はじめて味わう屈辱と挫折感に満ちた敗北だった。

 世界最強、最大の軍隊を持つアメリカ軍を熱帯のジャングルや地下壕を隠れ蓑に人海戦術で抵抗するベトコンに悩ませられたアメリカ兵は、恐怖に満たされ、麻薬に走り、出口のない戦争にいいようのない挫折感を味わった。
 
 しかし、一番の被害をこうむったのはベトナムの民衆である。元々は平和な農村地帯が主で人々は優しく優雅。元はフランスの植民地だったため町は洒落た建物が並びアオザイ姿の若い女性が行き交いヨーロッパ風に洗練されているというイメージだった。

 打ち続く戦火、家を失い親や子供を失い、職もなくコネもなくなった多くの人たちがボートピープルとして海に漂った。海賊を逃れ、嵐をくぐり、運のよかった人たちが最後の希望の地・アメリカにたどり着いた。そして各地にベトナムのコミュニティができていった。

 祖国から追い立てられた人たちの一部は、戦後一貫して反共運動を掲げてきた。ところがベトナムが復興の過程で外国資本を受け入れ、アメリカと国交を結び、世界も冷戦構造が崩れた今では反共の旗印も色あせて見える。ベトナム戦争終結30年。やはり30年という年月は重い。そのとき生まれた子供が30歳にもなるのである。親と共にアメリカに渡った子供たちは、英語に馴染みアメリカ社会に溶け込むのに精一杯。そしてアメリカ人となった彼らは、関心も現在の仕事や家庭、よりよい明日の生活に目が向き反共運動に関心を示さなくなる。

 ベトナム人だけではない。韓国人も日本人も子供は同じ道を辿ったように思う。これが移民社会アメリカへの民族を超えた過程なのだ。
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[143] 子供を叱らないお母さん  2011/03/22 20:25:04
掲載日:04/02/2005  E-Mail  Home
 子供を叱らないお母さんが増えている。日本から訪れたデパートの婦人服売り場を担当する若い女性が語ってくれた。「子供の世話は店員任せ、子供がどんな悪いことをしていようとお構いなし。店員は子供に付き合っておもちゃ売り場にまで行くことになるんですよ。」「えっ、どうしてそこまで店員が?」と問うと、「何かあったら店の責任を追及されますからね」とあきらめ顔。それだけではない。「迷子を店内放送してもなかなか親が現れないのです。」「そういう時のお母さんはたいてい化粧品売り場か婦人服売り場にいますね。」子供が泣いているのにデパート内なら面倒はみてくれると安心しているらしい。そしてなにか問題が起きれば店の責任を追及する、果たして親の責任や教育はこれでいいのか?親の教育こそ必要なのではないか・・・と自らの体験を語ってくれた。

 一方、新聞ではいまや「お袋の味」は給食頼り、「お母さんの作る食事より給食の方が美味しい」という子供が圧倒的で、「忙しいのに給食をしてくれないと困る」という親も増えていると報道されている。母親が完全に食事係りから逃れようとしているようだ。

 先ごろ発表されたOECD(経済協力開発機構)の調査で読解力が41か国中14位となり、「ゆとり教育」がゆれている。

 お金さえ払えばサービスは手に入る。問題が起きれば店や学校のせいにすればいい。しかし社会に出て困難に遭遇したり失敗をしたときに立ち直る勇気を与えてくれるのは子供頃の親の言葉や思い出だ。お金を出して子供の世話を他人や学校に任せ親の責任を放棄する。問題はどれだけ本当に子供に愛情を注いでいるかだろう。

 子供は親の背中を見て育つといわれる。その親が子供に見せて恥ずかしくない生き様を見せなくて自分中心になっている。ゆとり教育の前に親の教育が必要なようだ。
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[142] 津波支援に思う  2011/03/22 20:24:35
掲載日:02/05/2005  E-Mail  Home
 死者行方不明者が30万2千人に達したというインド洋津波、この未曾有の天災に対して世界から寄せられた支援は素早かった。アメリカ軍は早々に1万2千人の軍隊を支援に差し向けへリコプターが給水に傷病者の輸送にと活躍した。日本も5億ドルの支援金とイラクから帰国途中の自衛隊を派遣。各国の支援金拠出表明も今までにない規模で対応の早さも異例だった。

 このような大災害にはとても一国だけでは対応しきれず国際的な支援が不可欠である。しかし人道上の支援ではあるがそこには各国のパフォーマンスを競った政治的な要素が入ってくることは避けられない。アメリカはクリントン前大統領を津波救済募金活動の責任者に任命し、各国も次々と要人を現地視察に派遣した。

 軍隊は装備や訓練が行き届いているから救援時の効率はよい。しかし、他国の軍隊が入ってきて自由に国内を動き回ることは、被災国の政府や国民にとって政治的にも民族の誇りからも手放しで喜べない。インドは「救援はありがたいが自国の力で充分対応できる」と国際支援を断ったし、訪れた大野防衛庁長官に国内に反政府組織を抱えるインドネシアはやんわりと行動制限を匂わせた。国際支援を受け入れると各国から様々な人や機関が視察に訪れその対応に忙殺される。彼らはその国の国情に構わず自分の都合で視察を行う。ただでさえ後始末に追われている政府にとって厄介な仕事であることは想像に難くない。「人道上の民間支援は歓迎する。しかし軍隊の支援は結構だ。」という被災国の国民感情も理解できる。

 日本の支援金・5億ドル(約650億円)は貴重な国民の税金で支援するお金である。国際支援は外交の戦いの場でもある。「津波」が国際語となりその経験や対応のノウハウを持つ日本が、相手国の事情や国民感情を充分に考慮した心からの支援をすることこそ相手国のみならず国民に対する政府の義務であろう。
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[141] 身に沁みた身内の温かさ  2011/03/22 20:24:02
掲載日:01/05/2005  E-Mail  Home
 久し振りの日本行き。出発直前に荷物を詰め込んでいてぎっくり腰。大したダメージではなかったが日本に着いて翌朝は相当な痛みに襲われた。着いた翌日から海外日系人大会への出席や出版記念会の準備などかなりなハードスケジュールが組まれている。

 宿となった会場近くの姪の家には姉が泊り込みで湿布薬だマッサージだと世話を焼いてくれる。姪も子供の世話や仕事の合間を縫って車で送り迎えをしてくれる。東京での行事が終わり座間の弟宅では一家を上げての歓迎に加え超多忙の弟までがマッサージ。

 翌日は名古屋の姉のうちへ。挨拶に来た甥が車で新幹線の小田原駅まで一家揃って車を飛ばしてくれた。小田原駅でJR レールパスの発行にパスポートが必要なのが判明。昨夜みんなができるだけ荷物を軽くしようと大きなスーツケースに詰め替えたときにパスポートも入ってしまったらしい。急遽座間まで引き返したが、その間携帯電話には3人の姉や妹から頻繁に電話がかかり、「新横浜の方が便数が多い」「これに乗れば名古屋には何時に着くから車で迎えに行く。その次ならこの便で」とうるさいほど。

 名古屋では姉が銘酒をそろえ湿布薬を用意し、風呂に入れば頭を洗い背中を流してくれる。自分は本当にこんなにしてもらう価値があるのだろうか?今までみんなに何をしてあげたのだろう?と申し訳ない思いが頭をよぎる。

 訪日の目的の一つが母の13回忌だったが、シャワーのように降り注がれる身内の温かいもてなしに母の愛にも劣らない愛を感じた。「ああ、身内とはこのようにありがたいものか」と身に沁みた。これはやはり海を隔てて遠くに住んでいる者の特権か?近くにいればこうまでしてもらえないだろうに・・・。

 帰りの飛行機で借りた杖をどこかへ置き忘れたのに気づいた。身内の温かいもてなしがいつの間にか腰痛を溶かしてくれたらしい。
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[140] 違憲訴訟、最高裁大法廷へ  2011/03/22 20:23:27
掲載日:12/11/2004  E-Mail  Home
 1993年に始めた海外在住者投票制度実現の運動は、1998年4月に「公職選挙法の一部を改正する法案」として成立した。この過程で運動促進の強力な推進力となったのが、国を相手に起こした「在外日本人選挙権剥奪違法確認等」の違憲訴訟だった。

 先日、弁護団長より電子メールが届いた。それによると、最高裁に上告後、長らく動きがなかったが最高裁大法廷書記官から電話があり、「本件は、第2小法廷から大法廷に回付された」とのこと。弁護団長によると、「大法廷に回付されたことによって、最高裁が、この問題について初めての憲法判断を下すことは確実と思われる。今回の決定は、最高裁がこの事件の重大性を認識した結果と思われるので、われわれにとっては極めて歓迎すべきものと考えている。」ということである。

 憲法は国の骨格を規定する最高の法規である。その憲法で、成人したすべての国民に国政の参政権(投票権)を保証しながら憲法より下位法である公職選挙法の不備により海外在住の日本人は選挙権を行使できないでいた。それが改正されて在外選挙が可能になったが、当面の間という但し書きがあるとはいえ比例代表区にその対象が限定されているのは重大な違憲状態だといえる。

 日本では最近急速に憲法改正の論議が高まってきているが、憲法は国を形作る骨格であるとともに世界に向かってその国の性格を宣言する宣言書でもある。改憲の論議は充分に尽くさねば悔いを千載に残す。このような時期にあたり在外日本人選挙権の違憲問題が最高裁の小法廷から大法廷に移され審議されることは大変な意義を持つものと期待したい。

 この運動の経緯は、「海外から一票を!〜在外投票運動の航跡」として刊行された。そこには10年にわたり運動に携わってきた世界各地の人々の熱い思いが込められている。海外から国政に参加するということがどのような価値を持つのか、海外に身を置く多くの人が共に考えて欲しいと願うものである。
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[139] 国民栄誉賞  2011/03/22 20:22:48
掲載日:11/03/2004  E-Mail  Home
 今年の大リーグでの日本人選手の活躍はどうだ。松井秀樹が名門ヤンキースの4番に座りプレーオフで活躍、イチローはついに84年間破られなかった年間案打数を更新した。ドジャースの石井も13勝を上げたし今期中盤からストッパーとして活躍した高津投手も来年は更に活躍するだろう。

 初めて野茂が大リーグに挑戦したとき、日本中の野球ファンが「どこまでやれるか?」と不安と期待を持った。野茂は独特のトルネード・フォームで勝ち進み、長期のストライキで離れたファンを大リーグに呼び戻した。彼の活躍が他の日本人選手に大リーグへの希望と意欲を与えたと思う。そして彼は野球界だけでなく、バブル後の長期景気不振に沈んだ日本全体にも明るい希望を与えたのである。

 イチローにしても松井秀樹にしても、彼らのインタビューの答えは人を感動させる。言葉が人に何を伝えられるか・・・アメリカ人の小学生でも即座に答える能力に感心していたが、彼らは野球のみならずコミュニケーターとしても大リーグの仲間入りを果たしたといえるだろう。

 年間安打262本、偉大な記録を作り首位打者に輝いたイチローに国民栄誉賞の授与が打診された。「国民栄誉賞は日本国民として最高の賞と考えており、大変光栄である。ただ、自分としてはまだまだこれからやらなければならないことがあり、プレーを続けている間はもらう立場ではないと思う」とイチローは断った。「野球生活を終わり、本当にやりきったという時にもしいただけるのであれば、大変ありがたい」というから国民栄誉賞の打診を否定しているわけではない。

 勲章などの名誉賞は功成り名を遂げてから授与される。賞を与えてあとで不祥事を起こされては困るという理由もあるのであろう。主にスポーツ選手に与えられた国民栄誉賞はその意味で若干違うかもしれない。イチローがまだ早いなら、日本中に夢と希望を与えた真のパイオニア・野茂選手に賞を上げてはいかがだろうか?
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[138] エンセナダにて  2011/03/22 20:21:58
掲載日:10/16/2004  E-Mail  Home
 メキシコはエンセナダでのアートキャンプに誘われて一泊旅行をした。

 サンディエゴの市内を通り国境を越えるとがらりと景観が変り路面が悪くなる。ティワナの街を抜け、峠を越えて混雑した工事現場を通り抜けると道もよくなった。下りきると街中へ入る。道路はやたらALTO(ストップ)のサインが多くフリーウェイはなかなか現れない。とうとう不安になって車を止め食堂のような店に飛び込んだ。

 30過ぎのお兄さんが「そこを右に廻ってカーブしている道沿いに真っ直ぐ行けばフリーウェイにたどり着くから」と教えてくれる。以前聞いた「メキシコ人は親切だからね。知らなくても道を教えてくれるんだよ。少なくとも3人に聞かなくては。」の言葉が頭の中をよぎる。それが顔に出たのだろうか「よし、俺が案内してやるよ。ついてきな。」と外へ飛び出した。相手はトヨタの新車バン、後についてゆくとなんとフリーウェイにまでは2マイルもあった。

 彼はフリーウェイまで先導して料金所の手前で車を止め、「これを真っ直ぐに行けば約1時間半でエンセナダだ。気をつけてゆけよ。」とチップを渡そうとする手を振り切って帰っていった。今までもメキシコ人の陽気さと親切にはたびたび出会っているが、この親切は身に沁みて嬉しかった。そのせいかバハ・カリフォルニアの沿岸沿いに走るフリーウェイは快適そのもの、緑は少ないが紺碧の海に岩礁に砕ける波が白く美しい。

 アートキャンプはエンセナダ市街の手前のホテル、コテージ風に1軒ずつに分かれている。裏は太平洋、沖には島が浮かび浜は白砂ならぬ丸い石だらけ、波が打ち寄せ引くたびにカラカラ、カラカラと音を立てる。

 夕方、浜辺に椅子を持ち出しカラカラとなる石の音を聞きながら悠久の時間に思いを馳せ水平線に沈む壮大な夕日を見つめる。やがて夕日は海面に一条の光の帯を描き、黄金色のLa Mira Mar(海への道)を演出すると静かに沈んでいった。
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[137] テロを根絶するには  2011/03/22 20:21:21
掲載日:09/18/2004  E-Mail  Home
 大統領選挙が近づきブッシュ、ケリー両陣営の攻防が熾烈さを増してきた。ここへきてブッシュ陣営がケリー陣営を10%以上引き離している。選挙の争点はテロでありイラク戦争だ。ブッシュが大統領になってアメリカの政策は一変した。環境保護をうたった京都議定書の批准を拒否し、国連や各国との国際協調を振り捨てて一国単独主義の色合いを鮮明にした。ワールド・トレードセンター・ビルを襲った911のテロ以降は正に一人わが道を行く感がある。

 アメリカ以外の各国の世論調査では、断然ケリー(というよりは反ブッシュ)の方が支持率が高い。冷戦崩壊後のアメリカ一国のみが突出した世界にあっては、アメリカの大統領選挙は他国にとっても他人事ではない。米大統領の方針により明日にも重大な影響がわが身に降りかかってくるからだ。

 今まで普通に日常生活を営んでいた国へ突然世界最強の武器を持った軍隊が押し寄せ、抵抗するべくもない空からの爆撃、戦車による掃討作戦、無差別な逮捕と拷問が行われる。それは日常生活を送っていた民家へ機関銃や自動小銃で重装備をした強盗団が押し入ったようなものだ。器物は破壊され家族は殴られ殺されてゆく中で人々は何ができるのだろう。家族を守るため機関銃や自動小銃に向かって自分の身を捨てて素手で突進してゆくほかないではないか。人々はテロが起きるたびに非人道的だと非難する。しかし追い詰められた人々にとって他にどんな手段があるというのか?

 自分の命を投げ出すのはこのような状況で起きる。テロは絶望から起きるのだ。テロを根絶する方法は抑え込むことではない。人々に希望を与えればよいのだ。殺しても殺してもテロの志願者はあとを絶たない。若者に明日への希望がなく目の前に理不尽な暴力が横行し自分たちの民族の誇りが踏みにじられてゆく・・・・。

 日本の神風特攻隊として散っていった若者たち、「自分は明日大空へ散ってゆきます。アメリカ軍が本土へ上陸して日本民族が滅んでしまっても、ここに誇りを持って命を懸け抵抗した私たちがいたことは歴史に残るでしょう。やがていつの日か、灰の中からその誇りゆえに日本民族が再び立ち上がる日が来ることを信じています。」

 もう一度強調したい。「テロは絶望から起きる。テロの根絶には人々に希望を、若者に明日への夢を!」と。
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[136] コミュニティ・ホスピタル  2011/03/22 20:20:43
掲載日:08/21/2004  E-Mail  Home
 トーレンスにリトルカンパニー・オブ・メアリー・ホスピタルというコミュニティ・ホスピタルがあるのをご存知だろうか?先日私はこの病院を見学させてもらった。

 トーレンス地域は日本人・日系人も多く住んでいてこの病院にお世話になっている。そのためジャパニーズ・プログラムがあり、日本語ヘルプラインで日本語による相談ができる。実際に病院に行くと専門用語で戸惑いがちな受け付けでの登録や保険・メディケアなどのシステムも親切に日本語スタッフのNさんが手伝ってくれる。英語やアメリカの医療システムに慣れない日本人にとってはなんとも頼りになる。保険を持たず現金で支払う患者にはかなりなディスカウントもあるそうだ。

 この病院は私立だがコミュニティ・ホスピタルと呼ばれるとおりコミュニティの人々に支えられている。週に延べ400人以上ものボランティアが働いているのがそのよい証拠だろう。ボランティアは青い上着に白いパンツ、誰が見ても見分けがつく。ボランティアに登録すると、インタビュー、オリエンテーション、熟練者からの指導を受ける。働く時間は4時間で午前の部と午後の部がある。途中で出会ったドイツ人のボランティアは98歳、40年以上のボランティア暦を持っているそうだ。

 2年ほど前に新病棟が完成したがそのほとんどが民間からの寄付である。自分たちのコミュニティにこのような立派で親切な病院があることは住民にとってどれだけ心強いか。その思いが寄付やボランティアになって現れている。「自分たちの住環境は自分たちで、そのためには汗も流すしお金も出す」というアメリカ式民主主義の精神がここに凝縮している。

 広々として設備の行き届いた病室、明るくゴージャスな病院内、親切なスタッフ、みなさんも一度訪れてみませんか?
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[135] 戦火の中の子供たち  2011/03/22 16:30:36
掲載日:07/24/2004  E-Mail  Home
 7月22日づけの羅府新報に、「いわさきちひろ」について黒柳徹子へのインタビュー記事が載った。黒柳さんはユニセフ親善大使として世界の子供たちを励ましている。

 その黒柳さんが、「ベトナムに行って驚いたのは、ベトナムの子供たちの顔がちひろさんの描いた『戦火の中の子供たち』の絵とそっくりだった」「目の鋭さが違います」死ぬか生きるかの中で生きている子供は、「世の中をちゃんと見ようという目をしています」「早く死んでしまう子供は、一瞬でも多く世の中を見ようとするために、ああいうしっかりした目になるんです」と述べている。

 自然の草木や果樹は、栄養が行き届くと大きく葉を茂らせ幹を大きくするが、花や実はそれほどでもない。ところが水が充分でなく枯れそうな年は、必死になって子孫を残そうと沢山の花を付け実を実らせる。人間も危機的状況に置かれると、自然に目の光は強く輝き、物事を突き詰めて考え、深く自分を見据えるようになる。

 しっかりした目つきの子供がいるのはいい。深く考える子供がいるのもいい。しかしそれが、母や父や兄弟たちが目の前で殺されたり、家が爆撃で吹っ飛ばされたり、地雷で人の手や足が宙に舞ったりと、より多くの残虐な場面を見、想像を超える理不尽な世の中を深く考えざるを得ない結果だとしたら悲しい。

 いわさきちひろは、うれしい子供、怒った子供、悲しみにくれる子供、甘える子供と55年間の生涯に7000点近くの作品を残したそうだ。多くの家庭にちひろが描いた子供のカレンダーや絵本がある。愛らしい様々な表情の子供たちで人々を魅了したちひろの作品だが、『戦火の中の子供たち』を私はまだ見ていない。

 8月4日、東京のイイノホールで黒柳哲子の講演があるそうだ。アフガニスタンで、イラクで、ルアワンダで、様々な戦火に会い肉親を失い孤児なった子供たちが何十万人いるのだろう。このような状況で、ちひろにまつわるどんな話が聞けるのだろう。ロスの講演会なら何をおいても駆けつけるのだが・・・。
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[134] 根付くか在外投票制度  2011/03/22 16:30:07
掲載日:06/26/2004  E-Mail  Home
 参院選挙が始まった。現在、在外選挙人の登録をしているのは約6万1千人、海外在住者の約1割である。ロスアンゼルス総領事館管轄では4月末で4875人とこれも約1割に過ぎない。低率の原因は、駐在員や若年層の無関心、広報の不徹底などがあげられているが登録や投票手続きが複雑で面倒なことにも起因している。

 手元の在外選挙人証を見ると衆院選挙が2回、参院選挙が1回と過去3回の投票をしている。今回は少し選挙制度が改善されたようだ。第一の改善点は、郵便投票ばかりでなく在外公館で投票が出来るようになったことだろう。郵便投票では投票用紙請求から投票に至るまで3回も郵便が海を渡り普通の航空便だと15日前後かかる。

 今回の参院選では総領事館での投票も認められるようになった。これで気がついたら手遅れという事態は大いに改善された。投票できるのは6月25日から7月4日まで、土日や昼休みも含めて午前9時半から午後5時まであけるそうだ。お役所とは思えないサービス振りだ。メディアを通しての広報も活発化しており喜ばしい現象だ。

 日本の国は貿易で成り立っている。貿易が止まれば人間が多くて資源の乏しい日本はたちまち枯渇してしまう。日本の国防とは如何に自由貿易を続けるかにあるといってもいいだろう。そのためには国際世論を味方につけねばならない。多くの外国人は日本など訪れたこともない。その人たちが日本を判断するのは身近にいる日本人や日系人をみて判断するしか方法がない。したがって海外に住む日本人、日系人は日本の動く広告塔の役割を果たすことになる。良きにつけ悪しきにつけわれわれの言動が日本の評判に直結するのだ。

 日本国内の繁栄は海外にいる在留邦人のビジネスや暮らしに直ちに反映する。この構造からすると国内と海外の在留邦人は持ちつ持たれつの関係だといえる。政治が駄目だという前に何か自分たちで出来ることはないのかと第1歩を踏み出すのが民主主義の原点である。自分たちの社会は自分たちで築くより他はない。その第1歩の最大の手段が投票である。

 この貴重な機会に一人でも多くの人達が投票を行うように願って止まない。
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[133] 就職のお祝い  2011/03/22 16:29:35
掲載日:05/29/2004  E-Mail  Home
 春、日本では就職活動が早まりこの時期にすでに来春の卒業生の就職が内定してしまう。毎年研修で訪れるゼミ生からも次々と就職内定の便りが届くようになった。その中の1通を紹介したい。

 「ご無沙汰致しております。昨年の海外研修では、本当にお世話になりました。私は4月中旬まで就職活動をしておりまして、なんとか、B商事に決まりましたのでご報告させていただきます。私が就職活動の面接官とのやりとりで中心になったのは二度の海外研修の経験と、そこで得た私達一人一人が歩く日本の広告塔であるという意識や、現地の人との信用、信頼関係の大切さでございました。海外研修での成長がなくては、このような結果にはなっていないのではないかと思っております。本当に、感謝致しております。」

 Aさん、B商事へのご就職おめでとう! 念願がかなってよかったですね。高度成長時代は商社が最もスポットライトを浴びた時代でした。商社の社員は世界に飛び散り、日本経済の尖兵として活躍しました。

 その時代の商社の機能は、資金と情報のネットワークで日本の商品や技術を世界の隅々まで売り込み現地の1次産品を買い付けに走っていました。海外の知識や情報、ネットワークと取引のノウハウを知らない日本の会社にとって商社は誠に頼りになる存在だったのです。

 時が移ってインターネットで情報が氾濫する時代となりました。日本人が海外へ出かけるのは国内旅行と同じ気軽さ、小学生までが修学旅行で海外へ行くようになりました。海外の情報は容易に得られ通信も簡単になりました。もはや情報やネットワークは商社の独占ではなくなったのです。

 この時代に商社の活躍する道は企画力です。世界に張り巡らせた支店網と豊富な人材を使いどのようなビジネスを企画するか?商談は如何に自社に有利に取引をするかではなく、如何に価値を創造するビジネスを企画しそれを取引先と分け合うかです。取り合うのではなくシェアする、それを可能にするのが君たち商社マンの創造力です。

 常に柔軟な姿勢と思考方法、世界に広がった大きな視野を持って時代の先を見つめ創造的な仕事が出来るように頑張ってください。
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[132] イラク虐待事件の意味  2011/03/22 16:28:57
掲載日:05/08/2004  E-Mail  Home
 最近大々的に報道されたアブグレイブ刑務所の虐待報道は世界の人々の眉をしかめさせた。

 ロケット博士で知られた故糸川英夫教授によると「人間はいかに経済的に恵まれても一つの民族が他の民族に支配されることには耐えられない」そうだ。

 今回の虐待の発端は、尋問が始まる前に容疑者の神経を弱らせろという要請に基づき、反抗心を砕くには自尊心を傷つけるのが一番手っ取り早いと考えたのだろう。イスラムの男にとって最も恥ずべきとされる手段がこれでもか、これでもかと考え出された。

 これらの収容者の多くは検問所や通りがかりに拘束された人達で、尋問のあと6割が釈放されているという。罪なくしてこのような目に会った人達の心の傷はどうなるのか?アメリカ軍にはそれをどう償う手段があるのだろうか?

 戦争終結宣言後の米軍死者は戦争前の数倍になる。フセイン元大統領が捕らえられても事態は沈静しない。むしろテロ攻撃は毎日激しさを増している。アメリカ軍は物理的な戦闘のみに重点を置いて、これが民心を安定させるための「心の戦い」だということを忘れている。本当にイラクの民が求めているのは、安心して住め(治安)、家族を養え(職の安定)、一人一人が誇りを持って生きること、である。

 人々に憎悪の念があり明日への希望が持てない限りテロは止まない。次々と指導者を殺害しても次に立ち上がる指導者はあとを絶たない。いや、今ではテロではなく明らかに国民の抵抗運動の様相すら見せている。このような状況で、「武器を捨てろ。そうすれば停戦に応じる。」といったところで誰が信用するだろうか?信用させなくしているのはアメリカ軍そのものなのだ。

 内部告発は1月13日、調査報告書は3月3日に完成、この戦いの意味を理解していれば大統領や国防省・軍の指導者は手を打つ時間はあったはずだ。この事件でアメリカ軍が受けたダメージは航空母艦数隻分にも匹敵する。そしてアメリカ人全体のイメージが全世界で傷つくことにならないだろうか?
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[131] 相互理解とは  2011/03/22 16:28:30
掲載日:04/10/2004  E-Mail  Home
 「こんなに警察の幹部が一般市民と交わるのは初めて見たよ。日本では考えられないなあ。」とは先日サムライパレードに参加した相馬のサムライ達の感想だった。

 リトル東京の街を騎馬武者たちがロスアンゼルス市警とパレードを行い、警察の幹部たちもそのあとはプラザで初体験のお茶席に参加したり子供たちに囲まれて質問に答えたり、一日中笑顔を絶やさなかった。

 日米の国交が正式に開かれて150年、日本はアメリカから様々なものを学んできたが制度上の違いは多々ある。そのうちの一つは、アメリカではシティが警察機構を持っていることだろう。市長が任命したり選挙であったり警察委員会が推薦したりと市によって様々だが、警察トップの任命は市議会の承認を得ることには変わりはない。だから警察幹部には市民サービスが自分たちの本分であるとの認識は日本に比べるとはるかに高いように思える。

 生まれも育ちも違う他人同士がお互いを理解しあうのは相当な努力が要る。まして外国人同士だとなおさらのことだ。アフガニスタンやイラクの悲劇もここにある。文化背景の違う国が自分の常識や正義を押し付けても人々は納得しない。お互いに分かり合えるのは、何かを共同して行うのが一番だ。共通の目標に向かって様々な障害を乗り越えてゆくことで相手のやり方や考え方、能力が見えてくる。やがてそれは信頼と尊敬に変わって行く。そして目標を達成したときにその感動は頂点に達する。同じ釜の飯を食った仲間意識が芽生える瞬間だ。

 相馬のサムライと、警察という現代のアメリカのサムライ、お互いに言葉は通じなくてもイベントを通じて生まれた仲間意識は交わす笑顔のうちに読み取れた。異文化交流とは、見せることで理解してもらうのではなく一緒に何かを行うことで理解し合えるというよい例だろう。相馬のサムライたちは友達に、子供や孫たちにその感動を語り継ぐに違いない。
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[130] 渡辺謙からのメッセージ  2011/03/22 16:27:58
掲載日:03/13/2004  E-Mail  Home
「日米和親条約150年周年おめでとうございます。

150年の間、日米の間に様々なことがありました。
文化の違い、習慣の違い、そして言葉の違い・・・
様々なギャップの中で年月を重ねてきました。

私達はこれからどうやってこの友情を続けていくのでしょう。
その為には、尊敬と信頼を込めた語り合いを通じてお互いの理解を深めるしかないのではないでしょうか。

私達はラスト・サムライと言う映画を通じてそれを体現させていただきました。
本当に心を一つにすれば壁は越えられる。
そして同じ感動を分かち合える。
戦うのではなく分かち合う、そして友情を深めていく。

私は映画というフィールドで皆さんの努力や苦しみや喜びを映し出したい・・・
またお目にかかれるその日まで・・・ 」

 3月14日と目前に迫ったリトル東京でのサムライパレードにラスト・サムライに出演した渡辺謙からのメッセージが届いた。残念ながらアカデミー賞は逃したがメッセージには彼の心が色濃く表れている。忙しい仕事の合間を縫って書いてくれたのだろう。未来にかける情熱と人々への思いやり、彼はやはり現代のサムライだ。

 サムライパレードでは多くのアメリカ人から好意的な反応がある。現代のストレスに満ちた仕事や生活、人間関係から、命をも懸けた信念、情熱、信義、友情、忠誠などがひとつに込められた「武士道」に時代や人種を超えて人の心を捉えるものがあるからだ。

 カリフォルニアへの移民は幕末の頃から始まっていた。一介の鉄道工夫や日雇い農夫から身を起こした人達が今では堂々たる日系社会を築き上げてきた。「日米和親条約150周年」はアメリカ移民150周年の歴史でもある。その記念に1050年の伝統を誇る相馬の騎馬武者達がロス市警とリトル東京をパレードする。これだけでも心躍る光景ではないか。アメリカ人の友人を伴って見にくれば「これが本当のサムライです。」と誇りを持っていえるに違いない。
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[129] US-Japan サムライパレード  2011/03/22 16:26:29
掲載日:02/14/2004  E-Mail  Home
 毎年3月にサンタ・アニータ競馬場で相馬野馬追の騎馬武者たちのデモンストレーションが行われる。4、5百年もの昔から伝わった家伝来の甲冑を身にまとい色鮮やかな旗指物を背になびかせた武者たちがホームストレッチを疾走する。ほら貝が鳴り響き、土煙が上がり眼前に戦国絵巻を彷彿とさせる。

 今年はその相馬野馬追の騎馬武者とロスアンゼルス市警察(LAPD)の騎馬警官隊によるパレードが小東京で行われる。様々な警察の不祥事に揺れたLAPD。その新本部長に任命されたウィリアム・ブラトン氏は見事に混乱を鎮めた。ブラトン本部長の目指すところは「市民と警察の協力による地域防犯」だ。今回のサムライパレードは正に「市民と警察の協力」を象徴するものといえよう。

 ミーティングには、総領事館、日米協会、日米文化会館、全米日系人博物館、日系婦人会、県人会協議会など数多くの団体から代表が集まり、様々なアイディアを出したり人を紹介してくれる。イベントの規模は広がり内容は更に充実しつつある。パレードの到着地・日米文化会館広場のステージ上では、LAPDへの質問コーナーを設けている。警察幹部へ直接質問することにより、警察の役割、市民に期待する協力、現在直面している問題点などが浮かび上がるだろう。ステージで行われる様々な演技に加えて、周辺にはお茶、お花、習字などの日本文化紹介のブースがあり、一般市民同士の異文化交流が実現する場である。

 夜のディナーでは市警本部長や総領事をはじめ多くのゲストが集まり、日米和親条約締結150周年を祝って総領事館からのビデオによる説明が行われる。このパレードでアメリカのメディアの注意を引くことができれば日系社会のプレゼンスを高めるには絶好のチャンスである。この機会に日系社会全体でイベントを盛り上げることができればその効果は小東京に留まらないだろう。
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[128] サムライ(武士道)とは  2011/03/22 16:25:58
掲載日:01/10/2004  E-Mail  Home
 今年のアカデミー賞に話題の映画「ラスト・サムライ」で 主演したトムクルーズと助演の渡辺謙がノミネートされた。渡辺謙の重厚な演技は主演よりも存在感があるとの評判だ。私は昨年暮れに観たが、友人の話では終わったとたんに場内から拍手が湧き起こったというからアメリカ人の観客にも内容は充分理解されたようだ。

 以来、サムライ(武士道)とは何かについて考えている。江戸時代までの武士にはこの映画のような意味合いでの「武士道」はなかった。彼らを衝き動かしたものは欲望と意地であって、のちの武士道という精神的なものではなかった。徳川の世になって世の中が安定し、身分が固定されてくると武士は支配階級として読書の習慣を身につけるようになる。各藩では藩校で武士の子弟を教え、町人までも教養人を目指すものは寺子屋や塾に通った。徳川末期の幕末にあっては300年の教養時代を経て武士たちは形而上的思考法が身に沁み込むようになっていた。

 松下村塾で知られる吉田松陰はその江戸留学の際、漢学を安積艮斉、洋学・漢学を古賀謹一郎、兵学を山鹿素水、洋式兵学を佐久間象山について塾に通ったという。江戸の町ではこのような沢山の塾が経営的に成り立つほど学問への需要が多かったのである。

 世の中が安定し貨幣経済が発達すると、商人や大百姓が財力で力を持つ。他方、俸米で成り立っている武士の生活は苦しくなる。その彼らを支えたのは「自分はサムライである」という強烈な誇りであった。サムライの誇りとする武士道とはなにか? それは「人はどのように考えどのように行動すれば美しいか」という行動美学であろう。その根底には「私を捨てて公のために 生きるのが士太夫」とする儒教の教えがある。その行動美学のためにはいつでも命を投げ出せるという覚悟こそ「武士道」である。

 このような武士道に裏打ちされた「サムライ」という人間像は、作家の司馬遼太郎氏の言葉を借りれば「多少奇形ではあるがその結晶のみごとさにおいて人間の芸術品とまでいえるように思える」となる。サムライが武士道という美的行動基準に基づいて行動するとき人々の感動を呼ぶのであって、彼らが刀槍によって戦う戦士だからではない。武士道は、いつの時代、どの国にあろうとも輝いて人々の感動と尊敬を勝ち得るだろう。
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[127] ゼミ生からの帰国メッセージ  2011/03/22 16:25:33
掲載日:12/20/2003  E-Mail  Home
 大学の先生の依頼で始まった海外ゼミ研修、今年は17名と予想を超える人数となった。わずか10日間で彼らは見事に変わって行く。毎年それが楽しみで続けている。彼らが何を感じ何を考えたか以下にご紹介したい。

 この10日間で学んだものは予想をはるかに超える多さで、毎日が驚きと発見の繰り返しでした。今までそれなりに自信をもって生きてきて、それなりに日本が好きでした。けれどその理由を真剣に一から考えた事など、正直ありませんでした。日本人としての誇り、国際人としての生き方。この2つをうまく合わせて生きてゆくためには自分は何をすればよいのか、もう一度よく考えたいと思います。

 今年はプロジェクトリーダーとして参加させていただきましたが、私自身昨年以上に自分について深く考え、将来についていろいろな選択肢を考えることができました。また、参加者全員で、海外研修の素晴らしい経験、感動を共有できたことも大変嬉しく思っております。今回は、各企業担当、御礼状担当、ミーティング担当など割り振り、それぞれが責任を持って役割を担ったことが成功につながりました。
 私は今回の研修で、海外で生活するための生の常識や現地の人でないと知らない常識をみんなに身につけて欲しいと思っていました。そういった点では僕のアドバイスを受け入れてくれ、良い収穫が得られたと思います。しかし、そればかりに気をとられていた私は「日本人として生きる」というもっと大きなテーマを忘れていた気がします。高校時代に現地人として生きることを目標としていた自分にはなかった考えかもしれません。日本人であることにプライドを持ってはいましたが、実際に日系人の歴史やアメリカで育まれた日本人文化についての知識がないままでは本当に日本人として生きることはできていなかったような気がします。

 考えること、歴史理解と英語の重要性を一番痛感いたしました。「自分に誇りを持つ」ということを第一に考え、これからがんばりたいと思います。

 多くの人達の協力でできた研修、お世話になった人達へ感謝を込めて彼らの思いを伝えたい。
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[126] 日本の電話システムに戸惑う  2011/03/22 16:24:47
掲載日:11/22/2003  E-Mail  Home
 久し振りの日本、といいたいが2月に帰ったばかりだからまだ1年に満たない。空港へ着いて電話をしようとテレホンカードを買った。千円札を入れると小さな箱型のものが出てくる。カード1枚にしては仰々しい包装だ。中からカードを取り出し電話機に挿入しようとするとカードが入らない。サイズが大き過ぎるのだ。何度も何度も試したがどうしても合わない。見廻すと別な種類の電話機がある。IC テレホンカードの電話機だ。専用の自動販売機に千円札を入れボタンを押す。カードを電話機に挿入すると「端を切ってお使いください」と画面に表示が・・・。取り出してコーナーを切り再度差し込む。電車の時間が気になりあせっているので説明書をよく読む暇もない。結局電話をするまでに20分近くもかかってしまった。

 以前の電話は簡単だった。五百円、または千円のカードを買って単純に差し込むだけ。通話が終わるとカードが戻ってきて使用した分の穴が開く。単純明快だ。当時、公衆電話は至る所にあり電話をかけるのに不便はなかった。それが何年か前から携帯電話の普及と共に街中から公衆電話の数がぐっと減ってしまった。携帯電話を持たない旅行者には不便極まりない。いまや日本は携帯電話の普及率で世界のトップクラスを占め、小学生までが持つようになった。E-mail が携帯電話で送れるようになってから街中や電車でところ構わずしゃべっていた若者たちが黙々と携帯のキーを押している。

 電話は本来特別に用件のあるときに掛けるものだった。それがいつの間にか自分の分身のようになり、電話以外の機能が次々に加えられてゆく。写真が撮れ、音楽が送れ、ホテルの予約ができ、自動販売機で買い物ができ、宅配便のピックアップも予約できる。やがて自宅の鍵の開閉やお風呂や電気釜のスイッチオン、窓の開閉まで。電話は日常に欠かせないものになり ID にさえなる。

 このシステムに慣れない旅行者は疎外感を味わう。地下鉄や電車の乗降システムもそうだが変化が目まぐるしい。日本を離れる頃やっと慣れても次に来たときにはまた戸惑う。変化の激しい日本を身に沁みて感じた。
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[125] 吉田兄弟  2011/03/22 16:23:47
掲載日:10/25/2003  E-Mail  Home
 舞台の中央を割って左右対に設けられた演奏台、強烈なスポットライトに照らされて三味線の奏者が二人浮かび上がった。一人は頭を金茶に染めててっぺんを盛り上げ、もう一人は黒髪の頭をおかっぱ風に、白の着物に海老茶の袴、背後に4人のバンドを従える吉田兄弟のロスアンゼルス初公演を聴きに行った。

 津軽三味線・・・本州最北の地・青森県津軽地方に興ったこの三味線は「ぼさま」(坊様)の門付けから始まった。農家を巡り歩いてはその門に立ち、三味線を弾いて食物の恵みを乞う。北国の短い農期を厳しい労働に従事した人々は、ひと時の骨休めを夏のねぶた祭りで爆発させる。風雪に耐え戸外で演奏する三味線は、都会の室内楽器たる三味線とは異なり、大きな音を出さねばならない。そこから棹は太く、バチを胴に叩きつける独特の奏法が発達した。この三味線が広く愛されるようになると、祭りなどで三味線大会が行われるようになった。一人が工夫を凝らした奏法を披露すると次の者がさらに新しい技で挑戦する。曲に基本形はあるけれど、随所に独自の工夫を凝らし、即興性を競う。

 “そうだ!この形態はジャズに似ている”民衆の生活音楽からの発祥という点でも共通点がある。

 吉田兄弟の演奏台にも譜面台はなかった。ターン、トン、ターン、トンと単調な調子から始めるのは調弦のため。これを繰り返しながら弦の音合わせが済むと「ハッ」と気合を掛け、本曲に入っていく。

 津軽三味線の特徴はバチを胴に叩きつける力強さと、抑える指で糸を弾く奏法で紡ぎ出す軽妙さ・軽快さにある。左手は激しく太棹の上を動き、高音から低音まで変化がめまぐるしい。押えた指を弦に滑らせると独特の音を奏でて津軽三味線の味となる。兄が伝統的な音を、弟が現代的な音を使い作曲にも力が入ってきた。ドラムやベースギター、キーボードをバックにした彼らのパンチの効いた音楽は若者層にも受け入れられる。

 スタンディング・オーベイションに沸くステージで若さにはちきれんばかりの吉田兄弟に世界に通じる可能性をみた。
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[124] オーロラ・コンサート  2011/03/22 16:23:15
掲載日:09/27/2003  E-Mail  Home
 5周年を迎えたオーロラ基金のコンサート。さだまさし、森山良子、加山雄三と続いて今年の友情出演歌手は“イルカ”。代表曲「なごり雪」で知られるイルカは自分で作詞・作曲し自ら歌うシンガーソングライターだ。

 長時間の空の旅でロスに着いたイルカは疲れ体調は万全ではなかった。しかし、休む間もなく記者会見、サイン会、敬老引退者ホーム慰問、リハーサルと超人的なスケジュールをこなしたイルカは、疲れた表情も見せずコンサート前日のアワード・ディナーで3曲ばかり歌ってサービスに努めた。

 コンサート当日、「汽車を待つ君の横で・・・」と歌が流れ始めると聴衆は次第にイルカの世界に導かれてゆく。派手な歌ではない。華やかな歌でもない。軽妙なトークを交えながら普通の人の生活や感情、自然との調和を基調とした歌が次々と流れてゆく。人々は次第に心が優しさに満たされ、思いやりに溢れた顔つきになり、胸の奥底で何かを考え始める。

 「ああ、イルカの歌は漢方薬だ。じわじわと心に沁み入り効いてくる。」と思った。

 コンサートの冒頭、ハンガリーから駆けつけたフェレンク・カコの砂絵が披露された。音楽に合わせて下から照明を受けたガラス台の上に次々と砂の絵が描かれてゆく。プロジェクターでスクリーンいっぱいに投影された砂絵はまるで魔術師のようだ。

 さっとまかれた一振りの砂が顔の輪郭を形作り、さらっと指先からこぼされたわずかな砂粒が活きているような目や唇を描いて生命を吹き込む。完成したと思ったらあっという間もなく砂で消されてゆく。間髪をいれず指がガラス面をすべるともう次の絵が現れる。一瞬の遅滞もなく次々と眼前に現れては消えてゆく絵は夜空に咲く花火を連想させる。人々の驚きは感動に変わり、やがて賞賛へと昇華する。

 コンサートを通じて知った魂のときめき、「アートが人々に感動する心、優しさや思いやりの感情をもたらす」ことを実感した。このロスの地に感動をもたらした二人のアーティストに心からの感謝と拍手を贈りたい。
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[123] 自分発見の旅  2011/03/22 16:22:42
掲載日:08/30/2003  E-Mail  Home
 「あなたは自分が日本人であることをどう思いますか?」「日本人であることに誇りが持てますか?」。関西クラブの招きでロスアンゼルスを訪れた日本からの研修生(大学生)は訪問先でいきなりこのような質問を受け戸惑ってしまった。今までこのような問題を深く考えたことはなかったからである。

 質問したのはロスアンゼルス港のM氏。これは彼の子供たちに課せられた宿題の一部だそうで、アメリカの教育では正解は一つという質問より子供たちに考えさせる質問が多いという。彼はマーケティングの専門家だが、ロスアンゼルス港が環太平洋の国々からの輸出入品を扱う上で各国の国情、国際関係、国民の自意識や感情を知ることはマーケティング戦略に欠かせないと強調する。

 また、多人種の混在する職場や町で働き住むには常に「自分とは何か?」「祖国とアメリカの関係は?」と自問し、その中で自分のポジションを確認する必要に迫られる。このような深い理解があってはじめてロスアンゼルス港も効果的なマーケティング戦略が立てられるのだろう。

 研修生は10日足らずの間に多くの企業を訪問し街を見たり2世週祭に参加したりしてアメリカ社会の一端に触れた。その間に得た知識はそれほど長くは記憶に留まらないだろう。しかし、自分を見つめ、国について考え、多様な人々、多様な考え、多様なシステムがあることを知った彼らは『自ら考えること』を始めるに違いない。これが今回の研修の狙いでもあった。海外に出ることは自分発見の旅、自分で考えることを始めた彼らの将来が楽しみだ。

 この研修には上海とモンゴルからの留学生も同行してもらったが、育ちや文化的背景の異なる彼らが加わったことで研修生たちはお互いに刺激し合って相乗効果を生んだ。その結果は最終日に行った成果発表会の場で既に表れていた。

 異文化や異なった考え方がぶつかり合うとき新しい文明が生まれることは歴史が証明している。この研修も4人の若者にそのような刺激を与えたとすれば企画者として嬉しい限りである。
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[122] アメリカに住む女性はたくましい  2011/03/22 16:22:09
掲載日:07/26/2003  E-Mail  Home
 電話が鳴り女性の弾んだ声、Aさんだ。「週末に息子の結婚式でラスベガスに行ってきたのよ。」と嬉しそうだ。Aさんはシングルマザー。もうずうっと何年も前にご主人と別れインテリア・デザインの仕事をしながら息子と娘を育ててきた。

 アメリカにはシングルマザーが多い。日本人もご多分に洩れない。そのような女性が頑張って明るく活動的な生活をしている。仕事と子育ての合間を縫い寸暇を惜しんでボランティア活動もする。日本からの研修生のホストファミリーがいなくて困っていると、「子供たちと一緒にリビングルームでいいならうちへどうぞ。午後6時までは仕事で面倒みられないけどね。」といってくれた。この人は3人の子供を抱えたシングルマザー。どうしてアメリカにいると日本の女性もこんなにたくましいのだろうと不思議に思う。

 ロスアンゼルスには実に様々な人達が日本からやってくる。女性でも、留学生、長期・短期の旅行者、駐在員、駐在員の妻、自営業と実にバラエティに富んでいる。そしてその多くが南カリフォルニアに魅せられここに住み着く。

 アメリカでは自ら働きかけ自ら切り開かなければ何事も起こらない。このような環境がいつしかたくましい女性を作り上げてゆくのだろうか。自分でビジネスを起こしている女性やその能力を有する女性が実に多い。しかし、本当にアメリカにいる女性が日本にいる女性よりもたくましいのだろうか?環境だけで誰でもそのように変われるのだろうか?

 「アメリカで3年頑張りました。学校に通ってプラクティス・ビザをとり仕事に就いたけれどどうしても好きになれない。一度しかない人生です。嫌いな仕事をしながら終えたくない。ビザの問題もあるので日本へ帰ります。」といって一人の女性が挨拶に立ち寄った。

 そうだ。この地へやってくる女性も多いが去ってゆく女性も多いのだ。ここの女性がたくましいのは、そうした試練をくぐって生き残った人たちだからだと気付いた。激動期や困難期に強い女性は未知の土地でも男よりたくましいのかも知れない。
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[121] 異文化交流は食文化から  2011/03/22 16:21:35
掲載日:06/28/2003  E-Mail  Home
 アーバインのシティホールをいっぱいに使って行われた「アーバイン・グローバル・ビレッジ・フェスティバル」、入ってすぐ右側の広場ではテントがずら〜っと並び、各国の料理が人々の目を奪う。中東料理あり、地中海料理あり、南米料理も中華やタイ料理も並んでいる。その一つに立ち寄ると、手早く盛り付けてくれて御代は要らない。料理も飲み物もみんな無料、たった5ドルの入場料でいいのかな? すべてが協力業者の無料奉仕、日本の業者は・・・、あったあった、オタフクのお好み焼きとカレーハウスのテントの前に行列ができている。

 食べて飲んで、おもむろに階段を上がり次の広場に歩を移すと正面にメインステージ。大会関係者や市長の挨拶に続いて各国の民俗芸能。シティホールの玄関を入ると各国の手芸品や絵画のブース。建物の裏側では更に特設ステージが設置され、こちらでも民俗芸能が次から次へと繰り広げられる。

 折り紙ブースに助手兼運転手で参加した私はこの光景に圧倒された。大人から子供まで、ステージで上演される芸能は地元の人たち。会場にはビデオやデジタルカメラを持った家族や知人がシャッターチャンスを狙っている。食べ物会場では次々と違った料理を味わい人々の顔が輝いている。おいしいものを食べて怒る人はいない。

 このフェスティバルはシニアの人たちが自分たちの民族文化を紹介し合おうと始まった。アーバイン市は人口14万3千人と比較的新興の街だ。人口構成は、白人57.0%、ヒスパニック7.4%、アジア・太平洋諸島29.8%、黒人1.4%、その他4.4%とアジアの占める割合が多い。アジアには中東も含まれる。会場にはイラン人やアラブ人も目についた。

 2001年9月11日、あの忌まわしい同時多発テロを境に中東の人達はいわれなき猜疑の目に晒された。疑いは不信を生み住民の間に摩擦を生じる。市長が、何とか他民族構成の市民の融和をと考えたのがシニアグループのこのフェスティバルを全面的に市が応援することだった。

 食べて飲んで歌って踊って、単純だけれど異文化が抵抗なく入り混じる。人々が理解し合えるには理屈よりも手っ取り早い。ボランティアを除いて日本人の影がほとんど見られなかったのが残念だがアーバイン市長に心からの拍手を送りたい。
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[120] すしブームの陰に  2011/03/22 16:20:07
掲載日:05/31/2003  E-Mail  Home
 保存食から始まった寿司が、日本を代表する食文化として世界に広まっている。多くの日本人がいるアメリカはもちろん、回転寿司はロンドンからファッショナブルな若者の店として日本に逆上陸したし、すしブームはロシア、ドイツ、イタリアでも火がついているという。

 17年前、メキシコシティでは日本食レストランが30店、その5年後には150店に増えたと聞いた。今ではどのくらいになったのだろうか? アメリカのすしブームは日系人の多いロスアンゼルスで映画やインターネット業界の好奇心に富む知識層からアメリカ人の間に広がっていった。

 箸をうまく扱うことが知的なステータスとなった最近の状況は、「生の魚を刻んで食べる?」と顔をしかめた以前のアメリカ人からは想像もできない。すしブームはいまやアメリカ全土に広がり、テキサスやテネシーなどの南部でも盛んだそうだ。もっともすし職人は中国人、韓国人、ベトナム人、メキシコ人などが増え日本人の職人は30%にも満たず、オーナーもその傾向に拍車がかかっている。

 これに伴い、わさびやしょう油、海苔などの日本食の食材も、値段で勝負の世界に入ってきた。最近は日本食材の業界で自嘲気味に次のように嘆かれている。「コピーペーパーより安い海苔」「真水より安いしょう油」「海の砂より安い粉ワサビ」「粘土より安い味噌」・・・。「おいしくて安全、健康によい」というのが売り物の日本食が、大衆化と共に「安くて量のある」ものを求める人が多くなってきた。

 当然、親方の厳しい訓練を受け、魚の扱い方から衛生観念まで修行と常識をわきまえている日本人職人とは感覚が違ってくるのはしょうがない。仕事が終わると調理場の隅々まで水をふんだんに使って洗いたて、調理服も清潔に保つのが職人の心意気。それがもしかすると・・残った食材が翌日に廻され、ひょっとすると翌々日までも・・・。もしも食中毒が頻繁に起こり、「すしは危ない」とのイメージが出来上がると日本食全般に影響を及ぼすと心配をする人もいる。

 異文化交流は食文化からといわれる。それが異国で定着するにはこのような過程を経てその地にマッチした料理へと変身するのだろう。
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[119] ルイス伊藤氏の叙勲に思う  2011/03/22 16:19:38
掲載日:05/03/2003  E-Mail  Home
 ロスアンゼルス検事局で長年検事を務めたルイス・伊藤氏が勲五等双光旭日章の叙勲の栄に浴した。

 伊藤氏は1970年から1994年まで25年間の検事時代を通じて、綿密な準備と明晰な分析・公正な判断、誠実な仕事の進め方で周囲の信頼を得た。特に1985から担当した「三浦事件」では日本語を解するという利点もあり、国際捜査にはうってつけの人物で、担当検事としてその実力を充分に発揮した。

 1981年に発生した三浦事件では、数多くの日本からの関係者、刑事、検事、マスコミの人たちがロスアンゼルスを訪れた。そこでぶち当たったのは日本とアメリカの刑事訴訟法の違いである。アメリカの刑事訴訟法を実地に熟知し、日本語を自由に解する伊藤氏は、彼らにとっては救いの神であった。伊藤氏は持ち前の親切心と誠実な人柄で事件担当以前から彼らに懇切丁寧に解説し質問に答えた。

 三浦事件を通じて日本との係わりが深まり、国際犯罪における国際協力の必要性を痛感した伊藤氏は、1991年に東京の府中で行われた国際連合アジア極東犯罪防止・更正研修所(UNAFEI)に法務省から客員専門家として招聘され講義を行った。すると、山口市で開かれるアジア犯罪防止基金(ACPF)でも話をして欲しいという。東京に戻ると今度は、東京地方検察庁から司法研修生への講義を要請された。このように伊藤氏の努力と誠実な人柄は、その豊富な経験と深い知識と共に人々を魅了し、日本の法曹界にアメリカの司法制度への理解を深めた。これらの経験を通して伊藤氏と日本の警察、検察庁の間には堅い信頼関係が築かれたのである。

 国際事件を通じて伊藤氏によって築かれた日米の相互信頼と相互理解は、単に伊藤氏やロスアンゼルス検事局に留まらず、連邦法務省・国際課(OIA)と日本の法務省との信頼関係へと発展した。近年、人的交流の増加に伴い日本人が犯罪の被害者や加害者になるケースが増えているが、犯罪防止の面からも、犯罪に巻き込まれた時の対処にも伊藤氏の貢献は活きるだろう。その意味で伊藤氏の今回の叙勲は大変に意義のあることと思う。
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[118] 警察本部長とのタウンミーティング  2011/03/22 16:19:03
掲載日:04/05/2003  E-Mail  Home
 市長との確執からロスアンゼルス市警察本部長が交代となり新本部長が就任して5ヶ月、日系社会との初のタウンミーティングが行われた。新本部長のBratton氏は制服に身を包み市警の主要メンバー10人余りを伴って現れた。

 「警官数5万4千人のNYに比べLAは6分の一、市警の職務は犯罪発生率を減らし市民に安全な職場と住環境を保つこと、市民の為にではなく市民と共に働きたい」と強調する本部長。限られた予算内で最大の効果を上げるためには市民の協力が必要とさりげなくアピールする。

 渡米して驚いたのは各市が自前の警察署や消防署を持っていること。日本ではこれらの機構は中央官庁が統制し、県警でも部長以上はすべて国家公務員、人事は警察庁が取り仕切る。縦割りの警察機構は国民の安全を守ると共に統制の機能も持ち合わせる。アメリカの警察はFBIなど一部の連邦組織を除いて市に帰属する。だから任務は市民の生活と安全を守ること。したがって警察の実績評価は市民が下す。タウンミーティングは市民に自分たちの仕事を知ってもらうと共に正しい評価を得るための貴重な接触の機会である。

 日本で長年検事の経験のある知人は、「日本ではBratton氏のように会の始まる30ー40分前から来て市民と歓談する警察幹部はいません。」と感心していた。「警察ではゴルフも内部のものとしかできません。できるだけ外部と接触をしないで癒着を疑われる個人関係を作らないのです。」とは九州方面管区長を務めた警察幹部の言葉である。

 かたや市民との接触を通じて理解と協力を求めようとするアメリカの市警、一方個人的関係を避けて公平なスタンスを保とうとする警察庁の幹部。いずれも職務に忠実であろうとするのだろうが、民主主義と地域主義の国のあり方の違いによって住民への対応がこのように違ってしまう。

 いずれにしてもこのタウンミーティングの成功は日系社会全体に好影響をもたらすだろう。
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[117] 不死鳥大阪よ立ち上がれ  2011/03/22 16:18:12
掲載日:03/08/2003  E-Mail  Home
 久し振りの日本、10日間で仙台、熊本、大阪、名古屋、東京と駆け巡ってきたがどこも景気のよい話は聞かれなかった。町のタクシーも年々悪くなる一方、東京だけがまあまあですねと返事が返ってきた。大阪などは、「一日16時間勤務を週に4回で月に17〜8万円。子供を抱えての運転手はとてもやってゆけません。」「昔は京都とか結構遠距離客が頻繁にあって近場の客は取らない。客をこちらが選んでいました。最近はちょっとそこの天満橋までといわれても、へえ〜おおきに!と喜んでゆきます。」

 各地の商工会議所にも立ち寄ったが、やはり大阪が深刻だった。長年頑張ってきた地場産業も10年以上続く不況に耐えかねて本社機構を東京に移してしまう。残った生産工場は中国へ。以前は工業用水の汲み上げで土地の地盤沈下が問題だったのが今は水が余って地下室に沁み出しているところもあるという。

 長引く不況で企業は経費を絞りに絞っている。人々も先の不安感から財布の紐を締めている。何とかこの暗闇から抜け出せないものか?国民もしばらく痛みに耐えて欲しいと小泉首相にいわれて久しい。政府に頼っていたのではだめだろう。

 大阪城の落城で政権が江戸に移っても大阪は商業の地として栄えた。大阪には全国の商品が廻船を通じて集まり各藩の蔵屋敷が並んだ。明治期にも東京へ政府の本格的な移行がなされ、第2次大戦でも徹底的な破壊にあった。その都度人々は笑い飛ばしながらしぶとく立ち上がった。大阪が不死鳥の町といわれるゆえんである。

 東京一極集中は危うい。大地震やミサイル攻撃があれば日本中が麻痺してしまう。各地の地方経済がそれぞれの特徴を出して活性化するといいのだが。その意味でもまずは大阪が地域経済を引っ張る牽引車として立ち上がって欲しい。その地の大学が地域の特徴を深く研究し理論的に引っ張れば地場産業も求心力がつくだろう。不死鳥大阪よ立ち上がれとエールを送りたい。
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[116] シニア用パソコン教授法  2011/03/22 16:17:34
掲載日:02/08/2003  E-Mail  Home
 1月29日付けの磁針に「教え急ぐ人々」というテーマで高齢者用パソコン教室に対する提言があった。多くの教室で一定の時間内にあれもこれもと詰込み過ぎ、急ぎ過ぎて高齢者がついてゆけないという報告である。

 パソコン教室でシニアがまず困るのはコンピューター用語だ。ハードディスク、CPU、フロッピー、マウス、Aドライブ、Cドライブ、カーソル、アイコン、CDーROMなど訳のわからない単語がいっぱい。聞きなれない用語に「ん?」「ん?んん?」と引っ掛かっているうちに「わかりましたね。では次へ進みます。」ともう先へ行ってしまう。最初につまずくと追いつくのは大変だ。

 アメリカにはシニアネットというNPOがある。「シニアのボランティアがシニアにパソコンを教え、インターネットや電子メールを通じて豊かな人生を送ろう」という組織だ。年を重ねれば、ただでさえ記憶が薄れがちで、人の名前も昨日食べたものも思い出せない。自から苦労して覚えたシニアが教えるから習うシニアの立場や心境がよくわかる。だからシニアネットでは、教えるインストラクターの他にコーチと呼ばれる助手がつく。説明に合わせてほとんどマンツーマンで「ハイここへマウスを持っていって」「慌てなくても大丈夫。ゆっくりでいいよ。」と助言する。テキストもシニア用によくできているがコーチの存在が大きい。

 マウスの使い方からワード、インターネット、eーmail、簡単なグラフィックスまで2時間の授業が週2回ずつ、合計で12回(1ヵ月半)のコースだ。休憩時間の体操やクッキーをつまみながらのおしゃべりも楽しい。クラスを通じて友達になり付き合いが続く人も多い。やはり「楽しく学べる」というのが長続きするキーだ。

 卒業生が次のクラスでコーチとして助手を務め、やがてインストラクターになってゆく。コーチを務めることで習ったことが深く身に付くという副産物もある。テキストや教授法にシニア用の工夫を凝らせば、シニアがコンピューターを習うのは難しくない。是非多くのシニアがパソコンを身に付けもっと豊かな人生を楽しんでもらいたいものだ。
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[115] サンタ・バレリーナ  2011/03/22 16:16:49
掲載日:01/11/2003  E-Mail  Home
 「来年こそは早く取り掛かるぞ!」と決意するのだが、いつも間際でバタバタと慌てるクリスマスカード・年賀状、世の中のIT化と共に近年はe-mailによるカードがめっきり増えた。私ももっぱらe-mail、手書きのカードは郵送されてきたものへのお返しぐらい。

 日本では今年の年賀状は昨年比1.5%アップというから逆行のように見えるが、不況のあおりで暮れや正月を自宅で過ごす人が増えたのだろうか? しかし、周囲の人達を見る限りe-mail利用者は確実に増え、人々の笑いを誘った川柳「デジカメのエサはなんだと孫に問い」は過去のものとなりつつある。

 e-mailではカードと共に近況やクリスマス・お正月風景をデジカメで紹介し合うから居ながらにして各地の様子が見られる。近所でサンタバレリーナを見かけた。手も足もふっくらとした太っちょのバレリーナが両手を上に輪を作り目線を上げて足を交差させている。赤い帽子に透け透けのバレーのコスチューム、上目使いの目つきが何ともユーモラス。私の送ったこの写真には多くの反応があり、次のようなメールが返ってきた。

 「ところで、あの“サンタバレリーナ”があまりに楽しいので、友人にお裾分けで送ったところ、下記の質問が届きました。 ふだんはもちろん普通のバレリーナなんでしょうが、いつも飾ってあるのでしょうか? あれは石でできてるのでしょうか。」

 ねえ、この子って初めからこのコスチュームとセットで作られているの?
この場所に常設してあるの?
だとしたら一年中サンタバレリーナなの?
そんなわけないよねぇ!?
あ〜あ気になる!!
どうなってんの?

 「ん〜っ。何だ?」 これが最近の若者e-mailか? テンポがいい。表現が可愛い。まったくの話し言葉。 「これは誰? 若いの? 可愛い女性だよね!? あ〜あ気になる!! どうなってるの?」 いつの間にか口調が移ってしまった。
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[114] サンタが町にやって来た  2011/03/22 16:15:54
掲載日:12/14/2002  E-Mail  Home
 我が家での夕食会の最中、急に外が騒がしくなった。話し声や人々のざわめきに混じってクリスマス・ソングが聞こえてくる。「んーっ?」怪訝そうな顔を見合わせる友人たち。「そうだっ!サンタがやって来た!」。カメラを引っ掴み、みんなで外へ飛び出ると、道路の角に赤と青の警告燈をキラめかした車が一台、景気の良い浮き立つようなクリスマス・ソングを鳴らしその周りに人、人、人。普段は静かなこの住宅地にどこから湧いたか大勢の人たちが集まってくる。

 通りのはるか向こうにもう一台、派手なイルミネーションを光らせた車を中心に大勢の人たちが集まっている。やがてその車は動き出しゆっくりと近づいてきて目の前に止まった。夜目にもくっきりと浮かぶトナカイが2列に12頭並び星空に駆け上がる模型のそりに、赤い帽子に赤い服、真っ白なヒゲに覆われ丸いメガネをかけたサンタがどっかと腰を下ろしている。

 周りを取り囲んだ人たちはみんな顔なじみの近所の人達だ。マイクがいる、スーザンがいる、ドリスにハーバート、チャックにマーク。てんでにカメラやビデオを持ち子供たちを引き連れている。子供たちは次々とステップを上がりサンタさんに抱かれて記念写真。人々の笑い声、子供の叫び声。どの顔も輝いている。車の横には「Torrance Police Officers Association」のサイン。「あれっ! いつもは消防署のはずだが?」恒例のこの行事は今年から警察署に変わったのかな?それとも消防署もやがてやってくるのだろうか?

 アメリカの自治組織は面白い。シティが自前の警察署や消防署を持っている。小さな市で自前の警察署や消防署を持てないところはお金を払ってロスアンゼル市などにそのサービスを委託する。教育も一定の自治区毎に教育委員会をおき教科書も独自、教育委員長は選挙で選ばれる。「自分たちのコミュニティは自分たちで好きなように作り上げ運営する」のが原則。そのためにはお金も出し、時間があればボランティアも厭わない。だから警察署や消防署も常に住民の意向に注意を向けている。「民が主人」だから民主主義。これがアメリカ社会の原点のようだ。
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[113] アートなくして景気回復なし!?  2011/03/22 16:15:12
掲載日:11/16/2002  E-Mail  Home
 「193億円」文化庁が平成14年度「文化芸術創造プラン」に組んだ予算である。「日本再生の鍵はアートが握っている?」というテーマでNHKが番組を組み、インターネットで視聴者からの声を募り、誰でもが参加できるディベートをの試みが行われている。テーマを今風にもじれば「アートなくして景気回復なし!?」

 気になるのは、アートを経済効果に結びつける論調が目立つことだ。映画を観、音楽を聴き、絵画を眺めるとき人は時に言い知れない感動を覚える。感動は感激に変わり、それが続けば情熱になる。情熱が沸騰してくると人々は行動を起こす。内なる声、内なるエネルギーに衝き動かされて動かざるを得なくなる。

 アートは人々にこのような感動する感性、情熱を呼び覚ます力を持っている。アートが直接に経済効果をもたらすのではなく、人々に情熱と前向きの志向を呼び覚ます力があるから社会が活性化するのだ。

 世界にはまだまだアートには無関係の人々が多くいる。その日その日をどうして生き延びてゆくかで精一杯だ。しかしそれぞれが生き甲斐を持っている。目の前に自分の生き甲斐を持つこと、情熱を注ぐ対象があること、それが人の人生を豊かにする。最後に日本からベトナムを訪れた友人の便りを紹介したい。

 10月22日から8日間、ハノイとホーチミンへ行ってきました。・・中略・・町には、バイクがあふれ、それに1〜5人が乗り、みんな意気揚揚と走っています。信号も中央帯・路側帯もなく、警官も少なく、事故が起こらないのが奇跡のような風景でした。でも、家族が恋人が、バイクに乗るのが一つのステータスかのように、きらきらした瞳なのです。肩寄せあって、見詰め合って、背中にしっかり抱きつく様子に、日本が忘れてきたものや通ってきた道を振り返る思いがしました。今、ベトナム研究をする経済学者や通いつめる若者が多いのが、分かる気がします。振り出しに戻れるような開放感や活気があるのです。排気ガスと麻薬が問題と聞いて、ショックでしたが。しかし、未だ、一般犯罪は少なく、善良であり、すれていない人達でした。

 今、日本は空前のベトナムばやりです。
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[112] 誰もがアーティストになれる  2011/03/22 16:14:28
掲載日:10/19/2002  E-Mail  Home
 「画家や彫刻家、音楽家や舞台芸術家のみがアーティストではない、人間は誰でもアーティストになれるのです。」これはLantern of the East(国際現代美術家グループ)の創始者の一人・韓国のアーティスト・李啓松氏の言葉である。

 人間はこの世に生まれ、食べて働いて寝ての繰り返しでやがて一生を終わる。人の一生が単なる日常生活の繰り返しではあまりにも淋しい。大工でも商人でもサラリーマンでも政治家でも、その道の一流を目指して努力する人はみんなアーティストだと李氏はいう。

 アートは人々の心に潤いを与え、優しさや思いやりの気持ちを起こさせ、希望を持たせる。経済が発達し人々の暮らしが豊かになったいま、世界各国で犯罪が増え続けているのはなぜだろう?私たちはもう一度アートが私たちに与えてくれる価値を見直す必要があるのではなかろうか。「Lantern of the Eastは、アートキャンプや国際展覧会でコミュニティの人々と交流し、このイベントを通じて人々に人生にアートの心を持つ喜びを伝えたいのです。」というのが李氏の考えである。

 10月27日まで開催中の第10回国際現代美術展(Lantern of the East)、今回の特徴はアーティストとボランティアが共催し、ロスアンゼルスに住む各国からのコミュニティが加わったことだ。10月19日にはアートを目指す学生を対象とした“Future of the Art Students”、20日には子供達を対象にした“Art Day”がドイザキギャラリーで開かれる。大学構内にあるCSUのギャラリーでは多くの学生達を引連れた教授が授業を兼ねて訪れている。現場ではアーティストも説明役を果たすなどコミュニティとの交流が深まった。

 アーティスト達も今回の経験を通して、自らイベントに携わる喜び、結集することで得られるパワーと広がりを身をもって感じたに違いない。来年はタイで行われるLantern of the East、今後の発展が楽しみである。
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[111] LOFTE国際展覧会  2011/03/22 16:13:38
掲載日:09/21/2002  E-Mail  Home
 Lantern of the East 略してLOFTEと名付けたこの団体は、西洋主導で商業主義に陥っている美術界を嘆き、「光は東方よりやって来る」をモットーに純粋芸術運動を目指して旗揚げした芸術家集団だ。彼らは「売らんがための作品でなく、本当に心の底から作りたい衝動に駆られて作った作品が人々の心を打つのだ。」「人々は単に美しいだけでなく心に響く精神的なものを美術作品に求め始めている。それは東洋にこそ色濃く存在する。」という思いが強い。

 その第10回国際芸術祭がロスアンゼルスで始まった。左手に全米一の貨物量を誇る港を擁し、紺碧の太平洋を一望に望むサンペドロの丘の上でアートキャンプが行われている。各国から招待されたアーティスト達が次々と集まってきた。「何だこの食べ物は」「このホテルはまるでジェイルだ」「車をよこせ」と様々な問題が発生するなかで、「受入側も芸術家だぞ。問題があれば我々全体の問題だ。文句を言う前に解決策を話し合おう。」

 多民族が集まり一つ屋根の下で暮らせばその多様な文化的背景の違いから考え方や行動の違いで摩擦が生じるのは当然だ。それを乗り越えアートという世界の共通語で理解を深めて行く、そこに文化の融合があり、まったく新しい文化の生まれる可能性がある。これがアートキャンプのねらいでもある。

 いよいよ10月からLOFTEの国際展覧会が始まる。28ヶ国から126人のアーティストを集めて行われるこの展覧会は、10月4日にホテル・ニューオータニでオープンニング・レセプションを開く。お祝いのメッセージを寄せてくれたデービス州知事やハーン市長をはじめ、国会議員や関係各国の総領事にも招待状を出して行われるこのパーティは、未来への実験都市として多人種・多文化融合の道を模索するロスアンゼルスの象徴的な催しとなるだろう。

 すでに河野総領事・韓国の総領事をはじめ招待客から出席の返事が届きはじめた。多くのコミュニティが共同で行うこのパーティに日系社会からも多くの人が参加してくれることを心から願うものである。
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[110] 山は海の恋人  2011/03/22 16:12:56
掲載日:08/24/2002  E-Mail  Home
 山が海まで迫り、複雑に入り組んだリアス式の三陸海岸、この三陸海岸では良質のワカメが取れる。

 山に木が茂り落葉が積もって腐植土を作り、そこに降った雨が地表を伝わって谷に流れ川となって海に注ぐ。川の水は栄養素とミネラルをたっぷりと含み海に運ぶ。これらの栄養素やミネラルは海中のプランクトンの食物となって繁殖し、このプランクトンが沢山の魚を養う。ワカメもこのような環境で栄養に恵まれ、肉厚で歯ごたえの良い良質なワカメに育つのだ。話が「風が吹いたら桶屋が儲かる」式になってきたがこれが良質ワカメの育つ環境なのだという。

 「最近、中国にも良質のワカメの産地が見つかりまして」とワカメ販売に情熱を燃やしているのが友人のO氏だ。「日本の上質のものと比べれば同じとは言えないが、このワカメは韓国産や中国の一般のワカメとは各段に質が違います。値段と品質を比べれば絶対に勝負できます。」とO氏の意気込みは高い。これからは様々な新しいレシピに挑戦し、ミネラルやヨードをたっぷりと含んだ健康食品としてアメリカのマーケットを開拓するというのがO氏の目標である。

 釣り好きの友人がアラスカへサーモン釣りに出かけた。行く前から、以前に比べて魚影が薄くなり、釣れるサーモンの大きさや量がめっきり減っていると情報を心配していた。結果は、3日間のチャーターボートの釣りでお目当てのキングサーモンはたったの一匹である。「それなりに釣りを楽しんだ。」と自らを慰めているが失望感が読み取れる。

 日本は小さな島国だが、沿岸200カイリの領域を入れて計算すると世界で5番目の大国になるそうだ。海洋国家日本、その海が陸地の開発で荒れている。漁獲の自主規制をしても漁獲量はなかなか元には戻らない。それは陸地側に問題があるからだ。そしてその問題は日本に限らず世界中で起きている。豊かな自然と海に恵まれた日本。その豊かな自然をどう保つか、人間の知恵が試されている。「山は海の恋人」、恋人を悲しませてはならない。
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[109] "78,812人"  2011/03/22 16:08:52
掲載日:07/27/2002  E-Mail  Home
 "小泉首相のメルマガによると、平成13年(2001年)は日本が留学生受入制度を創設して100年目に当たるのだそうだ。昭和58年(1983年)、日本が経済の絶頂期を迎えようとしていたとき掲げた目標が「留学生受入れ10万人計画」だった。それから18年目、昨年5月の留学生受入れ数は「78,812人」と発表された。内訳は、わが国政府の招きによる留学生が9,173人、外国政府の国費留学生が1,369人、私費留学生が68,270人となっている。出身国は159カ国、約9割が中国・韓国・台湾などアジア地域だ。

 これを高等教育機関の在籍者数に占める割合でみると2.2%、イギリスの17.8%(22万人)やアメリカの6.4%(55万人)にはまだまだ及ばないが日本の水準も上がってきたものだ。ロスアンゼルスにも分校のある大阪産業大学のMBAコースは1/3を留学生が占めるという。

 留学生は若い時期を外国で過ごす。若さゆえに持つ感受性、感激、その時の経験や印象は一生ついて廻る。晩年になればなおさら若い日々の思い出は輝きを増すだろう。また、留学生は将来その国の指導者になる人達だ。留学期間中に留学先の国でどのような体験を積みどのような印象を持つかが将来の外交を左右しかねない。留学生が「未来からの大使」と呼ばれるゆえんである。

 貿易立国・日本にとって国際世論を味方につけるのは最大の国防策だ。そしてその最も効率的で長期的効果が期待できるのがこの留学生受入れである。単に数を増やすだけでなく、暖かく彼等を受け入れ、交流し、少しでも多くの知人を得られるようにすることでその効果は倍増することだろう。

 日本から経済交流団体を迎えて出会った黒人青年は漆黒の肌を持ち完全な日本語をしゃべるのに驚いた。アフリカのタンザニア出身、アメリカ留学でマスターを取り、文部省の奨学生試験に挑戦して1万5千人の難関を突破し東北大学冶金学科で博士号を取った俊秀であった。このように優秀な人材が世界から集まり、日本でも活躍する時代が来ている。このような人達が日本の経済活性化の一翼を担ってくれるのかも知れない。"
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[108] ポスター作りの裏で  2011/03/22 16:08:10
掲載日:06/29/2002  E-Mail  Home
 "午前9時、サンペドロの岬の端近くにある坂田画伯のアトリエに。Lantern of the East, International Art Festivalの広告に使う写真撮影のために10数人のボランティアが集まった。

 60年ほど前に日本軍に備えて築かれたフォート・マッカーサー基地、ロングビーチとロスアンゼルス港を左手に抱え込む絶好の要塞だ。今では一部の軍の施設を残し、兵舎の一部とそれらを利用したロフト風のアーチストのアトリエが集まる。眺望の良い丘の上は海からの涼風を受け太平洋が一望できる。平和そのものの眺めだが地下には縦横に地下道がめぐらされ、ここかしこに巨大な砲台の跡がコンクリートの顔をのぞかせている。

 発案者のY氏が選んだのは丘の上、アトリエ近くの地下壕への入り口。広告制作のプロであるY氏の持論は、百、千の言葉よりも目に訴えるイメージ。そのイメージにどれだけのメッセージを込められるかが命だ。

 「近世のアートの世界はヨーロッパが中心で、最近では商業主義に迎合しています。我々はアートを本来の魂の発露としての存在に戻すべく、その鍵を東洋の叡智に求めLantern of the Eastの運動を始めたのです。」坂田画伯のこの思いをどのように1枚の写真に表すのか。Y氏のイメージは、扉の前に坂田画伯を正座させその頭に絵の具を降らせる。頭に当たって飛び散るブルーとオレンジの絵の具は正に西洋と東洋の衝突、泰然として全身でそれを受け止める坂田画伯に彼の情熱とこの運動の真髄を表そうというもの。

 扉の前にビニールを敷き、上から枯葉を撒き散らす。やり直しの効かない一瞬の勝負にかき集められた10台のカメラが所定の場所に設置される。バケツに水を汲んで何度も繰り返されるリハーサル。ボランティア達も次第に熱がこもってゆく。待望の太陽が顔を出し、いよいよ本番だ。ワン・ツー・スリーの掛け声と共に扉の上のコンクリート台から2色の絵の具がほとばしる。一瞬後には全身2色に染まった坂田画伯。デジカメの連続写真には、絵の具が頭に当たった瞬間、一面に飛沫を散らして爆発する様子、全身をブルーとオレンジに染められた仏様のような坂田画伯の姿があった。

 ポスター作りは成功するだろう。さあ我々の活動は今からだ。"
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[107] 姉と義姉を迎えて  2011/03/22 16:07:21
掲載日:06/01/2002  E-Mail  Home
 私の姉と家内の兄嫁、二人の訪問客を日本から迎えた。空港に出迎え家に着くと、まずはお土産の披露。下げてきた日本酒に各種のおつまみ、お菓子、梅干、干物、下着、靴下、セーター、ワイシャツ、ブラウス、ズボン、それに加えて、腰痛用のバンドや湿布薬など。文字通り山のようなお土産である。

 よくも詰まっていたものよと思うほどのお土産を吐き出すと、二人掛りの重さが一度に軽くなり、それぞれ大きなスーツケースを片手で下げて2階の客間へ。同じ身内の訪問客でも男と女ではお土産の内容ががらりと変わる。

 私の甥と家内の姪が結婚したから甥と姪にとって二人は母と義母にあたる。お互いをおかあさんと呼び合い、孫ができてからはおばあさんと呼び合う。「今回の旅行では絶対に名前で呼びあいましょうね」といったそばから「ちょっと、おかあさん」と癖が出る。

 食事の支度になると女3人、あっという間に用意が整う。おかげで自分は殿様気分。黙って座って注がれる酒を飲む。女客は大歓迎だ。「のんびりしてもらおう」との口実で遠出はせずに市内見物で済ませた毎日。オフィスへ連れてきてパソコン教室の仲間入り。初めての e-mail に何時間もかけて苦闘の上、日本の子供達と通信ができた喜び、弾んだ声にIT時代を身をもって感じたことを物語っている。

 「病気はしていないだろうか、ちゃんと仕事をしているのだろうか、と心配で心配で寝られないこともある」と姉の笑っている声が湿っている。母の亡き後、これほどまでに自分を気遣ってくれる人がいるとは何という幸せか。良いも悪いも、規則や法律までも超越してひたすら味方であること。絶対に裏切ることのない身内の愛に母を感じる。

 忙しさにかまけて何のもてなしもできなかったが、縁あって2重に結ばれた両家の絆が、今回のアメリカ旅行を通じてますます強くなったとすれば、迎えた私達にとってこんなに嬉しいことはない。
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[106] キックオフ・パーティ  2011/03/22 16:06:34
掲載日:05/04/2002  E-Mail  Home
 9月10月と2ヶ月間にわたって行われるアートフェスティバル「APEX in LA」が本格的に動き出した。5月6日はパブリックへ向けての初めてのアナウンスとなるキックオフ・パーティだ。

 当日の準備の為に呼びかけたボランティアが続々と参加してくる。「私は何を手伝えばいいですか?」「当日の服装は?」「マジックペンが余っている人いませんか〜」「お寿司とフライド・カラマリの提供があります」「お米を寄付してくれるからおにぎりを作りましょう」「スターバックスからコーヒーをもらえます」とe-mailを駆使して情報が飛び交う。

 アーティスト達も負けていない。中南米担当のモンテセロは「トレーダージョーズからチーズやクラッカー、ワイン会社からワインの提供もあるよ」フランス担当のアミタイさんは「私はシャンパン」韓国のキムさんは「トラディッショナルな韓国のケーキを持って行きましょう」と国際色豊かだ。

 6時からの受け付けで各コミュニティから集まった人々が国際色豊かな食べ物を味わい、交流を深める。プログラムは7時から。琴の演奏に続いてアルゼンチンタンゴの踊り、フェスティバルの説明やアーティスト達の紹介のあとはブルガリアのオペラ歌手の歌、韓国の民族踊りと続く。

 アートフェスティバルに参加する24カ国のコミュニティからどれだけのメディアの人達がきてくれるかがポイントだ。多くのコミュニティでこのイベントのニュースが流れ、多くの人達が関心を持ってくれれば本当に民族や人種を超えた意義あるイベントになるだろう。

 このイベントに賛同してテーマ曲を提供してくれたジャズピアニスト・作曲家の松居慶子さんの言葉がその意義を代表している。

 「音楽や芸術は、不思議なコミュニケーションの方法で、人間だけが与えられた『心をひとつにする』術だと思います。その術が国境を越えられなかったら、意味を持たないものになってしまいます。競争社会でパワーゲームに明け暮れる心の狭い人たちの『こころ』を広くするためにも、私たちがしっかりしなければいけないんだと思います。『夢』が『成功』と間違われてしまった現代の社会で、もっと本当の『夢』を音楽家や芸術家が提示しなければならないと思います。」
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[105] 思い出に残る童謡  2011/03/22 16:05:40
掲載日:04/06/2002  E-Mail  Home
後日記入
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[104] 情熱の画家・坂田英夫  2011/03/22 16:05:10
掲載日:03/09/2002  E-Mail  Home
 坂田英夫は、昨年2月に亡くなったロス日系社会の大先達、敬老引退者ホームの生みの親、東京オリンピック実現に尽力した和田勇氏の肖像画を描いた画伯である。

 その坂田画伯が展覧会を開きたいと情熱に燃えている。今年10月、ロスの3会場に環太平洋を中心とする24ヶ国から120人の画家や彫刻家の作品を集め、1ヶ月の展覧会を開くという構想だ。しかも9月には10人ほどのアーティストをアートキャンプに招待し、共同生活をしてもらって製作に励んでもらう。空いた時間には彼らを学校に派遣し子供達への指導も行う。アートキャンプのオープニング・セレモニーには24ヶ国の総領事に招待状を出したいという。

 ロスアンゼルスは裁判所で公式に認めている通訳だけで105ヶ国語もの言語がある。この街は「どのようにして多民族、多文化、多宗教の人達が調和を保って平和に暮らせるか?」を模索している未来都市への実験都市といえるのではないだろうか。

 だから、このプロジェクトは24ヶ国のコミュニティが一緒に協力することに意義がある。坂田画伯の願いは、経済大国となった日本が文化の上でもそれなりの役割を果たすこと。ここで日本人がそれなりの役割を果たせば、あとに続く若い日本人・日系人の芸術家にどれほど道が開け易いか知れない。自分が元気な内に後輩の為に何とか日本人の存在感を刻みつけておきたいというのが真の願いのようだ。

 世界各地で犯罪率が増加し、特に若年層で凶悪犯罪が多発している現在、人々の関心がお金や経済的成功に向うだけでなく、もう少し精神的なもの、情操を身に付ける必要がある。それを育てるのがアート、誰もが美しいものに出会うと感動する。その機会が多ければ人々の心は豊かになる。昔の武人が詩を解し音楽や画をたしなんだように、教養人とは単に知識があるだけでなく美を解する心を持つ人である。

 このプロジェクトに賭ける坂田画伯の執念はすざまじい。語るうちに情熱がメラメラと伝わってくる。この意義あるプロジェクトに多くの人々のサポートがあることを祈ると共に、自分もできる限り微力を尽くしたい。
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[103] 地域に定着したJERC  2011/03/22 16:03:25
掲載日:02/09/2002  E-Mail  Home
 ある日、友人の紹介で4才の女の子を連れた母親の訪問を受けた。教育の悩みの相談で、子供にはネイティブな英語が話せるように日本人の少ない現地校へ通わせたいし、といっていきなり言葉のわからない世界へ幼い子供を放り込むのもかわいそうだと親の心は揺れている。悩みを聞いてJERCを紹介した。

 JERC(Japanese Educational Resource Center)は、サウスベイのボランティアで運営される教育サポートの非営利団体だ。実質的な活動はお母さん達のボランティアで行われ、当地で学ぶ日本人子女と親のために毎月の教育オリエンテーションをはじめ様々な教育関連サポートを行っている。ボランティア達はアメリカでの子育てを経験し、現地校の事情にも詳しくかなり的確なカウンセリングもできる。

 特に新来者にありがたいのは、今までのノウハウと情報を凝縮した「教育ハンドブック」だ。中味は、1)現地校で学ばせるということ、2)この地域の教育システム、3)学校のシステムと生活、4)渡航前の準備、5)入学・編入の手続き、6)その他の教育機関、7)図書館、8)コミュニティ活動、9)コミュニティ・サービス、10)海外生活における親の心構え、11)学校で使用される主な用語 と教育関連情報を網羅している。

 今夜はそのJERCの7周年記念パーティ。賛同する企業・個人会員に支えられ7年目を迎えたJERCはすっかり地域にはなくてはならない組織へと定着した。パーティにはアメリカ人も交わり、名物司会者の日本語の片言に会場には笑い声が絶えない。

 かつて「醜いアヒルの子」といわた帰国子女達は、大きく社会のシステムが変わりつつある日本で「白鳥」となって活躍を始めている。JERCを訪ねて「何とか教育の指針が見えてきました。」と語った例の母親笑顔がその効果を物語っていた。
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[102] ゴルフ川柳  2011/03/22 16:00:11
掲載日:01/12/2002  E-Mail  Home
 ゴルフ好きが集まった月例トーナメントの会、毎年12月例会はサイプレスG.C.で行っている。狭くてバンカーや池が多い難コース、プレー後の忘年会でのゴルフ川柳には、コースに対する恨みつらみが並べられる。暗い話題を吹き飛ばし、今回はその中からいくつかの名句、迷句をご紹介しよう。

 「黙々と、池ポチャ・OB何のその、男は黙ってサイプレス」「サイプレス、打っても打っても みんな池」「サイプレス、ロストボール売り 蔵が建ち」「今度右、さっきは左、池の中、どっちに打っても吸い込まれるなり」(皆さんの悲鳴が聞こえてきます)。

 中には幸せな人もいます。「ヤッタ!パーだとワイフの笑顔、ゴルフ万歳家内安全」「なにすんねん、俺のニアピン触るなよ」(めったに乗らないニアピンが・・、後続の一打一打にハラハラ)。「素直には、よろこべないよ ブービー賞」(賞はうれしいけれどブービーではねえ)

 今年は世相を反映した句もありました。「サイプレス、テロ・炭素菌より恐ろしや」「サイプレス、空爆よりも玉が要り」「コウノトリ、愛敬包んで運搬し」(敬宮愛子内親王誕生)、「流星群、いろいろ願ってみたけれど、80台は夢のまた夢」

 「これからは早く打とう、俺には打てない250ヤード」「ちょっと待て、次は飛ぶかも250ヤード」(自信と挫折、謙虚と過信がゴルファーの心を揺さぶります)。「打ち納め、上がってみればオーシット!」「もうやめた、ゴルフはやめたやめようよ」(一人ではやめられないのがゴルフです)、「おかしいな、おかしいな、こんなはずじゃなかったに」(この心境を脱すると)「ボールなど、どこへ飛ぼうとまず参加」

 「さよ〜ならと言ったみたいな第1打」(ん?OB?)、「止まって止まって止まって!あ〜行っちゃったさようなら」(上からのパットは難しい)、「スライスを狙って打ったらフックした」(思うようにならないのがゴルフです)

 最後に英語の句を一句、「How many? Don’t ask me. You win.」(それにしても見事な語感です)ユーモアで不況を吹き飛ばしましょう。
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[101] ノーベル賞  (臨時原稿)  2011/03/22 15:59:29
掲載日:12/15/2001  E-Mail  Home
 1901年に創設され今年で100周年を迎えたノーベル賞はいろいろな記念行事に彩られた。
日本からも名古屋大学大学院の野依良治教授が化学賞を受賞し、明るい話題に国内が沸いた。この報を受けて政府のコメントが「50年間で30人のノーベル賞受賞者を輩出できるように日本は科学教育に力を入れる」というものだった。野依教授は「科学は押し付けて育つものではない。自然に接して驚きと興味をもって初めて育つもの」とばっさり。

 ノーベル賞受賞者の一番多い国はアメリカ、その中でもカリフォルニア州は103人と突出している。何故カリフォルニアなのか?その理由をライザ・M・クリーガー:マーキュリー・ニューズ記者は次のように指摘している。

 1999年の国際数学・理科教育調査では、米国の中学2年生の成績は、ブルガリア、ラトビア、ニュージーランドと同程度、しかもカリフォルニア州の平均は全国平均を下廻っている。一流大学があり、温暖で陽光に恵まれたこの地は、才能ある技術者、科学者、経済学者にとって魅力的だろう。だが一番の理由は、冒険心をいとわない知的風土、野心的な気質、実力により機能する大学組織が世界中から革新を目指す人材を惹きつける。

 学校では基礎教育さえしっかりと身につければ、自然に親しみ興味を持つことにより人は科学する心を本来持っているのではないだろうか。誰でも不思議なことに心を惹かれそれを探求したいと思う。あとは開かれた大学、失敗を恐れない信念を持った人間、それを受け入れる社会の風土があれば自然とノーベル賞受賞者は多くなるのかもしれない。
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[100] 心地よいサービス  2011/03/22 15:58:53
掲載日:12/15/2001  E-Mail  Home
 ある日、裏庭のポーチにあるテーブルに細かいゴマ粒のようなものが落ちているのに気がついた。不思議に思って見上げるとポーチを覆う日よけ棚からのようだ。椅子に上がってよく見ると横木に穴があいており。、中に虫が巣食っているらしい。もしかするとこれがターマイト(シロアリ)か!

 気になりながら2年ほど経った今年11月、お隣がターマイトのガス駆除を行った。3階建ての家がすっぽりとテントに包まれて一昼夜、通常では2〜3日かかるがこの会社では強力なガスを使うので一昼夜で済み、翌日の夕方には家が使えるという。

早速我が家も見積もってもらうことにした。まずは調査員の派遣。1時間あまり家の内外、床下、ガレージを見廻って帰ったが暫くして調査結果が届いた。細かく区切られた見取り図にターマイトに侵された個所が示されている。驚いたことにターマイトは地下にも巣を作っているのだそうだ。地下にはパイプを挿入しガスを注入する。

 オーダーを入れると、実施日の選定、事前の説明、食品や封を切った飲み物を詰める2重の特殊ポリ袋の配布、室内プラントの搬出注意など行き届いている。途中もこまめに電話連絡があり時間をきちんと守って安心感がある。アメリカの大雑把なサービスに慣れた私は「なかなかやるじゃないか」と感心した。

 当日の朝、7時半からの作業開始。家主立会いの下に、室内のプラントは運び出しているか、食べ物・飲み物は2重のポリ袋に密封されているか、ガスの種火は消されているか、など確認して建物をすっぽりと覆ってゆく。記念写真を1枚撮って、きびきびと働く作業員に見送られてオフィスへ出勤、今夜1晩は外泊だ。

 翌日午後4時には、もう作業は終ったので入っても大丈夫との電話。家に帰ると窓々を開け放ちガスを追い出してマネージャーが笑顔で待っていた。立会いの下、室内の点検、すべて異常無し。アメリカもトレーニングの仕方で行き届いたサービスが行えることに安心した。
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[99] シニアネット  2011/03/22 15:58:18
掲載日:11/17/2001  E-Mail  Home
 「あれっ、ここはどうするんだっけ?」「私の画面が消えちゃった」「やったー!できた、できた!」と賑やかな声。7月に産声を上げたばかりの SeniorNet Learning Center Torranceの受講生達だ。週2回、2時間ずつのクラスは、終わった後のコーヒーブレイクのおしゃべりも楽しい。

 シニアネットはサンフランシスコに本部を持ち、会員3万5千人の非営利団体だ。「シニアのボランティアがシニアにコンピューターを教える。」というのがコンセプト。コンピューターやプリンター、スキャナーを備えたLearning Centerが全米に230ヶ所、献身的なボランティアが運営の主体である。

 今まで触ったこともないコンピューターやマウス、それを懇切丁寧に同年代のシニアが教えてくれる。教える側も自分が苦労して覚えたから習う人の気持ちがよくわかり、教えることによって知識がしっかり身に付く利点もある。キーボードから文字が打てるようになると誕生日やクリスマスなどのカードが作れる。e-mailで友達や日本の親戚・知人と連絡がとれ、近況と共に写真まで送れるのだから嬉しくなる。

 Torrance Learning Centerは日本のグループからの寄付がきっかけで誕生し、初めて日本語で教えるLearning Centerだ。これが成功すれば韓国語、中国語などの母国語で習えるLearning Centerも増えるだろう。ノウハウを蓄積して呼びかけ、南米やオーストラリア、ヨーロッパにまで同様のネットワークを広げるのが夢だ。各国の仲間と母国語でコミュニケーションが取れたら友達の輪も世界中に広がるに違いない。

 水曜日の羅府新報で紹介された途端に多くの問合せが寄せられている。遠くはサンディエゴやアーバインから通ってでも習いたいという。こんなに日本語でのクラスが待たれていたかと驚いた。またまたボランティアの方達の献身的な働きに頼るしかない。
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[98] マーシャル・プランに学べ  2011/03/22 15:57:41
掲載日:10/20/2001  E-Mail  Home
 タリバンへの攻撃が始まってやがて2週間、アメリカは外交で世界の国々を固めて包囲網を敷き、圧倒的な軍事力で攻撃の火蓋を切った。同時に様々な心理作戦・かく乱作戦でタリバン側の内部分裂を図っている。抵抗しようもない巨大な力で押しつぶされ、同志を裏切り、同朋や神への忠誠との葛藤に苦しみ、信義を捨てざるを得ない政治家の苦しみ、突然の災厄に家を追われ職を奪われ難民となった人々。いったいこれらを正当化する正義とは何だろう。

タリバン政権の崩壊は時間の問題だ。問題はそれによってテロは無くならないだろうし地域の安定もないということだ。今回の攻撃が単なるテロに対する報復であっては、各国を巻き込んだこれだけの作戦の意味がない。戦後をどのように処理し、地域に安定をもたらすかが大切である。

 今まで、世界では様々な援助が行われてきた。しかし、それらの援助が必ずしも成功しているとは言えない。過去の対外援助の成功例に「マーシャル・プラン」がある。

 これは、第2次大戦後アメリカが主にヨーロッパの復興に向けて行った援助計画で、その骨子は、(1)ヨーロッパの復興が世界の安定のみならずアメリカにとっても必要不可欠なこと、(2)復興計画は当事者のヨーロッパ各国が自ら協調して考え作成すべきこと、(3)アメリカはその計画に対し出来る限りの援助を与えること、の3点である。援助は自ら立ちあがろうとする者に手を差し伸べた時に最大の効果を発揮する。単なる哀れみからの施しは一時的な急場をしのぐに過ぎない。

 このたびのタリバン包囲作戦には膨大なエネルギーと莫大な戦費が注ぎ込まれている。真に世界を安定させテロを撲滅するには一握りの勢力を駆逐するだけでは収まらない。世界の各国はそのエネルギーと資金を協同して戦後の復興に注ぎ込む覚悟が必要である。それは相手のためでなく自分達の安全確保のためである。今こそマーシャル・プランの精神を見直そう。
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[97] テロの向こう側に (臨時原稿)  2011/03/22 15:57:02
掲載日:09/22/2001  E-Mail  Home
 9月11日火曜日、この日をアメリカは永久に忘れないだろう。4機の旅客機がハイジャックされ、ニューヨークのランドマーク、ワールドトレードセンターと国防省の建物が同時テロ攻撃にあった。一瞬にして5000人もの犠牲者を出したこの事件は世界を驚愕させた。

 人々のリアクションは、(1)驚きと怒り、(2)犠牲者への哀悼、(3)テロへの報復攻撃支持、であった。事件と同時に、多くの人達が献血に列を作り、車や家々に国旗を掲げ、胸にリボンをつけ、献金をし、非常時に一丸となるアメリカを目の前にみた。大統領には即座に報復攻撃への権限が与えられ準備は着々と進められている。

 事件後1週間を経過したあたりから生活はようやく正常に戻り始めた。それと共に少しづつではなるが「テロに対する報復攻撃は新たな憎しみと更なるテロを引き起こす。エンドレスの争いを避けるためもっとほかの道を探そう。」という声も紹介され始めた。

 アメリカにとって卑劣なテロもアラブの人達にとっては正義であり犯人は英雄である。多くは岩山と砂漠の土地ゆえに物欲を遠ざけ神への祈りと精神世界に目を向けさせようとするイスラム教、悲劇はそこに石油が出たことから始まった。

 とたんに欧米からの石油利権に絡む様々な介入が始まり、貧富の差は天文学的に開き人々の生活は激変して翻弄された。やがてイスラエルが建国され長年そこに住んでいた人達は家や土地、職を放棄させられた。テロや争いは日常茶飯事となり、多くの難民が溢れ、聖地への異教徒軍の進駐さえ行われた。彼らにとってアメリカに象徴される外部からの圧力はアリを踏み潰す象に見えるだろう。利権にまみれた自国政府への不満はイスラム原理主義へと人々を駆り立て、テロは正式な外交ルートを持ちようもない自分達の主張を表明する唯一の手段ということになる。「アメリカよ、痛みを知ったか。これが我々が日常お前達から受けているものだ。」

 アフガニスタンへの報復攻撃の報が届くや10万人を越える難民がパキスタン国境へ殺到したという。この人達は自分の仕事を捨て、家を捨て、住み慣れた土地を捨てて家族や自らの命を守らざるを得ない。その恨みは理非を超えてアメリカに向かう。たとえ首謀者と目される犯人や庇護国を抹殺したとしても問題は解決するであろうか?このような思いを抱いている国は数多くありそのような人達すべてを抹殺するわけにはゆかない。

 水と油、まったく溶け合わない二つの世界が話し合いで心を許し合うということはあり得ない。根本的にはその地の人々の生活が安定することだが、膨大な時間と努力により、思いやりと寛容の精神で多くの折衝を重ね、多少なりとも相手を理解し尊重し、どこかに均衡を見つけてゆく。その均衡を絶え間ない努力で崩れないように保ち修復して行く。これが唯一の解決法かと思う。道は気の遠くなるほどはるかかなたであるが一歩づつ歩くしかあるまい。今こそ人類の英知が問われている。
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[96] 非常時に一丸となるアメリカ  2011/03/22 15:56:22
掲載日:09/22/2001  E-Mail  Home
 9月11日火曜日、一瞬にして5000人もの犠牲者を出した同時多発テロ事件は世界を驚愕させた。

 テレビにくぎ付けにされた人々は、驚きと衝撃に呆然となり、次には理不尽なテロに対する激しい怒りが湧き上がった。目の前に展開される信じられない光景、激突する飛行機、炎に包まれる高層ビル、落下する犠牲者、崩れゆく巨大な建物。見る間に犠牲者の数が膨れ上がり身近な身内や知人の安否を確認するため電話やe-mailが飛び交う。

 事件と同時に、政府系の建物はすべて閉鎖されて半旗が掲げられ、多くの人達が献血に列を作った。瓦礫をかき分けるバケツリレーの救出作業に水を配る人、プラカードで励ます人。町を走る車や家々には国旗が掲げられ、小さな子供までがコインの大ビンを持ち寄って献金をする。人々は胸に3色のリボンをつけ、祈りの日には全国で集会が開かれ、街角にはキャンドルを持った人々が集まった。大統領には即座に報復攻撃への権限が与えられ、非常時に一丸となるアメリカを目の前にみた。

 アメリカは多民族の移民国家である。どの国からやってこようが一定の条件を満たしてアメリカの市民権を取ればみんな同じアメリカ人になる。とはいっても宗教や文化的背景まで変わるわけでなく普段は様々な文化的背景を背負った人種が各々のコミュニティを作って暮らしている。これがいざ非常時となれば一瞬にして競ってアメリカ国民であるあかしを立てようとする。「このようなときに国家に忠誠を示さない者はアメリカに住む資格はないよ」というような空気がみなぎるのだ。そしてその時に示した行動がその後のコミュニティへの評価につながってゆくのだろう。

 とすれば非常時に一丸となるのは、移民国家アメリカの社会構造なのかも知れない。多くは純粋にそのように行動しているのだろうが、どこかに「この時にこそ行動で示さねば!」の意識が働いている人もいるだろう。
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[95] 星野富弘・詩画展 in LA  2011/03/22 15:55:24
掲載日:08/25/2001  E-Mail  Home
ひとつの事故が彼を奈落の底に突き落とした。
ひとつの思いが彼の人生を変えた
彼の生きざまが人々に癒しと希望を与えた
そして多くの人々が再び生きる勇気を持った

 群馬県勢多郡東村。たった1100所帯、3500人の山村に10年間で350万人もの人が訪れた。東京から電車とバスを乗り継いで3時間、往復で6時間も掛かるこの山奥に何が人々を惹きつけるのだろう。

 星野富弘、55歳。日本で最も知られた人・50人の一人といわれる。生まれつき頑健で運動神経に恵まれた星野は、高校・大学を通じて器械体操選手として活躍した。24歳の梅雨晴れの日、中学の体育教師だった星野はクラブ活動の指導中に誤って墜落、頚椎損傷で手足の自由を失う。自己を呪い、周囲にあたり、生きる望みを失った星野は、どん底の闘病生活の末、神の摂理に目覚め生きる喜びを再発見。心からの感謝を表したい気持ちが、彼に口で筆をくわえ詩や絵を描かせるようになった。

 東村にミュージアムが出来る以前は彼の作品で巡回展覧会が各地で開かれ、250万人の来場者を数えた。ミュージアムの来場者と合わせると延べ6百万人もの人々が彼の作品を触れたことになる。その星野富弘の作品100点がロスアンゼルスにやってくる。東京から6時間も掛けなくても手軽にお目に掛かれるのだ。

 彼の7冊の著書はすべて英訳されている。ここに展示される作品にも英語のキャプションがつく。彼の絵と詩は、国境を超え人種を超えて見る人の胸を打つだろう。

 「どうか皆さん,一人でも多くのアメリカ人の友人に知らせてこの絵を見てもらってください。彼らが心の底から感動すればそれは日本人への尊敬の念となって残るでしょう。このイベントは、私たち日本人・日系人の評価を高めてくれる貴重な機会です。」私は声を大にしてこう呼びかけたい。
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[94] コミュニティの宝もの  2011/03/22 15:54:24
掲載日:07/28/2001  E-Mail  Home
 「うちの10周年記念に地元にバラエティ・ショーを贈ろうと思うんだがどうだろう。」「うん、面白いね。応援するから是非やろうよ」。こんな会話からイベントの企画が始まった。

 それ以来、実行委員会は手弁当で何度も何度も集まってくれた。「私は琴の演奏と日本舞踊、沖縄ダンスを交渉しよう」「シアターのロビーでお茶とお花もやりたいですね」「自分はマジックとハワイアンダンスに声を掛けてみます」。いっそのこと外の広場も使ってお祭りにしない? 和太鼓や餅つきも、屋台を出して賑やかにしたいね、テントも借りなくちゃ、プログラム広告の寄付、メディアへのお知らせ、と実行委員会はそれぞれが得意分野で一斉に知恵を出し合い動き始めた。これだけ大掛かりなものになるとは思ってなかったが、やがて教育的な要素も取り入れたいとスピーチ、エッセイ、お絵描きコンテストが加わった。

 当日はみんな和気藹々、ボランティアの人達もきびきびと動いてくれる。野外ステージで勇壮な和太鼓の音が響き、餅つき、鏡割りで乾杯。シアターの舞台ではジャズやティンキャン・バンドも彩りを添える。屋台の食べ物はどれもおいしく、舞台のパフォーマンスは変化に富んで面白かったと好評を博した。市長や教育長も応援に駆けつけ祭りを盛り上げてくれた。

 お祭りは見るよりも参加するほうが面白い。みんなで参加しみんなで盛り上げて実現したお祭り。それにしても、どれだけの人達にお世話になったことだろう。なにかというとさっと集まって苦労をいとわず得意分野で献身的に尽くしてくれる人達、このようなボランティア精神に富んだ人達こそコミュニティの宝、貴重な財産だ。

 人が動けば新しく人と人との触れ合いが始まる。イベントを通して地元コミュニティとの交流は深まった。みんなで体験を分かち合い、更に多くのすばらしい人達と出会えたことは思わぬ副産物。皆さん本当にありがとうございました。
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[93] 小泉内閣のメルマガ  2011/03/22 15:53:33
掲載日:06/30/2001  E-Mail  Home
 小泉内閣のメールマガジンが人気になっている。略してメルマガ。今週送られてきたメルマガでは200万人を超えたそうだ。

 内容は小泉首相の短文「らいおんはーと」と次々に登場する閣僚の「ほんねとーく」で、やさしい言葉で自分の感動や考えが直接読者に伝わってくる。他人の書いたものや、一方的に政策や自分の主張を強調するものとは一味違うのが人々を惹きつける魅力になっているらしい。

 ところで、このブームとなったメールマガジンは何を意味するのだろう。アメリカでは1990年代、E-mailやイントラネットといわれる社内外の通信システムで会社の経営トップと社員とのコミュニケーションに中間管理職を介する必要度が激減してしまった。多くの中間管理職は職を失い、会社は身軽になって生産性を上げた。これがアメリカに長期の繁栄をもたらした一因だった。

 政治家は自分の主張や考えはマスコミを通じないと一般の国民には伝えられない。個人的な接触ではどんなに頑張っても数に限界がある。ところが小泉メルマガはこの常識を破りそうだ。何しろ200万人を超える人達に直接語り掛けられるのだ。これは政治家にとって夢のようなことに違いない。マスコミはどうしても断片的で興味本位の取り上げ方しかしない。当の政治家は「自分の語った真意はもっと違ったところにあるのに」とどれだけ悔しい思いをしたことだろう。国民にも、どうも本当のことが伝わってこないという苛立ちがある。

 伝言ゲームというのがある。2つのチームが次々に隣の人に耳打ちしてゆくと最初の伝言が最後の人にはとんでもない内容になって伝わるゲームだ。マスコミは政治家と国民をつなぐ中間管理職の役割を果たしてきた。小泉首相のメルマガ、テレビで毎日直接国民に接する記者会見方式、政治家から国民への情報伝達の手法が確実に変わりつつある。中間管理職役のマスコミも従来の報道姿勢を変えないとリストラの対象になってしまうかもしれない。
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[92] 公益事業のあり方  2011/03/22 15:51:07
掲載日:06/02/2001  E-Mail  Home
 「公益企業を英訳するのにはっきりしたイメージがつかめない。公益企業とはどういう企業ですか」と聞かれ、はたと困った。「営利を目的とする企業ではなく公益を目的とする企業」などと説明してもピンとこない。「たとえば電気とか、水道とか、港湾とか・・」といいかけて、なるほどアメリカには公益事業といっても日本とは大分違いがあるということに気がついた。

 ふだん何気なくすごしているが、カリフォルニア州の電力不足で電気のありがたさを身にしみて感じたし、州内では電力が不足して他州から買っていることも、その値段が需要と供給で上下することも、電力売買の仕組みも、州政府と連邦政府との係わり合いも、また公益企業といえど隙あれば法外な値段を吹っかけてくることも初めて知った。

 アメリカにはそもそも日本で言う公益事業という観念は薄いのかもしれない。事業イコール金儲けのチャンス。電力会社の南加エジソン社は何十億ドルもの過剰請求が問題になっているし、最近も連邦エネルギー規制委員会の告発にウィリアム・エナジー社は800万ドルを払い戻すことで和解した。ガソリン価格の高騰も庶民の生活を直撃している。

 公益事業といえど一定の制約の下で民間企業に任せて効率を追求するアメリカ方式がよいのか、効率は悪いが公益に徹して政府や地方自治体が経営する日本方式がよいのか。

 日本でも最近は効率を求めて民営化への流れが主流で「官イコール悪・不効率」という図式が定着しつつある。官僚の不祥事が拍車を掛け官叩きが世間の喝采を浴びている。しかし私企業は利潤を求めて動くもの、多様な人間で成り立つ社会を経済効率の市場原理だけに任せてよいのであろうか。政府には社会の利害を調整し、より多くの人々が快適に暮らせるよう導く役割がある。官と民のバランス、カリフォルニアの苦悩。まだまだ公益事業のあり方への模索は続く。
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[91] 小泉総理誕生で変革なるか  2011/03/22 15:50:30
掲載日:05/05/2001  E-Mail  Home
 小泉純一郎総裁誕生!、誰がこの結果を予想しただろう。小渕首相の急死を受けて自民党幹部5人の密室協議で誕生した森首相は、世界に日本のこっけいな政治感覚をさらし、退陣に追い込まれた。4人の総裁選候補者が出揃ったところで、大方のマスコミは橋本竜太郎の勝利を予測した。

 もちろん投票の変化の流れはあった。長野県知事選に始まり千葉にいたるまで、これまでの党主導型、組織に頼る選挙が次々に崩れていった。しかし、自民党の総裁選挙は一般投票とは異なる。国会議員と各県連の党員による投票だ。自民党という派閥力学で動く党の組織内で大きな変革が起きるはずもないというのが一般的な予想だった。しかし、県連での投票結果は違った。一度流れができるとそれまで中央からの締め付けのたがが外れて地滑り的な変化が起きた。県連は国会議員よりももっと住民に接する時間が長い。それだけに党のあり方に危機感を抱いていたのだろう。

 日本はバブル経済崩壊のあと、あまりにも回復が遅れた。政府・財界の経済実態の認識が甘かったといわれてもしょうがない。何度も景気浮上のチャンスをつかみながら活かせなかった。日本に資金が枯渇したわけではない。お金が、経済が停滞し廻らなくなったのである。景気は人々の気持ちの持ちようで大きく動く。政治家の一番の仕事は、自信を失った国民に明確な明るい将来のビジョンを示し自信を取り戻させることである。与党も野党もあまりにも目先の対応に追われビジョン作りが出来なかったのではないか。

 小泉氏は政界の変人だそうな。行動を見ると信念の人でもある。信念に基づいて行動すると方々で摩擦を生じる。その摩擦が新たな論議を呼び変革を呼び起こすだろう。誰もが日本はこのままではいけないと思っている。変革には痛みが伴う。しかし誰かがやらねばならない。小泉総理が、たとえ失敗して途中で倒れても変革のための風穴をあけてくれれば後に続くものが出るだろう。
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[90] 新首相への思い  2011/03/22 15:49:46
掲載日:05/01/2001  E-Mail  Home
 
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[89] あしなが育英研修生を迎えて  2011/03/22 15:49:04
掲載日:04/07/2001  E-Mail  Home
 「来て本当によかった。」「みなさまのおかげで、こんなにも違う世界があることを知りました。」「来る前は少しぐらついていたけれど、自分に自信が持てるようになりました。」「私は早く父親を亡くしましたが、ホームステイで朝夕面倒を見てくれたご夫妻に出会え、アメリカに新しい両親が出来た気持ちです。」「ロスアンゼルス市議会で一人ずつ紹介され、テレビにも映りました。日本ではとても考えられない。」「エジソンについて語ってくれたK氏の話に感動しました。私も頑張るぞ!」「ここで得た貴重な体験を持ち帰ってみんなに伝えたい。」「警察署を見学させてもらったら、いきなり手錠を掛けられました。そして、あれっ、鍵がない!といわれて、ううっ!。冗談だよ、と直ぐに手錠を外してくれましたが一瞬青くなりました。」「自分は警察官志望で大学では法律を勉強しているけれど、テレビや映画であんなに暴れていた人間が手錠を掛けられると急におとなしくなるのを、そんなばかな!と思っていましたが、抵抗できないことが初めて実感できました。」「日本の警察はこちらのように市民にオープンではないですね。」

 3週間のすべての日程を終え、あしなが育英会からの研修学生を囲んで行われた送別会で、6人の学生達はこのように自分の感想を語った。大勢の人達の好意に支えられ、様々な体験をした彼らの頭の中は、新しい刺激で火花が飛び交っているに違いない。やがて時間が経てばそれが落ち着いてきて内部で熟成し、芳醇なお酒のように自分のしっかりした考え方が育って行くだろう。

 外国を見ることは、日本を見直すこと、日本人を考えること、自分を考えること、である。どうか彼らの研修旅行が「自己発見の旅」のきっかけとなって欲しい。

 お世話になった多くの人たちに、彼らに代わって心からお礼を言いたい。「ありがとうございました。」
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[88] 日本語検定試験  2011/03/22 15:48:36
掲載日:03/10/2001  E-Mail  Home
 JETROのA所長は「日本語検定試験」の普及に力を注いだ。彼がペパーダイン大学の教授に試験問題を見せて説明した時のことである。「いや、このテストは是非我が校の日本人学生にも受けさせて欲しい」と教授が言った。A所長は、日本語検定試験は外国人の日本語がビジネスとして通用するどのレベルにあるかの客観的な評価基準を与えるためのものだと再度説明した。

 「それはわかっています。」と教授は、その理由を述べた。ペパーダイン大学には世界各国から学生が集まる。彼らは初めのうち英語力が充分でない。英語のテストだけでは実力を判定できないので、母国語でのテストも行うそうだ。不慣れな英語のテストの採点は多少甘いが母国語のテストは手加減しない。ところが日本人の学生は母国語のテストも成績が悪いという。「これはきっと母国語そのものが充分に身についていないのではないか」という素朴な疑問が「日本人学生にも日本語検定試験を」という発想となったのである。

 人は言葉を介して物事を考え、人とコミュニケーションを行う。言葉の基本がきちんと身についてなければ深く考えることもできないし自分の考えや意見を正確に人に伝えることもできない。

 日本では、若い世代で急速に日本語が崩れていっているという。言葉は時代によって移り変わっていくもので、変わることが悪いのではない。危惧されるのは彼らが内にこもったり、同年代の仲間としか付き合わなくなったことだ。

 仲間うちだけなら隠語を使おうと不充分な表現だろうとツーカーで通じる。仲間うちだけに通じる会話は一種の心地よさに通じる。彼らのコミュニケーションはe-mailか携帯電話、話しても隠語・略語が沢山混じり外の者には通じない。この連続が言葉の訓練を阻害し、社会に出た時自分の意思や意見を的確に表現し、他人に伝えることができなくなる。言葉は社会のいろいろな層と話をして豊富になるのだろう。
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[87] インドネシアからの報告  2011/03/22 15:48:10
掲載日:02/16/2001  E-Mail  Home
 「危険な17歳」。以前は子供から大人への、精神的にも肉体的にも、性的にも、大きく変わる多感な思春期の心の揺れ動く状態をこう表した。今は、バスハイジャック、金属バット殺人、一家刺殺事件に代わり、文字通り「危険な17歳」。「むしゃくしゃした」「世間を騒がせたかった」「親に恥を掻かせたかった」「人殺しを経験してみたかった」など、そこには体や心の変化に戸惑い、内なる声に耳を澄まそうとする繊細で微妙な姿勢は見られない。直情的で抑制の効かない暴力が暴発しているだけのように思える。20歳になってもまだ幼稚。成人式で市長にクラッカーを打ちつけ、酒を飲んで騒ぎ、知事に野次や罵声を浴びせる。皆が皆そうなら世の中救いがない。

 シンガポールに滞在中の女子学生からe-mailが届いた。「インドネシアのビンタン島に行ってきました。アメリカ人、カナダ人、オランダ、日本人の交換留学生5人。英語も通じず、身振り手振りのハラハラドキドキ旅行。宿の当てもなく、親切なタクシーの運転手さんが素敵な水上宿を見付けてくれました。シンガポールでは、携帯電話やパソコンなど、ハイテク嵐の生活をしているので、久々に静けさにつつまれて、幸せな週末でした。

 翌日は、ダウンタウンへ。6〜7歳の男の子が靴磨きをしたくて涙ながらに声をかけてきたり、もっと幼い子供たちが道端に座りこみ、目の前のバケツを一生懸命振ってお金をねだったり。どの子供もとても痩せていて、澄んだ大きな瞳がとても印象的。シンガポールではモダンな生活が、ほんの1時間ほどフェリーに乗っただけで、このような「本当の世界」に着いてしまうとは、とても信じがたい。治安、衛生、教育など、様々な問題が絡み合っているこのインドネシアの小さな島で、色々と考えさせられました。」

 若者がすべて悪くなったわけではない。真摯に自分を磨き、様々な国の人達と友人の輪を広げている若者も大勢いることにほっとした。
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[86] 小沢征爾  2011/03/22 15:44:41
掲載日:01/16/2001  E-Mail  Home
 指揮者の小沢征爾氏が斎藤記念オーケストラを率いてセリトス・パフォーミングアートセンターで演奏した。曲目はマーラーの交響曲第九番。

 拍手に迎えられて指揮台に立った小沢は場内が静まると一呼吸置いて演奏に入っていった。小沢の指先から繊細な音がつむぎ出され、やがて彼の全身が激しく動き始めるとバイオリンやビオラ、チェロに管楽器、打楽器が重なり、全オーケストラがぴったりと呼応する。特に第4楽章は圧巻だった。小沢の激しい動きに弦の奏者が一体となって揺れ動き、音は高く低く歌うように、うなるように、うねりとなって聴衆の体の底まで響いてくる。最終楽章を振り終わり、静かに、静かに、静かに…音が消えていった。小沢の指先は音が消え去ってなお人の耳には聞こえない音を追いながらすべての感情を収束するかのように降りてゆく。場内がまったくの静寂に包まれ、小沢が姿勢を正すと嵐のような拍手に包まれた。

 桐朋音楽学院を卒業し、世界に大きくはばたいた小沢氏は、28年間のボストン・フィルハーモニーから来年はウィーンの国立歌劇場の音楽監督に就任する。彼の恩師にちなんだ斎藤記念オーケストラを結成したのが1984年、1992年から長野県松本市で斎藤記念フェスティバルを毎年開いている。

 世界各地で活躍する桐朋音楽学院出身の一流の音楽家達が一堂に集まり小沢の指揮を受けることでどれだけお互いに刺激しあうか、このフェスティバルがどれだけ日本の音楽レベルを高めるか計り知れない。2000年には小沢音楽塾を開設し、後進の育成に一段と比重を掛けているようだ。

 ある街ではクラシック音楽を朝夕に流すことにより犯罪率が激減したという。人間は生産し食べることのみの経済活動に、歌・音楽・絵など芸術活動を加えることで他の動物とは違った「文化」を持つようになった。小沢氏の後進育成の成果が更に多くの優秀な音楽家を世界に送り出すとすれば、海外に住む我々日本人にとってとりわけうれしいことである。
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[85] 大統領選挙に学ぶもの  2011/03/22 15:44:02
掲載日:12/16/2000  E-Mail  Home
 両者が伯仲して最終的に次期大統領を決することになったフロリダ州での戦いは、11月7日の投票以来、票の数え直しをめぐって2転3転したが、12月13日連邦最高裁の裁定によりようやく決着した。その間、両陣営は知力の限りを尽くして法裁で争った。5週間に及んだこの法廷闘争はまさに国民を真っ二つに割った感があった。

 ブッシュ候補は勝利演説で「私は一つの党だけで選ばれたのではない。私は一つの政党ではなく、国家に奉仕するために選ばれた。合衆国大統領は、国民一人一人の大統領である。私に一票を投じたか否かにかかわらず、私はあなたがたの利益の為に全力を尽くす。」と選挙後の融和を宣言した。

 あれほどの激しい戦いを終えてゴア候補の敗北宣言はユーモアを交えて爽やかですらあった。結果は納得できなくても法に従い決まった以上は国家の為に新大統領に協力しようと説いたゴア候補は4年後に再挑戦の芽を残した。

 アメリカの大統領は本当にタフだ。予備選から始まって大統領候補の地位を勝ち取り、本選に望む。その間、私生活をはじめあらゆる過去が暴き出されどのような事態に陥っても動じず冷静に対処することが要求される。信念、倫理観、冷静さ、判断能力、リーダーシップとあらゆる場面で資質が試され大統領に選ばれる。

 アメリカほどリーダーを大切にする国はない。そのリーダーが大切な局面では自分の思いを国民に直接語り掛ける。ゲティスバーグでのリンカーンの演説、就任演説で国民を奮い立たせたケネディの演説、一人の人間の語りかける言葉が人々の胸を打ち、感動を呼び起こし、社会の流れを変えていく。

 今回の大統領選挙では、アメリカは世界の笑い者になった、こんなお粗末な投票制度でよく今までやってこれたものだ、他国に選挙監視団を送るなんて資格はない、などとこき下ろされた。しかし、このような試練に直面するたびに反省と改善がなされる。遅々としているが一歩一歩前進する。あれほどの激しい戦いを通じてすべてが国民の見えるところで行われた。すべてがルールに従って進められた。今回の大統領選挙はアメリカ民主主義の健全性を世界に示したのかもしれない。
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[84] 日本語弁論大会  2011/03/22 15:43:33
掲載日:11/18/2000  E-Mail  Home
 先日、リトル東京ライオンズクラブ主催の日本語弁論大会がホテルニューオータニで開かれた。テーマは「私の目に写るリトル東京」で、高校生の目からリトル東京を語ってもらおうというものである。

 出場者は7人、全員が女性。出場者が口をそろえて指摘したのは次のようなことだった。(1)それぞれが幼い頃にリトル東京に懐かしい思い出を持っている。それは町の雰囲気だったり、買い物だったり、親や友達と参加したお祭りだったりする。(2)現在のリトル東京には魅力を感じない。それは町が観光客志向となり自分達が町を歩いてもよそ者に感じるからだ。身近に感じる文化もないし、土産物屋からは観光客に間違われ不快な思いをすることも多い。そのたびに「ここは私の町ではない。私の来るところではない。」と感じる。(3)一方、何とか身近な町になって欲しく、日系人に親しみある場所を保って欲しいと思っている。二世週祭やトーフ・フェスティバルなどのイベントに参加するととても楽しい。しかし、どうして普段もこのように人が集まらないのだろうかと残念に思う。

 いま、小東京商店組合、南加日商などがリトル東京の活性化に躍起になってイベントを催したり、ジム建設の運動などが起きている。しかし、本当の活性化の鍵は大人の頭で考え出すよりも、むしろ次代を担う子供達の感性にあるのではないだろうか?

 各地でこのようなテーマで弁論大会を催すのも面白い。若者向けのイベントで東西対抗のディベートをしてみるのもよい。こうした試みは日系人の若者に自分のアイデンティティを考える絶好の場となるだろう。一部の地域活性化だけでなく、次代を担う若者達が日系のアイデンティティをしっかり身につけて活躍することこそ日系社会の活性化が定着する早道だと思う。

 当日の聴衆は関係者を中心に30名あまりだった。来年はもっともっと多くの人達が集まって子供達の声に耳を傾けて欲しい。
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[83] 千の風になって  2011/03/22 15:43:03
掲載日:10/21/2000  E-Mail  Home
 最近若くして亡くなられたAさんの葬儀に参列した。Aさんは3人の子供の母親。だいぶ前にガンの告知を受け、何年も闘病生活を続けていた。

 抗がん剤で頭髪が抜け落ちた時期もあったがいつしかもっと自然に生きる方法を選ぶようになっていった。彼女は自分の体験を通じ、悩んでいる人、苦しい人に常に励ましの声をかけ悩める人たちの慰めとなっていた。悩みの相談を受けると「そうだね。でもきっと何とかなるよ。一緒に考えよう。」いつも前向きな姿勢がみんなの共感を呼んだのだと思う。

 葬儀の終わり、謝辞で次女が述べた言葉が心に残った。「母はいつも苦しいことの後にはきっといいことがあるわよ、といっていました。私も母の言葉に従って苦しい試験勉強を頑張るとよい結果となって報われました。ある日、私がベッドのそばに座っていると、私がこんなに苦しい思いをしているのだからきっとお前たちにいいことがあるよ、といってくれました。母は私たち子供だけでなく、いつも多くの友人を励ましてきました。ご参列の皆さん、母が苦しんだ分、きっと皆さんによいことが起こりますよ。楽しみに待っていてください。」

 かけがえのない母を失い悲しみのどん底にいる娘からこのような言葉が聞かれようとは思いがけなかった。先に母の生涯を語った長女の話といい、この次女の話といい、彼女が聞いたらどんなに喜ぶことだろう。身を持って実践し教えた人生への姿勢が自分の子供達に脈々と伝わっているのだ。

 最後にお坊さんの引用した、若くして亡くなった人気ロック歌手「ヒデ」の墓前に捧げられた詩が人々の胸を打った。

 「私のお墓の前で泣かないで下さい。私はもうそこに居ないのだから。私は千の風となって世界を駆け巡っています。夜、窓を開けるとあなたの髪をやさしくなびかせ・・・・・・私のお墓の前で泣かないで下さい。私はもうそこに居ないのだから・・」まさに人は死んでもその人の記憶を持っている人がこの世に生きて居る限り生きている。彼女の思いは千の風となって我々に希望を与えつづけるだろう。
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[82] ITの便利さと怖さ  2011/03/22 15:42:35
掲載日:09/28/2000  E-Mail  Home
 最近、コンピューターがよくフリーズ(作業途中で動かなくなる)するなと思っていたらやがて本当に動かなくなってしまった。専門家にみてもらったら「ハードディスク(記憶装置)が壊れていますね」という。「もしデータが読み取れれば新しいハードディスクに移し替えておきます」というのでタカをくくっていたら「やはり駄目でした」という答えが帰ってきた。

 文明の利器とは便利なもので、あらかじめ多くの人達の電子メール・アドレスをアドレス帖に登録しグループ化しておくと、お知らせや情報の伝達を何十人、何百人にでも一瞬の内に送ることができる。自分の場合は今までに貯めた電子メールアドレスを幾通りものグループに分け、これはゴルフの仲間、これは勉強会、これは日本の人達へ、親戚のグループとその時々にニュースや写真、お知らせなどを送っていた。

 それが一瞬にして使えなくなってしまったのだから辛い。今までに作ったデータはバックアップを取ってあったが電子メールのアドレスはバックアップがない。幸い他のコンピューターに大部分は残っているのだが素人の悲しさ、移し方がわからない。現在はこっちのコンピューターで仕事をし、あっちのコンピューターで皆さんにお知らせをとハミングバードよろしくコンピューターからコンピューターへと飛び回っている。

 ITとはインターネット・テクノロジーではなくインフォメーション・テクノロジーであり、情報技術の発達で社会の仕組みが大変革する。旧ソ連は情報制限の解除で崩壊したし、アメリカの経済は「IT革命」で生産性が上がり回復した。巷では石油が高騰し政府の備蓄石油放出が取りざたされている。国際石油価格が上がれば車のガソリン代のみならず電力価格に影響し、コンピューターなしでは動かない社会の仕組みのコストに直結する。株式市場も敏感に反応し石油価格は正に国防問題であり政治問題である。今回のトラブルで私は情報テクノロジーの便利さと恐ろしさを垣間見た。
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[81] タイガーウッズ  2011/03/22 15:42:10
掲載日:08/26/2000  E-Mail  Home
 ゴルフ界に大変なスーパースターが現れた。その名はタイガーウッズ。今年、全米オープン、全英オープンとメジャー大会を制覇し、先週の全米チャンピオンシップでは優勝間違いなしとの前評判のプレッシャーに打ち勝った。

 最終日、1打差の首位でスタートしたウッズは、2番ホールでボギーを叩きボブ・メイに逆転される。同率首位で後半を迎えた両者は、何と後半9ホール中5ホールをバーディとする驚異的なゲームを展開した。メイが先行してはウッズが追いつく。片方がバーディを取ればもう一方もバーディ。

 圧巻は18番ホール。グリーンエッジからのメイのバーディパットは80フィートの難しいラインを転がり、最後に左へ切れてホールに吸い込まれていった。ウッズはこれが入らなかったら負けるという大変なプレッシャーのもと、渾身の集中力でこのバーディパットを決めた。目をぎらぎら輝かせ両足を踏ん張りガッツポーズを繰り返す姿にはめらめらと燃え上がるほどの勝利への執念が見られた。

 プレーオフは最終3ホールの合計。最初の16番ホールで長いバーディ・パットを決めたウッズが優勝したが、その壮絶な競り合いもさる事ながら共に18アンダーで争ったこの試合はゴルフ史に残る名勝負となった。テレビの視聴率は過去最高を記録し、テレビを見ている家庭の23%、プレーオフでは40%に達したという。

 メジャー大会18回の優勝を飾り、これを追い抜く選手は出ないと言われた帝王ジャック二クラスは前半2日をウッズと廻った。二クラスの目に映ったのは、ゲームプラン、技量、集中力、闘争心、ドライバーショットからパットにいたるまで完璧なウッズの姿だった。「全盛期のウッズをこの目で見られてよかった」とは二クラスの弁である。

 全米オープン12アンダー、2位以下に15打差は106年間の歴史上初、全英オープン19アンダーも史上初、グランドスラム(4メジャー制覇)24歳で史上最年少達成など記録ずくめのウッズだが、驚くのはインタビューや試合を通じて伝わる彼の成熟した大人の言動である。奢らず高ぶらず当意即妙に自分をコアにしたコメントには頭が下がる。
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[80] ミスユニバース  2011/03/22 15:41:46
掲載日:07/01/2000  E-Mail  Home
 今年5月、「ビューティコンテストが女性を見世物的に扱うイベントだという批判もあるが?」という最終選考での質問に、「このような催しは、若い女性に発言の機会を与えてくれます」と答えて審査員に感動的な印象を与え、ミスユニバースに選ばれたインドのモデル、ララ・ダッタさんが帰国、7月17日に記者会見した。

 「この2ヶ月間は信じられない日々でした」。13カ国を歴訪し、様々な見聞を広めた彼女は一段と大きく成長したようだ。これからの抱負は、「少女たちが義務教育を受けられるための基金を作りたい。そうなれば、インドの10億の人口は負債ではなく資産になるのです」。この言葉を聞いて私は身内が震えるほどの感動を覚えた。これは単にビューティコンテストの優勝者の言葉ではない。政治家でもこれほどの発想とコメントを出せる人がどれほどいるだろうか?

 教育は国の行方を左右する。幕末に国を憂い、西洋の事情を学ぶために命を掛けて密航を企てた吉田松陰は、そのために獄につながれ刑死した。しかし、彼の小さな私塾・松下村塾で育てたたった80名余りの人材が日本を根本から変える原動力となった。ヨーロッパには、この吉田松陰の事件を知って「日本はやがて素晴らしい国になる。知識や教育に命を掛ける人物が出る国だ。やがてこの国は我々を凌駕するかもしれない」と予言した人物もいた。教育は、教育審議会などでなく、本当に情熱を燃やしたリーダーが必要だ。

 ララ・ダッタさんは、エイズや貧困の問題についても「完全になくすことは無理だけど、世界を少しでも変えるため、この機会を存分に使いたい」と語ったそうだ。このような見識を持つ彼女は、やがて政治的にも影響力を持ち、インドの希望の星となってカースト制や人口問題に悩むインドを変革する原動力になるかもしれない。容姿も志も世界一のララ・ダッタさんに心からの応援を送りたい。
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[79] 初の在外投票を終えて  2011/03/22 15:41:11
掲載日:07/01/2000  E-Mail  Home
 6月25日、衆議院議員選挙で初の在外投票が実施された。自分にとって投票するのは21年ぶり、日本にいるときは義務感で行っていたが今度は期待に満ちて投票した。

 昨年5月、受付初日に登録し早めに請求したので充分間に合って投票用紙が届いた。やってみると登録から投票まで意外と面倒で手間が掛かる。投票に3種類もの封筒があり、必要事項を書き入れ、何度も念押しをして記念にデジカメで写した後に「無事に届けよと」と言い聞かせて送った。

 政府発表によると、海外の日本国籍保有者は約79万人と推定(外務省)され、そのうち有権者は59万人。選挙日までに選挙人に登録したのは五万八千五百二十五人、実際に投票したのは一万六千九百九十六人(投票率29.0%)に過ぎない。

 日本からは海外有権者の登録数の低さが指摘されたが、登録・投票手続きの煩雑さ・複雑さが阻害要因で大いに改正の必要がありそうだ。
これを国内に適用すると、北海道の有権者は札幌の道庁へ出向き選挙人登録。道庁から送られた各選管は選挙人証を発行し有権者に送る。選挙のたびに有権者は選挙人証を添えて選管に投票用紙を請求。選管は公示を待って投票用紙に3種類の封筒、選挙人証を添え有権者に送る。有権者は投票用紙に支持政党を記入して選管に郵送。その間の旅費、郵送代は一切個人負担だ。

 さて、選挙結果は、与党連合が大幅に数を減らしたにもかかわらず、絶対安定多数が確保できたという理由で早々に森首相・野中幹事長の続投が決められた。与党各党が軒並み大幅な後退をしながら責任者が責任を取らないで済む日本の政界はどうなっているのかと疑問に思う。

 経営者も政治家も結果に対する責任を取るのは自明の理である。不可解な日本の政治状況は、外国人に「不透明な日本のシステム」という印象を与えあらゆる場面で我々海外在住者に跳ね返ってくる。来年の参議院選挙にはもっともっと海外からの声を反映できるよう選挙人登録者が増えることを期待したい。
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[78] 続婚式  2011/03/22 15:40:40
掲載日:06/03/2000  E-Mail  Home
 ロスアンゼルスの南、パロスバーデス半島に「ガラスの教会」がある。太平洋を一望にするガラス張りのこの教会は、小さいながらも結婚式場として抜群の人気を誇っている。毎年6月の第一日曜日、希望者のカップルは誰でも、この「ガラスの教会」で行なわれる「結婚の誓いをもう一度」という合同サービスに参加できる。(2000年度は50組のカップルが参加、うち日本人7組)

 この記事で思い出す。以前、「続婚式」という耳慣れない式を行う日本の一団に出会った。日本では父親が仕事にすべてをかけ、家庭と子供の教育は母親任せが一般的。サラリーマンとして就職すると家庭を振り返ることは女々しいとされ、朝早く家を出ると夜遅くまで帰らない。帰っても夫婦の会話は少なく、「めし、フロ、寝る」の3言だけ。

 ところが時代は変わりつつある。共稼ぎや財布を預かる妻の権限は強くなり、亭主が定年退職する頃には、子供は親を離れ、妻は趣味の会やカラオケ仲間の付き合いで忙しい。子供が小さいときは辛うじて共通話題があったが、子供が育った後はまったく夫婦間の共通話題が無くなってしまう。退職した亭主は、粗大ゴミだ濡れ落ち葉だと邪魔者扱いとなる。果てははやりの熟年離婚だ。

 仕事人間となり家庭を犠牲にし夫婦間の会話を怠った報いではあるが、家族のために頑張ってきたお父さんには余りにも厳しい。そこで「続婚式」なる発想が生まれた。子供も大きくなり、これからは夫婦の生活をどのように設計するかという時に、お互いを見詰め合い絆を強化しようとする。そしてそれを神の前に誓い友人知人に宣言する。それが「続婚式」である。

 一番大切なのが、(1)自分、(2)配偶者、(3)家族、(4)仕事の順となるアメリカに比べ、仕事を最優先する日本。そこには職場に忠誠を示すことで自分や家族の安泰を期待する発想があった。バブル経済崩壊後、リストラに次ぐリストラで日本の雇用構造が崩れて行く。会社は信じられず転職後はどうなるかわからない。最終的に頼りになるのは配偶者。「続婚式」を真剣に考える時が来たのかもしれない。
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[77] マンザナー巡礼  2011/03/22 15:40:01
掲載日:05/06/2000  E-Mail  Home
 第二次世界大戦中、敵性日系人を隔離しようと10カ所に分散強制収容された日系人の数は約11万人。その一つ、マンザナーは強制収容所を象徴する場所として保存され、国立公園に指定されています。

 慰霊祭が行われた4月29日、夏を思わせる日差しの下、マンザナーを見下ろす山々にはまだ白く雪が残っていました。風が強く、時折砂塵を巻き上げてゆきます。一度は来てみたかったマンザナー、多くの人々に語り継がれ、書物で目にしてきた場所です。ハイウエー395号線を外れ、入り口の検問所らしき小屋を通り過ぎ、矢印に導かれて幾曲がりかすると慰霊祭の行われる広場に出ました。

 広場の隅にはバス6台が駐車し、4百人くらいの人達が集まっていました。中学生から大学生まで、意外と若い人達、それも白人の多いのに驚きました。トラックの荷台にしつらえられた舞台の上でセレモニーが始まり幾人かの体験談が語られました。セレモニーが終わると慰霊祭。神道の金光教、キリスト教、各派の仏教が一堂に集まっての合同慰霊祭です。

 55年目を過ぎた今では悲しみよりも思い出、若い学童や学生にとってはアメリカの歴史の一面を学ぶ場としての役割に変わりつつあるようです。マンザナーを日系人の戦中体験の場として、アメリカの誤った政治判断の場として、また、人種間融合の場として語り続けてゆくには、慰霊祭が楽しみも伴った集まりでなければ人々を引き付けないでしょう。

 今年の慰霊祭には4人のボーカリストが「すしブギウギ」というゆかいな歌を披露しました。最後は恒例の盆踊り、炭坑節の他におどけたテンポの良い若者向けの踊りが用意され、そのような変化を感じました。駐車場への帰り道、若い白人の女性が盆踊りの手振りを覚えようと手振りを繰り返していたのが印象的でした。
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[76] アメリカの国勢調査  2011/03/22 15:39:34
掲載日:04/08/2000  E-Mail  Home
 ミレニアム、2000年。この新世紀への変わり目の年に10年に一回のアメリカ国勢調査“センサス2000”が行われている。

 1778年に制定された、アメリカ憲法第1条(立法権)、第2節(下院)、第3項(州あたりの下院議員数)によると「下院議員及び直接税は10年毎の人口算定に基づき各州の人口割合で各州間に配分される」ことが決められている。1790年には第1回目の国勢調査が実施され、以来10年毎に実施されている。

 この人口調査は下院議員数の各州への配分を決めるだけでなく、直接税の配分、すなわち連邦補助金の配分を決める基礎数字でもあるので国民にとっては重要だ。調査表に同封された手紙には、連邦補助金がこの人口調査により地域の学校、雇用対策、住宅補助、道路、児童やお年寄りへのサービス、その他の地域補助に使われる旨が記されている。

 調査は国勢調査局が担当するが、通常は各家庭に調査用紙を送って記入し返送してもらう。調査対象は4月1日にアメリカに居住するすべての人が対象となり、市民、永住者、合法・不法滞在者を区別しない。

 人口調査には漏れがないように調査期間中を通じてテレビ・新聞などでは積極的な広告を行う。ロスアンゼルス・タイムスには何回もボランティア達がホームレスの人口調査を路上で行っている様子が詳しく報道されていた。1990年の調査では全米のホームレス数は22万8千6百21人(ロスアンゼルス郡7千7百6人)だったが援助団体によるとその数倍は居るという。援助団体は運営資金のほとんどを連邦政府に依存しているので全面的に協力する訳だ。

 今年は大統領選挙の年。カリフォルニア州は54人の選挙人を抱え、下院議員数も52名を数える。今年の国勢調査によって更に配分数の増加が見込まれるカリフォルニア州は政治上の重要性がますます高まるに違いない。
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[75] 社会を変える情報・通信革命  2011/03/22 15:39:03
掲載日:03/13/2000  E-Mail  Home
 ミスター円と言われた元大蔵省財務官、榊原英資氏の話では、インターネットを中心とする情報・通信革命が、単なる情報通信業界の出来事ではなく、社会全体を根本的に変えてゆく大変革であるという。

 氏と懇意なグリーンスパンFRB議長もサマーズ財務長官も、100年に一度の変革がアメリカに起こっているという点で共通認識を持っているそうだ。榊原氏はそれを農村・定着農業中心の社会が産業革命によって工業・都市集約型の社会に移行したように、現在進行中の情報・通信革命は過去の産業革命にも匹敵する大変革だという。

 先日、28才の青年が日本からやってきた。アメリカ生まれ・小学校1年生で帰国した彼は、インターネットの運輸業務システムを開発中である。アメリカに会社を設立し、日本でも間もなく会社設立が完了するそうだ。彼のアイディアとビジネスに対する熱意に投資家が現れ、夢が実現しようとしている。また、知り合いの息子は24才、まだ東部の大学でMBA取得の学生の身だ。それがロンドンとニューヨーク、シリコンバレーにパートナーを持ちインターネットビジネスを立ち上げるという。スタートアップの資金はいくら?と聞くと2.8ミリオンとこともなげにいう。

 情報・通信革命という大変革が進行する中で多くの野心的な若者達がチャンスを求めて激流に飛び込んでゆく。日本でも政府が重い腰を上げ産業界も電子商取り引きに真剣に取り組み始めた。若者達も次々にユニークな発想でビジネスを起こしている。

 私達はそうした時代の大変革の中に生きている。この幸運を活かすためには、ただ傍観しているよりその流れに飛び込んでみてはいかがだろうか?激流に身を任せると溺れるかもしれない。しかし片足を岸辺に浸すだけでも時代の流れが身近に感じられる。まずは手近かなe-mailからでも始めるといい。
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[74] 3県合同新年会の効果  2011/03/22 15:38:32
掲載日:02/29/2000  E-Mail  Home
本文は後日記入
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[73] 特許侵害対抗法  2011/03/22 15:38:02
掲載日:02/14/2000  E-Mail  Home
 特許とは人々の役に立つアイディアや画期的な物を世の中に公表すればその代わり一定期間その人に専売の特別許可を与えようという奨励策である。各国は国際条約で特許を保護しあっているが海賊版や特許侵害が絶えない。

 人真似は悪いという考えは、ある程度社会が成熟しなければ生まれない発想で、戦後しばらく、いやつい最近までは日本もアメリカの真似をすることが多かった。最近では反対に日本の製品が真似されるケースが増えている。以下は特許専門家に聞いたお話。

 ブラジルでイタリアの超有名ブランドの偽物が出回った時のこと。裁判ではなかなかはかどらず、勝っても会社名を変えて次々とまた新しい業者がでてくるので実効性がない。そこで、この製品を扱うアメリカの会社はブラジルの弁護士とチームを組み、地元の警察と話をつけるプロジェクトを実行した。まず地元警察にトラックを一台寄付。警察はそのトラックに警察官を乗せ、偽物製造工場に闇討ちをかけた。トラックに押収された製造設備や製品は警察広場に広げられ、トラクターで押しつぶされた。その模様はテレビや新聞で報道され、各地を廻ったこの偽物退治のキャンペーンは効を奏したという。

 台湾ではアップル・コンピューターがパイナップル・コンピューターやオレンジ・コンピューターなどの偽物に悩まされた。同社は地元警察と組み偽造業者の親玉を捕まえ、刑事事件にして刑務所に入れてしまった。裁判では、時間もかかり、のらりくらりと逃げられる可能性もあるが、このような対処の仕方も現地では実効性がある。

 発展途上国では、法規通りにいかない事が多い反面、ある程度のお金を使い有力なコネを利用すると、実際に有効な手段もとれる。行政側も自国の発展を望み近代化を目指しているので、違法行為取り締まりのきっかけを探している事も多い。

 所変われば品変わる、特許侵害対抗法も、自国の常識で判断せず、郷に入っては郷に従えということか。
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[72] パナマ運河の返還  2011/03/22 15:37:31
掲載日:01/18/2000  E-Mail  Home
 パナマ運河のレクチャーで講師が最前列の人を指した。「あなた立って下さい。」一人おいて、「あなたも立って下さい。」又一人おいて「あなたも。」5、6人の人達が一人おきに立たされると、講師は聴衆を見回した。「皆さん、パナマ運河は実に7フィート毎に一人の犠牲者が出たのです。7フィートごとですよ。皆さんが今通過しているこの運河は二万人の犠牲者と巨大な資金を費やした世紀の大事業の成果です。」

 船はゆっくりと第一ロック(閘門)に入って行った。全長一千フィート、幅百十フィートのロックの水門が閉じられると注水が始まり、見る見るうちに5万トンの巨体がせりあがっていく。やがて水位が第2ロックと平衡になると、水門が開いて次のロックへ入って行く。いったい誰が考えたのだろう。3段階の閘門で85フィートを持ち上げ、人工の湖を渡って3段階で降りるということを。太平洋から大西洋へ、大西洋から太平洋へ僅か五十マイルの距離で南米のホーン岬を回ることなくショートカットして両洋を結んだ役割りは大きい。

 それまで漠然とした知識しか持っていなかった私は、実際にパナマ運河を船で通過する機会を得てその全容を知り改めて大工事に驚いた。このパナマ運河が1999年12月31日、アメリカ政府からパナマ政府へ返還された。大晦日を迎えてミレニアムとY2K問題で大騒ぎの世間にはそれほど大きく取り扱われることもなく「ひっそりとした」返還式だった。それに先立って行われた12月14日の事前返還式には、オルブライト米国務長官と共に返還の立役者カーター元大統領が出席した。

 航空機輸送が発達した今日、運河の重要度は薄れつつある。しかし、一日約40隻、年間一万四千隻が利用するパナマ運河は依然としてその輝きを失わない。返還が決定された後、年月をかけて現地化を進めてきた運河関係者達は、今後のパナマの自主運営に自信を持っている。パナマ運河の自主運営はパナマ政府のみならず中南米の人々に自信を与えるに違いない。パナマの誇り、中南米の星、パナマ運河は今後も燦然としてとして輝き続けるだろう。
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[71] 就職相談  2011/03/22 15:37:03
掲載日:12/11/1999  E-Mail  Home
 リリーン!リリーン! 早朝枕元の電話のベルで目が覚めた。「就職のことで迷っています。叔父さんの意見を聞かせてください。」久しく会わない日本の甥からだ。司法試験に数年間チャレンジしたがとうとう就職を決意した。この会社は本社の総務部で法務も担当させるというので面接に応じたけれど、社長面接で「地方で営業をやるところから始めろ」といわれた。就職はしたいが「話が違う」「口利きをしてくれた役員は、将来法務を担当できるように本社に戻すといっているが先の約束なんて信じて良いものだろうか」話し振りに不満と不安が入り混じっている。

 「自分が社長でも同じことを言ったかもしれないなあ」考えてごらん、6〜700人の会社で朝から晩まで法律を扱うほどの仕事があるだろうか。また、現実の法務は机上の勉強とは違う。お得意様を知り、現場を知り、業界の実態を知らないでどうやって法務が担当できる?

 職場は、従業員と会社側の利害が一致して雇用契約が成り立つ。就職する側は自分の知識・経験を発揮し更に伸ばして行く場であり、経営者にとっては従業員の知識・経験・やる気を最大限に引き出して業績を上げようとする。職場選びはその意味で会社と対等な立場だ。ケネディの言葉ではないが「会社が何をしてくれるかでなく、自分が会社にどのように貢献できるか」を自分の知識・経験に照らして考える、これが会社選びのポイントではないのかな。

 忠告に従い、早速サンキューカードを買ってお世話になった人にはお礼状を書き始めたという。一ヶ月後には就職の挨拶状が届いた。添え書きに「入社して1週間が過ぎました。営業には向かないと思っていたがいろいろと学ぶことがあって面白いです。就職して良かった。」とあった。ようやく社会に漕ぎ出した新入生。いろいろな体験をするたびに強く育って行くことを願っている。
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[70] プロフェッショナル・ガイド  2011/03/22 15:36:36
掲載日:11/13/1999  E-Mail  Home
 コスタリカを訪ねた。港町パンタレナスからバスで1時間あまり、高原の町、首都サンホセの町を訪れる。

 政情が安定したコスタリカは中米の星と呼ばれ、自国では一切の軍隊を持たず、国の安全保障をすべて米国に依存している。最大の産業は観光業。世界の観光ガイドのコンテストでは常に1位を占めている。
ガイドの名前はアドルフォ、あごひげを蓄え頭は禿げているが30代後半、学者風でなかなか威厳がある。

 国立博物館では大勢の青い制服を着た子供達に出会った。国民の平均月収は400〜500ドル、決して豊かではないが月収と同額のテレビが各家庭に行き渡るようになった。「子供達がいろいろなことをテレビから学ぶのはよいがコマーシャルは富める国と同じものが流れます。学校が制服だと流行を追わなくて済むし子供に差別を作りません。」「学校は6年制の小学校と5年制の高等学校までが義務教育で無料、その後の教育は大学に進むか専門学校に進みます。識字率は国民の93%、先進国にも劣りません。」「政府のもっとも大切な役割は教育と仕事の確保です。」失業率は5%、中米にあっては驚異的に低い。隣国グァテマラが65%の失業率を抱えているのと対照的だ。

 その隣国から不法移民が職を求めてやってくる。最近、国民医療制度の財政基盤を確保するため、移民を認めて税金を徴収するようになった。この人達は農作業や重労働、清掃業などに就いている。移民の増加で犯罪が増加したが、おかげで65%が中流という生活が保てると自覚している。

 アドルフォの説明はお国自慢だけではなく社会の問題点をも的確に捉える。単にマニュアルに従っているだけでなく至る所に自分の見識が顔を出す。深く社会のシステムを考え自国に誇りを持っているからだろう。彼は他の観光地のガイドとあまりにも対照的だった。自分のお客に深く自国を理解してもらう、これこそプロフェッショナル・ガイドといえるだろう。
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[69] 問われる日本の安全管理  2011/03/22 15:36:08
掲載日:10/16/1999  E-Mail  Home
 9月30日、茨城県東海村で起こった核燃料工場の臨界事故は世界にショックを与えた。日本国内の反応は、事故被災者の救援、周辺住民への影響、被災地域の範囲などだったが、やがて事故の経過や原因究明が進むにつれそのずさんな管理、「裏マニュアル」に代表されるルール違反が明らかになった。

 政府や監督官庁、地元自治体の対応も遅れたが、外国の反応は素早かった。クリントン大統領は直ちに声明を発表し「支援対応をー米が検討用意」と報じられた。その後も「米ロ両政府、支援の用意」「米エネ省、茨城・東海村に専門家派遣へ」と続く。世界唯一の原爆被爆国を自任している日本と、本当に核の恐ろしさを認識している外国政府との認識度の違いであろうか。

 その後の調査でどうやら被害は予想よりも少なくて済み、住民や国民にはようやく安堵の色が広がりつつあるように見える。しかし、この事故による世界の不安は消えない。それは日本の安全管理・危機管理能力に重大な欠陥を見、危惧を抱いたからだ。このような事故の場合、日本国民の関心は被災者救済・救援体制に目が向く。しかし、もっと重要なのは事故原因を追求し二度と間違いを起こさない対策をどのように講じるかである。
米民間シンクタンク・エネルギー環境研究所が「日本は危険なプルトニウム利用から撤退すべきだ」と声明を発表したが、外国の危惧がここに集約されているように思える。

 戦後、平和に慣れ危機に直面することの少なかった日本は危機管理が一番の弱点かもしれない。
このような規則違反をしたら直ちにクビになり会社は吹っ飛ぶアメリカ。単一民族で文化背景が同じ、職場でもマニュアルより「常識で考えろ」が通用する世界から、常に緊急時を考え備えておく、決められた規則は規則通りに実行するグローバルスタンダードへ移行しなくては、日本は世界の先進国の仲間から外されてしまうかもしれない。銀行の破綻が相次ぎ、新幹線の不祥事が続発するなど日本の安全管理にほころびが目立つ今、日本の管理制度の見直しが問われている。
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[68] 散歩道のできごと  2011/03/22 15:35:38
掲載日:09/17/1999  E-Mail  Home
 ここロスアンゼルスは四季の区別が無いように思われるが、時がくればポピーが咲き、ジャカランダが人を楽しませ、ラベンダーが紫色の花をつけてくれる。今は葉の無い薄いピンクのゆりのような花があちこちの庭や道端から顔を覗かせている。近くの住宅街は大きなユーカリの木が茂りまるで森のようだ。

 ある朝、その散歩道に見なれないものを見つけた。石ころで円を作り、真中に板を立てかけ、板には紙が張ってある。石で作ったサークルの中にはその辺から手折った草花が供えられている。板の上の紙にはこのように書いてあった。

 「この場所にて今朝6時半、一人のお年寄りが死んでいるのが発見されました。
 彼の名前はまだお知らせすることは出来ません。彼が心臓麻痺に見舞われたとき、彼は毎朝楽しみのジョギングを行っていたようです。救急車が到着したときは既に蘇生術を施すには遅すぎました。彼のため、ご家族のため、彼のお友達のために心からの祈りを捧げます。

 この文を読まれた方は、ご自分が、毎日を、毎時間を、毎分を、毎瞬間を生きていることに感謝されることでしょう。あなたの周りの人々、出会う人々を自らの喜びと考え、大切にしましょう。私たちは精一杯生きていることに幸せを感じて人生を過ごすべきではないでしょうか。」

 翌週そこを通りかかると、周りには花が増え、家族が置いたのだろうか、故人の写真が飾ってあった。3人の孫娘に囲まれ頬にキスを受けている幸せそうな老人が写っていた。

 毎朝ジョギングを楽しむうちに突然の心臓麻痺、何時かは迎える死を寝込むことなしに一瞬のうちに迎えたこの人は幸せだったのかもしれない。それにも増して心に響いたのは、倒れた人を見つけて救急車を呼び、現場に石ころを並べ、事実と弔意を表す文章を残した人の思いやりだった。
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[67] アラブの金さん  2011/03/22 15:35:09
掲載日:08/20/1999  E-Mail  Home
 8月4日付けの新聞のホームページによると、ヨルダンのアブドラ国王がタクシーの運転手にふん装してアンマン市内を走り、市井の声を聞くことに成功したという。

 国王は警護も付けず着古した服を着てタクシーを運転、高級住宅街から貧民街まで乗客を乗せて2時間以上走り廻った。国王とはぜんぜん気付かなかった乗客達は、あけすけに政治に対する不満やら世間話やらを国王に聞かせたそうだ。ところが国王は、交通規則に違反してシートベルトをし忘れたばっかりに、交通警官に車を止められ、「今度だけは見逃して」と頼んだら警官はこれに応じてくれたという。

 国王はまた、先月もビデオカメラを手に白ひげと伝統的なアラブの衣装でテレビ記者にふん装して経済特区を訪れ、内外の投資家に直接“インタビュー”した。インタビューの特別許可を持っていなかったために特区管理者に正体を暴かれると、この国王の行為に居合せた人々が拍手喝さいして近寄ってきたそうだ。

 このように国王が頻繁に「街廻り」をする理由は、「子供の高校入学にもコネが必要なほど国の至る所にはびこった官僚主義の克服をめざし、国民の言いたいことを直接聞くため」なのだそうだ。さしずめ「遠山の金さん」ならぬ「アラブの金さん」といったところであろうか。ユニークでユーモアのあるアブドラ国王には、映画「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーンを思い起こされ、思わず拍手を送りたくなる。

 歴史上、各国の王朝末期に見られるごとく、権力には、それを取り巻く人達によって実態が見えなくなってしまう構造がついて廻る。国王のお忍びが良いかどうかは別として、組織のトップは、実態を知るためには常に様々な工夫と努力を怠らず、本当の姿を見つめ判断をすることが何よりも重要だということだろう。
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[66] アジアのパイロット養成所  2011/03/22 15:32:45
掲載日:07/23/1999  E-Mail  Home
 1991年、バブル経済が崩壊し始めた頃、一人の知人が壮大な開発計画を語ってくれた。

 これから世界の交通網は飛行機が当たり前になる。空の交通機関を制するものは世界を制する。そこで日本に一大パイロット養成所を作り、日本だけでなくアジアや中近東、アフリカの訓練生も受け入れて卒業生で空の仲間のネットワークを作ろうという計画であった。教官はアメリカ空軍の退役飛行教官を何人も招聘し、アメリカの訓練プログラムを取り入れるという。それから8年、以来その話は聞いていない。計画がずさんだったか、バブル崩壊で資金が集まらなかったか、結局単なる構想に終わったものと思う。

 最近のニュースによると、6月22日にアメリカン航空は、スイス航空・ベルギーサベナ航空と共同運航を含む業務提携で合意し、同じ日に、デルタ航空と仏エールフランスも世界規模の航空連合をにらんだ提携を発表したそうだ。

 航空会社も一社だけで世界の航空網をカバーすることは出来ない。これから世界の航空網をカバーすべく様々な業務提携が行われ、グループ化が進む。日本の航空会社も例外ではない。空の市場が世界に向かって開放される中でその競争はますます激化する。航空会社の経営も今までとは様変わりで、変化に対応できないところは生き残れない。

 このような動きを見ると、パイロット養成所を通じて航空業界に一大ネットワークを構築しようとした構想は全然的を外れていたものとも思われない。一つの釜の飯を食ったものは強烈な仲間意識で結ばれる。各国の仲間がやがて航空行政の政府高官になることは日本にとってどれだけ心強いか知れない。ただでさえいろいろな規制の多い日本の航空行政で簡単にこのような構想が実現するとも思えないが、バブルで消えた巨大な資金を思うと、あの時代に政府も本腰を入れてこのようなプロジェクトを実現できていれば日本だけでなく他国にとってもどのように役立ったかと惜しまれてならない。
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[65] 銃社会アメリカ  2011/03/22 15:32:13
掲載日:06/22/1999  E-Mail  Home
 民間に二億丁以上もの銃が出回っているという銃社会アメリカ、デンバー郊外のコロンバイン高校で起きた銃乱射事件は、銃規制問題に国民の関心を一気に引きつけた。

 事件後間もなく行ってみたポモナのガンショー。パンフレットには出品業者のテーブル数5千3百とある。

 会場にはピストルやライフルを担いだ人が幾人も歩いている。見せびらかしと買い手を見つける目的だ。展示建物の入り口から弾薬売り場が続いている。驚いたのは沢山の弾頭と薬莢が別々に売られているのだ。買い手は弾も自分で作るものと見える。中ではありとあらゆる武器が売られている。拳銃、ライフル、自動小銃、機関銃、サーベル、ナイフ、弓まで何でもある。ドイツやチェコの銃もあったし、日本刀や三八銃、出征兵士の日の丸まであった。

 部品コーナーには引き金、スプリング、銃把、照準などありとあらゆる部品が山積みになっている。銃マニアは銃を自分で部品から組み立てられるのだろう。
田舎住まいのアメリカ人の友人は、自宅に散弾銃の弾を作る道具が置いてあり、9歳の誕生日には「お前ももう九歳になったのだから銃ぐらい持てるだろう」とおじいさんからライフルを贈られたそうだ。

 カリフォルニアでは一昨年に銃の発砲で千八百三十五人が死亡。ロスアンゼルスでは昨年1万3千件の銃犯罪が発生し、四百八十一人が死亡している。「銃は人を殺さない。人が人を殺す。」とは規制反対者のスローガンだが、人間は日々変る。ましてや人間の感情は瞬間的にかっとなり、後で後悔するのは誰しも経験のあること。かっとした時、そばに銃があったかナイフがあったか、何もなくて素手で殴ったかで結果は大きく違ってくる。

 国会がガンショーでの銃購入者の身元調査を行うかどうかで大もめする銃社会アメリカで、果たして本当の銃規制が行われるのは何時の日になるであろうか。
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[64] 民族紛争  2011/03/22 15:31:39
掲載日:05/19/1999  E-Mail  Home
 数年前、空港から乗ったタクシーの運転手がアルバニア人だった。在米10数年、子供達が大学を卒業し一人前になると自分は国へ帰るという。アメリカの方が暮らし易くはないかという問いに「俺は祖国を愛している。祖国が一番さ。」アメリカへの忠誠については「祖国を愛せないものがどうして第2の祖国のアメリカを愛することができるのだ。」と答える。

 ユーゴのアルバニア人、現在の人口300万人。1915年、民族浄化で多くの人達が虐殺され難民は世界中に散って拡散した。当時60%の人達がいなくなったというからすざまじい。

 アメリカとソ連の冷戦構造が終結したとき、世界の人々はこれで平和が訪れると喜んだ。ところが冷戦構造の終結は世界の各地に軍事的真空地帯を生み、周辺各国はその真空を埋めようとして軍事拡張する。今まで2大勢力の狭間で押さえられていた民族感情は冷戦終結と共に各地で噴出した。冷戦時代はアフガニスタンでもアフリカでもキューバでも、紛争が起これば両勢力から直ちに介入が行われ世界の耳目を集めた。今では世界各地の紛争は単なる地域紛争でしかなく、アメリカ国民はあまり関心を持たない。冷戦終結とともにかえって紛争が頻発している構造がここにある。

 元来「自民族が他民族に支配されるのはどんなに条件が良くても我慢できない」といわれる。いまはユーゴ軍がアルバニア人に迫害を加えているが勢力関係が変わればアルバニア人がセルビア人に対して同じ事をするだろう。何百年、何千年の間に培われた民族同士の憎しみは他民族には理解できない。まして昔から欧州の火薬庫といわれたバルカン半島である。複雑に民族と宗教、周辺国との政治勢力が絡み合っている。

 テレビのインタビューに答える難民女性の言葉が印象的だった。「私は涙を見せない。涙を流すことは彼らを喜ばせるだけだから」。苦しみに耐え、悲しみを内に包み、親は子に彼らの仕打ちを憎しみを伝えるだろう。子は復讐の念を持って育つだろう。このような環境で人道主義的な介入がどこまで効を奏するのだろうか。
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[63] 日米パートナーシップ  2011/03/22 15:31:11
掲載日:04/21/1999  E-Mail  Home
 先日、総領事の講演会が行われた。

 総領事のスピーチは、ジョークで会場を沸かせた後、明治からの日本の歩み、特に日米関係を説き起こし、様々な歴史的事実を紹介しながら日米関係が良好なときは日本は平和、悪いときは国民にとってつらい時期であったと指摘。

 湾岸戦争では、日本は世界で唯一このための増税をし、国民一人当たり100ドル、計130億ドルもの資金援助をしたこと。にもかかわらず、戦争終結後クエートが世界の主要紙に感謝の広告を掲載した際、日本の国名はそのリストにはなかった事実を踏まえ、真の国際社会への貢献と義務について日本は新たな行動を起こしつつあると説明した。

 最後に、日米のパートナーシップは、イギリスやカナダとの関係のように同族関係に支えられたものでなく、草の根から政府間に至るまでの不断の努力によってつながってゆくものであると説き、これからも日米双方からのこのような絶え間ない努力が必要であることを訴えた。

 参加したアメリカ人の反応は、「このように系統だって話をし、自分の意見を表明した日本人に会ったのは初めてだ。」「彼のユーモアセンスは抜群、私も使わせてもらおうとメモをした。」と好評であった。また、「我々アメリカ人は具体的に何をしたらよいかも話してもらいたかった。」という声もあったが、そのようなことを考えるきっかけになればよいと思う。

 日本がバブル崩壊後の不況からようやく立ち直ろうとしている時に、外国の、特にアメリカ人達の理解者を一人でも多く得ることは非常に重要である。その意味で今回の谷内総領事のスピーチは誠に時宜を得たものといえる。

 また、谷内総領事は、この大切な日米関係を幾多の困難に耐えながら支えてきた日系人への敬意と感謝の念を強く持ち続けている。任期満了を目前にしているが是非その前に日系人の皆さんを公邸に招きお礼を一言い言いたいとの意向である。

 このロスアンゼルスの地にこのような素晴らしい外交官を迎えたことを我々は大いに誇っても良いのではないだろうか。
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[62] 総領事講演会  2011/03/22 15:30:41
掲載日:03/24/1999  E-Mail  Home
 もうこれが底だといわれながら悪化を続ける日本経済。ムーディースによる日本企業の格付けは下がる一方で国際市場での資金調達は難しい。100兆円もの景気・金融対策が決まり動き出す今年こそ復活をという願いを込めて4月9日に総領事の講演会が催される。現総領事の谷内正太郎氏はまれに見るユーモアとウィットの持ち主。この国難に直面している日本の現状と将来の展望をユーモアに包み分かり易く語ってもらいアメリカ人の理解とサポートを得ようというのが講演のねらいだ。

 日本経済の復活は単に日本のみの問題ではない。現在一人勝ちで独走を続けるアメリカ経済もいつ翳りがきてもおかしくない。アジア経済の停滞で輸出は頭打ちとなり貿易赤字が顕在化し始めている。巨大な世界経済をひとつの機関車だけで引っ張れる訳はない。日本経済の復活がアメリカだけでなく世界の国々からも期待されるゆえんである。

 近年、インターネットをはじめとするコンピューターの通信機能の発達により、ビジネス形態は様変わりをした。ビジネス界では、人・物・金のボーダレス化だけでなくビジネス形態のボーダレス化も進んでいる。銀行の自己資本比率、企業の連結決算、不良資産の評価方法、リスクマネージメントの度合い、係争中の訴訟の将来リスクなど、企業の格付けはあらゆる面から検討され決定される。日本企業もグローバル・スタンダードに否応なく対応を迫られ、その過渡期にあるのが現在の姿である。

 谷内総領事によると、日本はいま第3の開国を迫られている、単に現在の不況から脱出するだけでなく、あらゆる面で真の国際社会のメンバーとして受け入れてもらえるようになるのが21世紀の日本の課題であるという。
今回の講演会は、質疑応答に重点を置き、すべて英語で行われる。このような行事こそ全日系人、日系諸団体の総力を上げた応援を望みたい。
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[61] エジソン収集品  2011/03/22 15:30:14
掲載日:03/03/1999  E-Mail  Home
 ロスアンゼルスに日本人で最大のエジソン製品の収集家がいるのをご存知だろうか。K氏は特許を扱う弁理士・弁護士で、エジソンに興味を抱き収集家になったのもうなずける。

 ある日、20人程で母と子のエジソン収集品見学会を催した。目の前で蝋管にレコードした蓄音機が音楽を奏で、その場で録音までできる。その他アイロン、コーヒーメーカー、扇風機といずれも未だに立派に使え、デザインが現在のものと見劣りせず斬新なのに驚いた。竹で作ったフィラメントの電球が何とも暖かい光を放った時には一同感嘆の声が漏れた。参加した子供達は高校生が主だったが、本物に手を触れると目の輝きが違ってくる。K氏の熱のこもった数々のエジソンのエピソードに身を乗り出して聞いている姿が印象的だった。最後は100年前のトースターでパンを焼いて食べたが、皆凄い凄いと興奮していた。

 好奇心に溢れるエジソンは8歳で小学校に入学したが先生を質問攻めで悩ませた。しまいに先生はエジソンを馬鹿とののしり自信を失ったエジソンは登校拒否に陥った。その母親はエジソンの好奇心を抑えることなく百科事典を教科書に教育をした。

 高等教育を受けなかったエジソンは、理論にとらわれることなく何でも一つ一つ実験してみなければ納得しなかった。電球の発明で7千種類もの竹を集め、1万回以上繰り返した実験も、彼の飽くなき好奇心を満たすためであった。「好きこそものの上手なれ」人間誰しも好きなことには寝食を忘れて熱中する。
蓄音機、映写機、電話、ラジオ、テープ用録音機、シリンダ型録音機、印刷機、トースター、アイロン、コーヒーメーカー等、彼の発明は1093件に及ぶ。

 K氏はこの千数百点に及ぶ貴重な収集品を日本へ手放すことを決心した。このように素晴らしいエジソンを日本の子供達に知ってもらい、本当の創造力を発揮する第2、第3のエジソンが出現して欲しいというのがその願いである。
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[60] 灰色鯨  2011/03/22 15:29:40
掲載日:02/10/1999  E-Mail  Home
 ロスアンゼルスの海岸では2月から3月にかけて沖合いに鯨が見られる。ランチョパロスベルデス市、ポイント・ビンセント・インタープリティブ・センターは、陸から鯨を見るにはロスで最高のポイントとして知られている。

 先日、ここを訪れると、多くのお年寄りが小さな日傘を付けた携帯用の椅子に座り、、手に手に双眼鏡を持って沖合いを眺めていた。この人たちは「ホエール・ウォッチ」というグループのメンバーで、全米鯨類研究協会とカブリロ海洋博物館の後援を受けている専門家達だ。この日は昼過ぎだったが、本日観察された鯨5頭が記録されていた。

 パンフレットによると、沖合いを通るのは灰色鯨で体調11〜14メートルにもなる。夏の間はベーリング海、チュクチ海の浅瀬で食物を取り、秋になるとメキシコのバハ・カリフォルニアの温暖で遠浅な海(ラグーン)に向かって移動する。その距離約1万キロメートル、目的地に着くまで1日約150キロメートル平均7キロの速さで夜の泳ぎ続け、2、3カ月かかるそうだ。移動中またはラグーンでは、あの体で時折しか食物は取らないそうだから北の海でどれだけの食い溜めをするのだろうと驚く。ラグーンで出産した鯨は3ヶ月ほど留まり、子鯨に授乳する。授乳は移動期も入れて4ヶ月続き、1年で8〜9メートルにも成長する。

 終戦後日本で鯨肉は貴重な国民のタンパク源。安い肉として赤みの鯨肉が頭に浮かび、学生の行きつけの食堂では鯨カツ定食が定番だった。何隻ものキャッチャーボートを引き連れた母船が船団を組み北洋で活躍する姿がニュース映画で報道されたものだ。今は捕鯨禁止で僅かに200頭ほどが調査用に許可されているに過ぎない。

 観鯨船に乗り間近に鯨を見ると肌に牡蠣のような白い斑点があるその巨体に圧倒される。日本では食物としての鯨がカリフォルニアでは人間の近しい友として遇されている。今がシーズン、鯨を見るチャンスだ。
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[59] 介護バンク  2011/03/22 15:29:05
掲載日:01/20/1999  E-Mail  Home
 先日、日本からの来客と和歌山のカレー毒入り事件が話題になった。「私は結婚して間もなく主人の両親が寝たきりになり、お父さんは7年間、亡くなると直ぐにお母さんで合計15年間も老人の介護をして来たのよ。老人介護の家族の負担は大変ね。何度相手を殺して自分も死のうと思ったか知れない。もしあの時に砒素でも持っていたら、使っていたかも知れないわね。」「人間は勝手なもので、いくら尽くしても身内の看護だとこれで十分とはならないけれど、他人だと感謝の言葉が出るから不思議よねえ。」「いっそのこと他人のために介護をしてその時間を介護バンクに貯めておき、自分や自分の身内に必要な時、それを利用するというのはどう?」なるほどと感心したが、聞く所によると介護バンクの構想は以前からあり、すでに動いているともいう。

 来年からは日本でもいよいよ老人介護保険が実施される。保険料は40歳以上のすべての国民から徴収し、65歳以上または介護を要すると認定された人が対象となる。実施するのは市町村だが具体策はこれからのようだ。

 人間はどんなにしっかりした人でも、いつかは年をとり介護が必要になる。そのしわ寄せは主婦に掛かってくるのが実情だ。病人は一日中自分の病気のことを考えてしかも体が動かないからいらいらする。主婦は仕事を持ち、家族や子供の世話もしなければならないのでつい扱いも邪険になる。家庭での片手間看護より正式施設の充実が望まれる。

 すでに日本では65歳以上の老人が1800万人を超えており、総人口に占める割合は15%程度、国立社会保障・人口問題研究所の推計では、2010年には日本の総人口は1億2700万人、その内65歳以上は全体の22%にのぼる2800万人で現在より1000万人も増えることになる。介護バンクは社会的にも早急な整備が必要な時期かも知れない。
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[58] カードに想う  2011/03/22 15:27:01
掲載日:12/30/1998  E-Mail  Home
 子供たちが待ちに待ったクリスマスも終わり、1月元旦まで仕事にも手がつかず、なんとなく肩の力を抜いた日が続く。遠く近くの友人・知人から届いたグリーティング・カードを並べて眺めるのもこんな時だ。

 今年は特に心に留まったカードが2通あった。1通は若いご婦人からで、裏に大きくスノーフレークを版画風に押した紺色の台紙に白い柔らかな手漉き和紙を貼り、淡い色を何色も使って半月の船に乗ったウサギが二匹釣り竿を垂れている。下は一面の大きなモミの木の森、その1本をクリスマスツリーに見立てててっぺんに金色の星を置き、月の船から星を釣っている。釣りマニアのご主人からの発想だろう。もう1通は、画家のS氏から贈られたもので、大型のカード大の板に油絵が描かれている。黒地を背景に右隅から曙の空を思わせる明るい灰色の空が広がり、右上から中心にかけて一条の星のようなものが飛来してくる。星のようなものは近づくにつれうすい黄色の光の輪が広がり、白から濃い金色となって闇を照らす。絵の裏には、『愈々今世紀最後の年となりました。力強い「自信」と「希望」そして「夢」を持って力一杯生きて行こうじゃありませんか』と書かれている。二つとも手作りの心のこもった暖かさがジンと伝わってくる。

 今年は流行なのか日本からは開くと立体になるカードが5、6通もあった。子供たちの写真をカードにしているのはどれも微笑ましい。もうこんなに大きくなったかなという驚きもある。

 毎年毎年、今年こそは11月中にすべてのカードを書き終わって、サンクスギビングデーが過ぎたらすぐに出そうと心に誓う。ところが雑事に追われ、気がつけばもうクリスマス直前。大慌てでカードを書き、しまいには電子メールで送らないと間に合わない。

 一つ一つ心のこもったカードを目の前に、よし、来年こそは余裕を持って準備しようと今年も心に誓った。
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[57] ユーモアのセンス  2011/03/22 15:26:25
掲載日:12/09/1998  E-Mail  Home
 女性が街を歩いていた。向こうから一人の男が歩いてくる。こっちが右によけようとする右、左によけようとすると左、お互いに道を譲り合って良くあることだ。2〜3度迷って立ち止まったその男は「シャル・ウイ・ダンス?」とにっこり。

 レーガン大統領が現役の頃、新聞記者が娘さんをインタビューした。「お父さんの政治家として一番尊敬するところはどこですか?」。間髪を入れずに返ってきた答えは「ユーモアのセンスがあること」だったそうだ。国民にわかり易く政策を語り理解を得るのは政治家の必須要件、だから彼はグレート・コミュニケーターと親しまれ国民に支持された。

 先日の新聞記事で、ロスアンゼルスでは9千人が新たにアメリカ国籍を取ったが、宣誓式に臨んだ人々の国籍は123カ国におよんだという。多くの民族が一緒に社会を作って暮らすと習慣や文化の違いからいろいろな行き違いが生じて争いの元になる。それを和らげるのが万国共通のユーモア。暮らしの知恵。だからアメリカの書店には各種のビジネスやスピーチ用のユーモア集が必ずおいてある。スピーチでは最初の3分以内に場内をどっと沸かせてみんなの気持ちを惹きつけないと誰も聞いてくれない。

 谷内総領事はユーモアの天才。津軽三味線の公演では「NHK紅白で細川たかしが100丁もの三味線をバックに歌いました。私もそれだけ迫力のある三味線をバックに歌ってみたい。」長崎県人会の創立10周年記念会では「長崎はいつも雨だと思っていた。」と流行歌をもじって笑わせる。天皇誕生祝いのスピーチでは、今にも降りそうな空を見上げ「今日の空は世界的にポピュラーになった日本の経済と同じように曇っています。天気が悪くても来てくれるというのが真の友人だといいますが・・・」と参会者を沸かせた。しかし、スピーチの最後には、いつも本当に伝えたいことをしっかりと訴えている。

 外国への宣伝やコミュニケーションの下手さが指摘される日本人、ユーモアは正に国際政治の武器である。
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[56] ハワイにて  2011/03/22 15:25:54
掲載日:11/18/1998  E-Mail  Home
 甥の結婚式でハワイに来ている。ワイキキの浜辺を一望する岬の先端、ジョーン・ドミニス・チャペル・バイ・ザ・シー。両家の親族一同が左右に居並ぶ中、純白の衣装に包まれた花嫁が父親に導かれて入場、荘重なオルガンとともに美しい澄み切った賛美歌が流れる。眼の前は紺碧の海、白波が長く尾を引いて、サーファーが巧みに波頭に乗っている。左手は波際まで立ち並ぶホテル群と白い砂浜、その向こうにそびえるダイヤモンド・ヘッド。室内には陽光が降り注ぎ、正にこの世の天国かとも思うほどの明るさ、清らかさ、美しさだ。

 柔和な顔の神父さんは英語に日本語を混ぜながら巧みに式を進行する。参加者にもにこやかに声をかけ、神父というよりセールスマンの感じだ。会場の説明、進行係り、カメラマン、ビデオ、リムジンサービスが一体となって流れるように式を進めてゆく。完全に商品化された見事なパック挙式。

 幕末の頃、単船日本人でアメリカ渡航を果たした咸臨丸は帰路ハワイに寄港した。市内を歩いた勝海舟は「この国ももう長くないねえ。気候は穏やかで作物もふんだんに取れるが、牢屋を見たかえ。入っているのは土民ばかり。港の荷役で鞭打たれているのは現地人で、アメリカ人はみんな王侯貴族のような生活をしているじゃないか。放っておいたら日本もこのようになってしまうよ。」と言っている。

 カリブ海では砂糖が採れたばかりに現地人は奴隷として酷使され、抵抗と反乱の内に絶滅された。天然に恵まれたがために現地人の悲劇は世界の至る所に見られる。

 いま、南海の楽園ハワイには日本人だけでも毎日7〜8千人が訪れるという。島に残るのは自然と共生し、神を敬い、天然の幸に感謝し、愛の歓びを歌う優美な踊りを観光客に披露する踊り子とエキゾチックな味付けを地名や踊りの名前に残すだけである。

 チャペル内に響き渡る天使のようなハワイの結婚讃歌を聞きながら、こんなことを考えていた。
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[55] 若者達で町の活性化を  2011/03/22 15:25:26
掲載日:10/28/1998  E-Mail  Home
 9月の終わりというのにまだまだ蒸し暑い。南国指宿は友人のKさんの故郷で、突然の訪問にもかかわらず、甥にあたるY君が一日休みを取って車で案内してくれた。池田湖の大うなぎ、日本最南端の駅・西大山駅、眼前に聳える優美な開聞岳。

 高校を卒業してまだ2年足らずのY君は、ようやく家業の花の栽培を継ぐ決心を固めたばかり、青春の真っ只中にいる好青年である。年齢は二十歳、看護学校に通っている彼女がいる。はにかみながらも将来の抱負を語るY君からは若さがまぶしく匂いたつ。5、6人でロックバンドを結成してドラムを叩いているという。「演奏しているときが最高、何もかも忘れてしまう。」「演奏会?」「2ケ月に一回くらいかなあ。聴衆がどう思おうと構わない、自分達の音楽を楽しむだけです。」

 宿に帰って砂蒸し温泉に入り夕食前のひととき海岸を散歩した。昭和34年、当時の皇太子ご成婚で新婚旅行先に指宿が入った。周りにはそのときのブームの名残りか、海岸近くに十数面のテニスコートまである。朽ちかけたコーヒーショップが閉じられている。昼間のほてりを残した階段状のコンクリートの波打ち際には数人の釣り人が散見され、若い地元のカップルが腰を下ろしている。

 「指宿は何もないとこです。」昼間何度も聞いたY君の言葉を思い出す。若者達にとって溢れるエネルギーの捌け口がないのはどこの田舎も共通の悩み、何もないからみんな都会に出たがる。彼らのエネルギーを町の発展に繋げられないものだろうか。

 小学生達のサマーキャンプやサッカー教室、朗読会、町や海岸の清掃運動など。町はこのような若者達をサポートし、場所の提供や顕彰などで活性化を図る。活躍の場が用意されれば若者達のコミュニティへの参加意識は飛躍的に高まり更なるアイディアが出るだろう。過疎化対策はこんな身近な住民参加から始まる。リーダーシップも発揮され、住民からの自発的な町作りが進むかもしれない。振り返ると湾にはホテルの灯が映り南国の夜はあくまでも穏やかだった。
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[54] 祖国への思い  2011/03/22 15:24:59
掲載日:10/07/1998  E-Mail  Home
 今年も北大のゼミ研修生がやってきた。企業訪問先は、6社、その他にロスアンゼルス港を見学してアメリカの公共機関の運営を学び、ロングビーチ大学で聴講し、UCLAではMBAの施設見学をした。

 IBMでは世界企業の戦略と在宅勤務の実態を、マツダでは日本人とアメリカ人のミックスした経営とその経営手法の違いを、デンソーではメーカーの経営と多人種が一緒に働く工場見学、ピートマーウィックでは会計事務所が会計監査や税務申告からコンサルティング・ビジネスに重点を移し企業社会に多大の影響を与えている実態を、エプソンではプリンター業界でトップ争いをしている企業のマーケティング戦略と刻々と変わる市場に対する柔軟なグローバル戦略を、アメリカのコンピューター・ソフト開発会社ではベンチャービジネスのサクセス・ストーリーを学んだ。短期間でいろいろな情報に一気に触れた彼らの頭の中は渦巻いているに違いない。

 彼らの感想は「会う人達がみんなすごい人ばかりなので自分と比較して落ち込んでしまいました。」「日本を離れるともっと日本を知りたい、外国に行くことは自分を見つめることだと思うようになりました。」「すごい人達ばかり見ていると、自分は自分なんだ、とかえって開き直りました。」という声が多い。

 ロスアンゼルスに着いた直後は明確な目標や自覚がなく、歩き方も頼りなく見えた彼らが、たったの一週間でこんなに成長し、人前でも堂々としゃべれるようになった。

 大学や企業訪問のアレンジを手伝ってくれた人、十日間も大型バンを運転してくれた人、今回も多くの善意に支えられたが若者達がこのように自らを変えて行くのを目の当たりに見ると、「今の若者にはそういう場を与えればいいんだ。日本を変えるのは3%か5%のリーダーを変えれば済むんじゃないか。」という気になった。

 これからの彼らの成長を見守ること、それがお手伝いした我々の楽しみである。
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[53] ゼミ研修生を迎えて  2011/03/22 15:24:31
掲載日:09/16/1998  E-Mail  Home
 今年も北大のゼミ研修生がやってきた。企業訪問先は、6社、その他にロスアンゼルス港を見学してアメリカの公共機関の運営を学び、ロングビーチ大学で聴講し、UCLAではMBAの施設見学をした。

 IBMでは世界企業の戦略と在宅勤務の実態を、マツダでは日本人とアメリカ人のミックスした経営とその経営手法の違いを、デンソーではメーカーの経営と多人種が一緒に働く工場見学、ピートマーウィックでは会計事務所が会計監査や税務申告からコンサルティング・ビジネスに重点を移し企業社会に多大の影響を与えている実態を、エプソンではプリンター業界でトップ争いをしている企業のマーケティング戦略と刻々と変わる市場に対する柔軟なグローバル戦略を、アメリカのコンピューター・ソフト開発会社ではベンチャービジネスのサクセス・ストーリーを学んだ。短期間でいろいろな情報に一気に触れた彼らの頭の中は渦巻いているに違いない。

 彼らの感想は「会う人達がみんなすごい人ばかりなので自分と比較して落ち込んでしまいました。」「日本を離れるともっと日本を知りたい、外国に行くことは自分を見つめることだと思うようになりました。」「すごい人達ばかり見ていると、自分は自分なんだ、とかえって開き直りました。」という声が多い。

 ロスアンゼルスに着いた直後は明確な目標や自覚がなく、歩き方も頼りなく見えた彼らが、たったの一週間でこんなに成長し、人前でも堂々としゃべれるようになった。

 大学や企業訪問のアレンジを手伝ってくれた人、十日間も大型バンを運転してくれた人、今回も多くの善意に支えられたが若者達がこのように自らを変えて行くのを目の当たりに見ると、「今の若者にはそういう場を与えればいいんだ。日本を変えるのは3%か5%のリーダーを変えれば済むんじゃないか。」という気になった。

 これからの彼らの成長を見守ること、それがお手伝いした我々の楽しみである。
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[52] 日本の若者達  2011/03/22 15:24:00
掲載日:08/26/1998  E-Mail  Home
 「20年後の北海道と私」、ロスアンゼルスの北海道人会が実施した高校生の作文募集のテーマに47編の応募があり、二人が最優秀作品に選ばれロスアンゼルスへ招待された。二人はアメリカ人家庭へホームスティし、UCLAの夏季講座に通ったり、北海道人会の面々がいろいろなところに連れて行き、二人を招待しての夕食会も開かれた。作文はとても高校生とは思えない立派な内容で話をしても、とてもしっかりして頼もしいという。

 一方、盛り場にいる日本の男子高校生の鞄には何が入っているかという調査があった。中身は携帯電話、顔の油取り紙、眉毛を整える毛抜き、眉墨、オーデコロン、くし、手鏡。本はほとんど入ってないという。

 最近帰国し女子短大生に教えている先生の話では、「授業で新聞から関連情報を読ませてレポートを書かせたら、新聞にはいろんな事が書かれているんですねえ、といわれ、えっ!今まで新聞読んでないの?とびっくりした。」「政治的関心は限りなくゼロに近い。就職難は別にして、日本への危機感なんて全然ない。関心事は身の回りのことばかり。将来自分が何をしたいのか明確な目的を持っているのはごく少数だ。」という。

 昨年迎えた北海道大学のゼミ研修生は若さと好奇心と学ぼうとする意欲に燃えていた。今冬、東京から来た学生達の研究団体40名は、8班に分かれそれぞれの研究テーマに真剣に取り組んでいった。大学生でもこのようまちまちだ。

 いったいこの落差は何なのだろう。識字率では世界一を誇る日本の多くの若者達が、関心はおしゃれと買い物、芸能ゴシップ、グルメにスポーツとは。個人の意識にそこまで差があるのか、それとも若者達は機会さえ与えられれば能力は発揮できるのか。
  
 後者なら、その機会を与えるのは海外に住む我々の役割りなのかも知れない。
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[51] 野外コンサート  2011/03/22 15:23:29
掲載日:08/05/1998  E-Mail  Home
 パロスバーデスの丘の麓、海際の一角、マラガコーブの図書館で野外コンサートが行われているのを知っているだろうか。今年も7月15日から8月26日まで、毎週水曜日、午後7時から8時までの1時間コンサートが開かれている。

主催は図書館のアドバイザリー・コミッティ。スポンサーは、個人、商店街、銀行、お店など地元の有志ばかり。演奏者もそんなに高名な演奏者が来るわけではない。正に手造りの野外コンサートである。

 夏の7時といえばまだ日が照っている。万物を焼き尽くすほどのカリフォルニアの太陽も、ようやく穏やかな光に変わり、海風が涼しげに人々の頬をなでて行く。聴衆は思い思いに敷物や椅子を広げ、ピクニックバスケットを開きワイングラスを傾けて談笑に興じる。演奏はその日によって異なる。クレイジー・ジャズ、フォークソング、スイング・ジャズ、カントリーウエスタン、ブルース、ラテン・ジャズと庶民にお馴染みのものばかり。

 7時定刻、夏の夕空にトランペットが、クラリネット、トロンボーンが鳴り響く。ベースギターがそれらをしっかりと支え、ドラムが人々の心を浮き立たせる。海に向かって傾斜した中庭には4百人ほどの聴衆が色とりどりのシャツやパンツに身を包み、リズムに身を委ねて体を揺すっている。興が乗ってくると芝生に立ち上がって踊り出す者もいる。子供達は周囲で飛び跳ね、誰も気にしない。たまには聴衆の上を野生の孔雀がバタバタと羽音を立てて飛びわたることもある。

 やがて、夕日が西の海面に一筋の黄金の帯を描いて沈もうとする頃、コンサートは終わる。聴衆は音楽やおしゃべりの余韻を引きずりながら子供達を呼び集め家路に就く。

 アメリカに住み、このような催しがすぐ身近にある幸せを噛み締めながら、我々も参加して大いに楽しもうではないか。
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[50] 20歳の国民英雄  2011/03/22 15:23:02
掲載日:07/15/1998  E-Mail  Home
 セ・リ・パク、20歳の韓国女子プロゴルファー。今年の全米女子プロに優勝し、全米女子オープンでは同率首位、翌日20ホールの延長戦の末、史上最年少の優勝を果たしたルーキーである。

 そして続く今週のトーナメントでは、女子プロ初の18ホール10アンダーパーの新記録、合計23アンダーの女子プロ史上新記録でぶっちぎりの優勝。通貨危機から国内経済が非常事態に見舞われている韓国では、この明るいニュースに沸き返っているに違いない。

 日本も終戦直後、焼け跡、闇市で、人々はその日その日を暮らすのに精一杯だった。そのような時、全米水泳選手権大会で、古橋、橋爪の世界記録続出による優勝により、日本の国民全体がどれほど勇気付けられたことか。敗戦により、国も三流、人も三流と自信を失い、誇りを喪失した日本人に再び自信と希望を取り戻させたのは、実に古橋、橋爪選手達の活躍であった。

 この20歳の女子プロは、物怖じすることなく堂々と記者の質問に答え「私は私のスタイルを保つ。決してタイガーウッズのスタイルではない」と言い切る。アジアの女性タイガーウッズと異名を取るパクだが、自分は自分という自負がある。コーチがやり過ぎを心配するくらい練習に、英語の勉強に励んだ自信が言わせる言葉であろう。一流の選手になるには直接のコミュニケーションが出来る英語が不可欠と自覚している。

国民にどれだけの希望を与えたか自分では考えてもいないだろうが、優勝した彼女の笑顔はあくまでも若々しく爽やかであった。

 日本では、参議院選挙も終わったが、バブル崩壊以後の立ち直りが出来ずに橋本政権の退陣。まだまだ不況からの出口は見えてこない。景気は国民の気の持ち方に左右されるところが大きい。日本にも早く希望と自信を取り戻せるきっかけが欲しいものだ。
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[49] 公開された核シェルター  2011/03/22 15:22:30
掲載日:06/24/1998  E-Mail  Home
 "州政府の招きでウエストバージニア州を訪れる機会に恵まれた。この州は全人口が180万人。石炭や木材で知られた州である。

 州都チャールストンから車で約2時間半の所にグリーンブライアー・ホテルがある。このホテルは南北戦争以前からある古いホテルで、戦争中は軍の病院としても使われたという。以前、ルーズベルト大統領が毎夏をここで過ごし、国会議員も多く来ることから「サマーホワイトハウス」と呼ばれているそうだ。このホテルに隣接して地下の核シェルターがある。米ソ冷戦時代には、ワシントンが攻撃されたら上下両院の国会議員と主要スタッフ、計1,188人をここに避難させようという設備である。

 地下はフットボール競技場の大きさの建物が2層になっていて、3基の巨大な発電機が施設の心臓の役目を果たす。上院、下院の議会が開かれるように各々議場が設けられている。宿泊施設はさすがにドミトリーと呼ばれる簡単な2段式ベッドの蚕棚だが、議会のリーダーのために立派な寝室が2部屋(共和党と民主党)ある。大統領、副大統領、上院議長、下院議長、最高裁長官の核シェルターはどこか別の所にあるそうだ。

 このプロジェクト名が「グリーク・アイランド」。最高機密だが、これだけの大工事だから周辺の住民には感づかれる。そこで工事半ばにコンクリートの大きな仕切りを住民に見せ、地下に劇場を作るのだと説明。完成したのは1962年、キューバ危機の1年前だ。

 やがて冷戦は終わり、この施設も不要となった。今では元のオーナーである鉄道会社にホテル・用地と共に払い戻され、一般に公開されている。このホテルは3つのゴルフコースを持ち、従業員1600名を抱える大リゾートホテルである。こんな山間のリゾート地に誰が核シェルターがあったなどと想像できるだろうか。実際に施設を見学して映画の世界でしか想像してなかった核戦争への備えを実感した。"
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[48] 橋のない川  2011/03/22 15:22:02
掲載日:06/03/1998  E-Mail  Home
 友人に薦められて「橋のない川」を読んだ。

 時は明治末期から大正、昭和の初め、大和盆地を背景に、エタとか四つとかいわれ、部落差別を受けてきた人達の開放に向けて目覚め戦って行く過程を、日露戦争で父親を亡くした二人の多感な男の子の成長を通して描いている。

 周囲では何気ない言動が、差別を受ける側ではどのようにつらく胸に響くのか、その部落に生まれたというだけで本人がどんなに努力しても直しようのない宿命。人が人を差別する、人間生まれた時は、みんな裸、みんな名前もない、それが一方はエタ、非人といわれ、一方は天皇、華族といわれる。太陽の下、土の上、自然界では人間も動物もみな同じなのになぜこのような違いが生じるのか。主人公の畑中孝二が小学生から青年に成長する中で様々に悩み、様々に考える。そうしていきつく先は大同団結した部落開放、差別撤廃の水平社運動であった。

 時代の波は,米騒動、炭坑や造船所の労働争議、小作争議と民衆が立ち上がり始め、社会が大きく変わろうとしている。金10円の納税者のみに与えられた選挙権が満25歳以上の男子全員に認められる普通選挙法が制定されたのもこの頃である。

 この本は日本の近代化の過程を書くに当たって、底辺の農民、もっと底辺のエタの日常生活を通して描いている。一見救いようのない状況の中で生きている人達が底抜けに明るく逞しいのが救われる。

 振り返って現代を見てみよう。人は努力をすればそれなりに報われ、言いたいことも自由に言える。選挙権は男女を問わず国民全員に与えられ、社会の形態は自分達で変えられる手段が目の前にある。それなのに、政治には失望した、誰に投票しても変わらない、という人達が増え、投票率は下がる一方だ。それだけみんなが現状に満足しているのか。生活が豊かになったからか。過去の人々の苦闘を思う時、今の世のありがたさを考えずにはいられない。
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[47] 津軽三味線の夕べ  2011/03/22 15:20:49
掲載日:05/13/1998  E-Mail  Home
 先日、青森から「長谷川三絃会」の皆さんを迎えて「津軽三味線の夕べ」の公演を行った。青森から依頼があったのが12月、3団体が主催となって実行委員会を組織したがみんな初体験。試行錯誤ながらも20名を超える協力者を得てミーティングも7回に及んだ。

 切符の売れ行きを心配したが当日の会場は2階席までぎっしり。実行委員のボランティア達は、演奏者の接待やレセプションの用意、舞台装置の手伝いと持ち場に散って待機する。

 開演のベルが鳴り、緊張の一瞬。ベテランの司会リンダは臆することなくスポットライトを浴びて紹介を始める。総領事のユーモア交じりの挨拶に会場がどっと沸き、いよいよ演奏が始まった。最初の1曲が終わると独特の津軽弁でユーモアたっぷりに長谷川氏が聴衆に語り掛ける。その度に会場が笑いに包まれ、見る間に雰囲気がほぐれて行くのがわかる。

 次々と長谷川氏作曲の新曲が演奏される。冬の厳しい風雪を思わせる叩きつけるようなダイナミックな音、囁くような三味の音が聴衆を惹きつけて行く。最後のアンコールも出尽くした時には客席の手拍子に乗って舞台上で3人が踊り出した。その滑稽さに会場が爆笑に包まれる。割れんばかりの拍手のうちに最後のカーテンが下りた時、舞台裏のボランティア達は思わず駆け寄って握手をした。

 「演奏も良かったが語りが良かった。あれが津軽弁だからいいんだよねえ。」長谷川氏のユーモアに富んだ語りはしみじみと人々の胸奥にしみ入った。

 終わった後、「津軽三味線がこんなにいいとは思わなかった。また来て欲しいね」という声を聞くと実行委員達の苦労も吹っ飛ぶ。切符の販売に協力してくれた後援諸団体、快く広告を出してくれた皆様に心から感謝したい。
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[46] 在外投票へ一歩前進  2011/03/22 15:19:52
掲載日:04/22/1998  E-Mail  Home
 海外在留邦人の投票制度が成立しようとしている。去る4月7日、公職選挙法の一部を改正する法案が衆議院の本会議で可決され、現在、参議院の地方行政・警察委員会で審議されている。

 この法案の問題点は2点、第一点は野党案がすべての国政選挙を対象としたのに対し、与党案では当面の間「比例代表区のみ」とした点、第二点は、与野党案ともに有権者を「将来帰国の意志を有する者」と限定したことである。

 昨年の12月4日、衆議院・公職選挙法改正特別委員会の参考人招致では、ロスアンゼルスから「海外在住者投票制度の実現をめざす会」会長であり「在外投票訴訟」の原告団長でもあるK氏が委員会に参考人として招かれた。3人の参考人の2番手で登場したK氏は、意見陳述の場で上記二点の違憲性と海外在留邦人の現状について熱弁を振るった。そのあと、1時間にわたる委員達の質疑応答は次第にK氏に集中したが、長年の海外経験とこの問題に賭ける情熱が委員達の注目を浴び、その歯切れのいい堂々とした答弁は迫力満点。その結果、委員会では「将来帰国の意志を有する者」の項目は削除され、「比例区のみ」の問題についても可及的速やかに解消するよう付帯決議がなされたのである。

 4月14日、地方行政・警察委員会に参考人として一人派遣して欲しいという電話が入った。参考人招致は16日、翌日発たなければ間に合わない。急遽「めざす会」のメンバーで日本への出張が予定されていたC氏に依頼。本社の会議資料作りに励んでいたC氏は、みんなを代弁するので責任も重く、徹夜で原稿作りとなった。

 東京に着くや直ちに参議院の事務局に直行、法案の解説を受け翌日に備える。C氏は「比例代表区のみ」の不当性を訴えると共に技術的に今すぐ選挙区選挙も対象にするのが難しければ実施時期を明示するべきと強く主張した。翌日、寺澤参議院議員の米山秘書から第一報。「大成功です!。このような委員会で堂々と意見を述べた上、委員達の笑いまで引き出したことはかつてないことです。」と興奮気味。やはりC氏で良かった。

 法案は間もなく成立する。4年半を掛けた世界中の「海外有権者ネットワーク」の仲間達はその瞬間を待っている。委員会の実情を知るにつけ、国民が動けば何とかなるとの感触も得た。運動は長い道のりだった。成立の暁には世界の仲間達といっせいに乾杯したい。
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[45] 若者達への期待  2011/03/22 15:17:43
掲載日:04/01/1998  E-Mail  Home
 突然、知人からのSOS。日本から40人もの学生達が研究旅行に来ているのだがコンタクト先が見つからないという。

 何とか協力して欲しいといわれて我々も困った。何日か余裕があれば別だが今日いわれてどこか訪問先を紹介して欲しいといわれても急にアレンジできるものではない。学生達はもう既に2〜3日前に到着しているという。

 「無謀だよなあ」「行けば何とかなるというのは蛮勇だね」「訪ねるなら何日か前にアポイントメントを取るのが国際常識なのに」と思わず愚痴が出る。しかし明日の日本を担う若者達だ、何とかしてやらねばと会場を設定し話を聞いた。

 それからの仲間は頼もしかった。忙しい仕事の合間を縫って連れて回り、訪問先を紹介し、人に会わせ、セミナーに参加させた。面倒を見はじめるとどの学生も本当に真摯で一生懸命食いついてくる。その熱意にほだされ、いい加減にお茶を濁すつもりが次第に本気で肩入れするようになっていった。

 研究テーマには、麻薬問題、LA暴動を通じた人種問題、幼児虐待、インターネット等々インタビューには相当注意を要するものもある。「訪問先では相手の気持ちを充分に考えること」「相手は貴重な時間を使ってインタビューに応じるのだから質問事項を絞り込んで効率よく聞くこと」「事後、必ずお礼状を出すこと」などをしつこいほどに注意した。

 しかし、終わってみるとみんな立派にやり遂げたようである。「ものの見方が変わった」「人生観が変わった」「次に来る機会があればもっともっと準備して来たい」という感想が聞かれた。彼らが属しているのは日本の一流大学、いずれもその状態に追い込まれれば切り抜けられる素質はある。「それなのに国際常識が身についてないのは我々大人の責任だね」「日本は知識ばかりの教育をしていて良いのだろうか」というのがもっぱらの仲間内の感想だった。

 短い滞在から彼らの学んだものは大きかったに違いない。研究テーマをやり遂げたことも大切だが、窮地に陥ってそれをいかに切り抜けるか、状況判断をし、工夫をし、努力して切り抜けた過程で学んだことは、一片の知識だけではなくこれからの人生で何度も応用が利くに違いない。数多くの若者達が訪れるロスアンゼルス。一人でも多くの若者達がこのような経験をしてもらえるように力を貸せればと願うものである。
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[44] 流木に思う  2011/03/22 15:16:34
掲載日:03/10/1998  E-Mail  Home
 久し振りに朝早くビーチに散歩に来た。心を吸い込まれるような青い空、南カリフォルニアはやはり燦燦と照る太陽が似合う。

 ビーチに着いて驚いた。あちこちがかなり様変わりしている。なだらかな砂浜が削り取られ、排水溝のあるところは深く抉れている。テレビではエルニーニョによる洪水の模様を盛んに放送していたが、ビーチがこんなにも様変わりしているとは知らなかった。仕事上の忙しさにかまけ、「昨日も雨、今日も雨、うっとうしいなあ」くらいにしか思っていなかった。

 浜辺に出て2度びっくり。なんと至る所に流木の群れ、大きな木が、竹のような植物が根っこごと流れ着いている。そうか、マリブ辺りで土砂崩れがあり、これらの木々が流れてきたのに違いない。

 流木は新しい木も古い木もある。新しいものもここへたどり着くまでに波にもまれ、砂に磨かれてきたのだろう。痛々しかったに違いない枝や幹の裂け口は削られ磨かれ丸みを帯びてなんとも言えない流木特有の味のある形になっている。嵐のあった後、浜辺には材料を求めてこのような流木を探しに来る芸術家達を見かけるという。

 水際をジョギングする人、椅子を持ち出して海を眺める人、サーフィンに興じる若者達、空は抜けるように青く、波は穏やか、かもめは餌を求めて群れ飛んでいる。浜には荒々しい嵐の痕跡は残っているがまったくの日常に戻っている。累々と打ち上げられた流木のみが嵐の爪痕を物語っている。

 日本では今、官僚や大企業の汚職が暴かれ経済は停滞し企業倒産が相次いで失業率も急上昇中だ。新聞にはおしどり夫婦が会社の資金繰り難から揃って首を吊り、仲の良かった友人達3人がやはり資金繰りの行き詰まりから首を吊ったとある。日本にはいま大嵐が吹いている。社会制度が大きく揺らぎ、年功序列も終身雇用も高度成長も銀行は倒産しないという神話も根こそぎ崩れようとしている。

 しかし、大嵐の後には必ず新しい秩序と平穏な日常がやってくる。土砂崩れで家や車や木々が根こそぎ流されても、大量の土砂や岩石が海底に流れ込んでも、そこには必ず新しい海草が生え魚が住み着く。浜辺には人々が遊び、空にはかもめが飛ぶだろう。
日本の混乱も新しい社会秩序を形作るための一過程だと見ればもう少しの辛抱だ。今苦しさにあえいでいる人達に「もう少しです。頑張ってください。」と声援を送りたい。
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[43] 苦しみの果ての平穏  2011/03/22 15:16:07
掲載日:02/17/1998  E-Mail  Home
 昨年の12月に日本人に騙された韓国人夫婦のことを紹介した。これはその後日談である。

 ゴルフの会から500ドルのチェックを送った後、暫くして奥さんから手紙が届いた。「夫からチェックを渡された時、彼がお金を返してきたのだと思いました。ところが会ったこともないあなた達からだったのです。私は果たしてこのお金を受け取ってよいものだろうかと何日も迷いました。」「その内、私の体内に暖かいものが満ちてきました。いつの日かあなた達から受けた同じ事を他の人にお返ししたいと思います。」

 その後の調べで他にも2人の被害者がいることが判明した。被害者の心の傷を癒すには心で返したいと、5ドルか10ドルに限定し、なるべく多くの人達に心を寄せてもらおうと寄付を呼びかけた。

 先週末、被害者の一人、空港の近くで小さなレストランを営んでいるリー(仮名)さんを訪ねた。夜7時頃、店に着くと奥さんが満身に歓迎の意を表し迎えてくれた。集まった16人分の寄付金を手渡すと「ホワイ? 私たちはもう十分頂いています。このお金は頂けません。」と受け取ろうとしない。

 暫くして、ようやく手の空いたご主人が出てきてぽつりぽつりと語り出した。自分も奥さんも韓国では一流の学校を卒業したこと、日本で働いたこと、アメリカに渡って成功し、他にも大きな日本食のレストランをやっていたこと。

 ところが15歳の次男を交通事故で亡くしたところから運命が急転した。次々と災難が降りかかり、レストランを一つ売り、家も手放した。最近ようやく落ち着いてどうにか小さな家を手に入れることが出来た。忙しく働き、唯一の休みの日曜日には教会に行くのが楽しみだという。

 「あの頃は考えてみると驕っていました。私も家内も一流の教育を受け、自分達は偉いんだという意識がありました。車の窓拭きに来る貧しい人を情け容赦なく追い払ったり、同じ韓国人も見下していました。」「ところが、不思議なものです。生活が豊かだった頃はいつも家内とお金や投資のことで言い争っていました。今は貧乏だけれど穏やかなものです。」
「騙されたと知った時、思わずかっとして警察に届けました。しかし、考えてみるとあの人は本当に困っていたのだと思います。あの人にも将来があるのだから、今は警察に届けたことを恥ずかしく思っています。」

 ようやくチェックの入った封筒を渡して外へ出た私達の目に街の明かりがやけに明るく映った。
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[42] 地方自治体の産業育成  2011/03/22 15:15:34
掲載日:01/27/1998  E-Mail  Home
 「短期海外派遣研修制度」で広島市からS氏がロスアンゼルスにやってきた。テーマは「米国におけるベンチャー産業を中心とした経済振興施策」で、米国の地方自治体がどのような企業助成策をとっているかを調べるのが主目的である。

 S氏と共に日系企業や広島関連の企業、地元の市庁舎を訪ねた。また、出来るだけ多くの友人知人に会って話を聞いてもらった。その結果浮かび上がってきたのは行政と市民のあり方に対する日米の違いである。

 いろいろな人に会うたびに「どうしてお役所が個人企業の助成をしなくてはいけないんだ?」「お役所がよかれと思ってやっているのは一人よがりなんだよ」「お役所は企業活動の邪魔をしないことが一番の仕事だ」と辛辣な言葉が撥ね返ってくる。アメリカだって地域によっては様々な産業誘致策があり、市長や州知事までもが誘致合戦を行うのは周知の事実だ。だがロスアンゼルスのように充分な産業を持つところでは、地方自治体は個々の企業に対する助成策など持っていない。

 二人で訪れたシリコン・バレーには、スタンフォード大学を中心に、サンマイクロ、ネットスケープ、シリコン・グラフィックス、ヒューレットパッカード、バイラックス、DNAXなどの建物が点在する。町中には「シリコン・バレー誕生の地」の碑が立つヒューレット・パッカードのスタート地点となった小さなガレージが残っている。パソコンの歴史はまだほんの17〜18年でしかない。なのにこのベンチャー企業の隆盛はどうだろう。

 日本を振り返ってみよう。パソコン業界は、NEC、東芝、シャープ、富士通など大手の企業ばかり。辛うじて「一太郎」を擁するジャストシステムが成功したベンチャービジネスとして数えられる。

 日本経済のシステムが音を立てて崩れゆく中で、次代を担う産業を生み出すためにベンチャー・ビジネスの育成が叫ばれるようになった。しかしそれには「これをどうしてもやりたい!」と燃えるような情熱を持った起業家と、リスクを伴う投資、新しいビジネスに大きく賭ける投資を可能とする諸制度の改革が先決である。

 ベンチャービジネスの起きる周辺には共通項がある。新しいビジネスを起こす優秀な頭脳とそれを発展させる人材を供給できる大学、その人達が住み着きたくなる住環境、教育環境が整っていることだ。地方自治体の本当に大切な仕事は、個々の企業の助成策にあるのではなく、こうしたインフラの整備にあるように思えてきた。
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[41] 悲しい出来事  2011/03/22 15:14:55
掲載日:01/06/1998  E-Mail  Home
 12月24日の羅府新報に「踏みにじられた善意」(助けた日本人が盗み)という記事が載った。

 日本への帰国前にロスアンゼルス国際空港で現金、旅券、航空券など一切を盗まれたという日本人と韓国人の夫婦を善意から自宅へ泊めたクワン・スウ・リーさんが、同夫婦から現金や貴重品を盗まれる事件が起きたという。リーさんは「盗まれた金額が問題ではなく、信用しきっていた二人に裏切られたショックの方が大きい」と嘆いたそうだ。

 この記事を読んで昔似たような経験を持つ私はリーさんのショックが想像できた。ゴルフ仲間の会がちょうど寄付先を探していた矢先でもあったので今回はそのお金をリーさんに贈ったらと考えた。2〜3人の仲間に打診すると大賛成、できれば個人的にも何とかして上げたいという。お金でリーさんの傷ついた気持ちが癒えるとは思わないが、日本人として少しでも何とかしたかった。

 明治の初め、幾人もの日本人が海外へ出かけた。その人達は充分な知識もなく、お金もなかったけれど夫々にその地の人達に愛され尊敬さえされたようである。燃えるような知識欲、日本を代表しているという責任感、真剣さが外国人の胸を打ったのに違いない。

 今、年間15百万人もの日本人が教育もお金も充分に持って海外に出かけている。ところが尊敬どころかあちこちでひんしゅくを買っている。自分さえよければ。お金がすべて。何時の間にか拝金主義に染まっている。

 このアメリカでは移民した先輩達が苦しい中でひたすら正直に働きつづけてきたおかげで日本人、日系人は信用を築いてきた。戦後、強制収容所から出て自分の生活基盤も固まらないのに多くの人達が祖国日本へ食料や物資を送った。また、戦後の新移民や駐在員達がどれだけ先輩達の築き上げた信用に助けられたかわからない。

 国土が狭く天然資源も少ない日本は、貿易なしには成り立たない。日本の生きる道は如何に長く自由貿易を続けられるかである。そのためには世界の国々に安心して付き合ってもらえ、頼りになる国、国民でなくてはならない。

 多くの外国人たちは日本に行ったこともなく本当の日本を知らない。その人達にとって日本を判断するのは実際に自分が接する日本人から判断するしかない。その意味で今回の出来事は悲しむべき事件であるといえよう。
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[40] アメリカ先住民の貢献  2011/03/22 15:14:23
掲載日:12/09/1997  E-Mail  Home
 「インカ帝国の滅亡」という本に、コロンブスのアメリカ大陸発見以来、押し寄せた大勢の冒険家・野心家・あぶれ者が、馬と鉄の武器により、宣教師と調略を駆使してインカ帝国を滅亡に導き、インカの民を奴隷化すると共に膨大な黄金をヨーロッパにもたらした過程が克明に記されている。

 パナマに長年住んだ友人によると、17世紀に太平洋岸のインカ帝国からパナマを経由する黄金の輸送ルートには、すでに数万人単位の大都市がいくつも出現していたという。

 中世時代に農業国として暗い時代を過ごしていたヨーロッパがどうして急にルネッサンスで文化の花が開き、経済的にも急速に発展したのか。南米からの大量の黄金が、スペイン経由でヨーロッパにもたらされ、これがヨーロッパ開花の原動力になったのではないか。この私の疑問に応えてくれたのが「アメリカ先住民の貢献」という本である。

 330ページほどのびっしりと細字で書かれた本は誠に読み応えがある。12年間もかかって書いただけあって、突き詰めた研究と膨大な資料・参考文献に圧倒される。

 黄金はアメリカ大陸からヨーロッパにもたらされたほんの一部でしかなかった。それに続く大量の銀がヨーロッパに貨幣経済を興し、ジャガイモをはじめ、様々な農産物がヨーロッパの国々の勢力図まで書き換えた。

 11月は「感謝祭」の休日がある。ヨーロッパからの植民者が初めての冬を迎えて飢えに苦しんだ時に、先住民のインディアンが七面鳥やコーンなどの差し入れをしてくれたという。

 しかし、この本を読むと世界がどれだけアメリカ大陸の先住民から恩恵を受けたか、想像をはるかに越えるものがある。金、銀、その他の鉱物、食物、果実、医薬、医術から、何とアメリカ合衆国の政治形態までが先住民に起源を発するそうだ。

 アメリカ大陸の先住民社会は、 指導力を発揮する強力な地位あるいは強制力を持つ政治制度無しに機能していた。また、個人財産を持たないが故に享受する個人の自由(支配者からの自由、財産の所有に基づく階層化社会からの自由)を持っていた。独立したアメリカが新たに打ち立てた政治制度、憲法は先住民、とりわけイロクオイ同盟に倣ったところが多いという。

 アメリカに住む我々は、「感謝祭」を機に今一度アメリカ先住民から受けた様々な恩恵を思い起こし、我々が見失いがちな自然の理法に生きることを考える必要があるのかも知れない。
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[39] アメリカ人と名前  2011/03/22 15:13:15
掲載日:11/18/1997  E-Mail  Home
 「どうしてもアメリカ人にかなわないな」と思う事の一つに人の名前を即座に覚える事がある。

 パーティなどでいろいろな人を紹介されるのだがすぐごっちゃになって誰が誰だかわからなくなってしまう。紹介されるのは、サムとかボブとかビルとか簡単で、せいぜい数えても一般的なファースト・ネームの数は知れている。なのにちっとも頭に残らずこんがらがってしまう。むしろ数が限られている為に同じような名前が出て来て、誰がどのサムだかビルだか混乱するのかもしれない。

 話し始めると、相手は「暫く会わなかったな、テッド。お前はどう思うんだい、テッド。そうだろう、テッド。」とやたら会話にこちらの名前を折り込んでくる。こちらの答えは「うん、忙しくしているよ。俺はこう思うね。全くそうだと思うよ。」といつも名前抜きだ。

 そもそも、日本では会話に相手の名前を挟むという事はない。「おはようございます。山本さん。」「今日は暖かくていいですね。山本さん。」「おばあちゃんの具合は如何ですか。山本さん。」などとやろうものなら「馬鹿にするな!」と怒鳴られそうだ。

 日本では、煙草屋のおじいちゃん、八百屋のおじさん、クリーニング屋のおばさんですんでしまう。いちいち太郎さんとか五郎さんとかハナさんなどと言わなくてもよい。会社でも課長さん、部長さん、専務さん、社長さんで通じる。会議でもトヨタさん、ホンダさん、ソニーさんで通るからいちいち個人の名前が出てこなくても意味が通じてしまう。

 これはよく言われるように、狩猟型社会と農耕型社会の違いによるものなのであろうか。定住型の社会では、場所や組織に人がついているから一々個人名をいわなくてもわかるのだ。

 初対面で会って、すぐに相手の名前が覚えられるのは、アメリカ人が頭が良く、こちとらの記憶力が弱いわけでもないらしい。英語では、普段の会話に名前を差し挟まないと調子が出ないことに原因があるようだ。

 会話の中にしょっちゅう自分の名前が出てくると、初めは「えっ」とドキッとする。しかし気持ちは悪くない。その内「本当に自分に注意を向けて話してくれているんだなあ。」という気持ちになる。

 良いことはすぐに見習おう。出来るだけ会話に相手の名前を入れるようにすれば、喜こんでもらいながら名前を覚える達人になれるかも知れない。
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[38] 頑張れジーン  2011/03/22 15:12:30
掲載日:10/21/1997  E-Mail  Home
 14年来のアメリカ人の友人にジーンがいる。

 彼はイタリア系だが、イタリア系にしては理屈っぽく議論好きで、ガレージにも居間にもうず高く本を積んでいる。奥さんのリリーは底抜けに明るく、人が好きで旅先でもすぐ人々に話しかけ、誰とでも親しくなっていた。また、皆で集まってワインを飲み、興に乗るときれいなソプラノの唄声を聴かせた。

 初めて会った頃、ジーンはすでに喉頭ガンで半分声帯を取り、喉に穴を開けて、そこに笛のような金属製のパイプを差し込んで話をしていた。やがて喉頭ガンが進行したのだろうか、完全に声帯を取ってしまい、舌の上にプラスチック製のパイプを乗せて、ロボットのような音を出す発声法に変わった。思うように話せないジーンはリリーに通訳をさせ、苛立って彼女に当たることもあった。それにもめげず、常に陽気なリリーであったが、5年程前にあっという間にこの世を去ってしまった。

 やがてジーンは足の痛みを訴え、脇腹にも痛みを感じるようになった。外出がままならず、言葉も思うように話せなくなったジーンは、一人家にこもることが多くなり、殆ど外出はしなくなった。私たちとの会話も筆談が主になった。

 体の不調を訴えていたジーンが病院でテストを受けるという。知り合いの医者に頼んで病状を聞いてもらった。結果はガンが体中に広がった末期状態で、手術も無駄、治療も望みがない、命はあと3ヶ月、あとは如何に安らかに命を終えられるかだという。

 ホスピス、ライフタイムケアなど余分なお金のないジーンの為に何か出来ることはないかと思い悩みながら3ケ月が経った頃、隣りに住んでいるヘレンから電話がかかってきた。一瞬どきっとした私は、次の言葉を聞いて我が耳を疑った。ジーンが親しい人を招いてスパゲッティディナーを振る舞いたいとの招待の電話だった。

 その日、10人程の人達が集まった。贈られた花で飾られたテーブルを囲み、ジーンは幸せだった。食後、男達で庭に出て1時間以上もの立ち話に疲れた顔も見せなかった。医者に宣告されたタイムリミットはとっくに過ぎている。しかし信念を持って生きようとしている人間には、医学では計り知れない生命力が湧いて来る。

 この日のジーンを見ていると奇跡としか思えない。まだ大丈夫、頑張れジーン。自分で生きる道を切り開け!
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[37] IBMの復活  2011/03/22 15:11:55
掲載日:09/30/1997  E-Mail  Home
 "1時不振に陥ったIBM が今年はフォーブス誌のランクで優良企業第4位にランクされた。一度は赤字に転落した会社の何がIBMを復活させたか? 以下は知人に聞いた話しである。

 経営不振に陥ったIBMは、40万人いた従業員を前会長が不採算部門の切り捨て・売却により10万人削減した。その後を引き継いだ現会長は、IBM の強みはメインフレームから P/C まで、何でも揃って総合的なサービスが出来ることにありと喝破した。部門切り捨てを止め、コンピューターの総合サービス企業として生まれ変わるために、残りの30万人から更に20万人を解雇し、新たな事業展開に必要な人員14万人を新規に雇用した。
新規事業としてConsulting業務を増やし、Outside Serviceも開始、一方、Room Sharing, 時差出勤、在宅勤務などの徹底的なコスト削減を図っている。

 IBMの重役は12人、社内からのメンバーは会長一人のみ、他は大手自動車会社の会長、有名大学の学長などの社外重役である。会長といえど、この社外重役の承認を受けなければ新たな事業展開は出来ない。日本の社長が、重役から上がってくる案件を聞いて善し悪しを判断して指示するのとは違い、自ら考え、企画し、社外重役を一人一人説得しなければならないアメリカ企業のトップには厳しいものがある。

 年に4回、世界中から中枢幹部50名程が集まって戦略会議が開かれる。メンバーには20〜30ページの資料が事前に配布され、3日間にわたってフリーディスカッションが行われる。「これからの高齢化社会で人々はどう変わるか」「環境問題はどうなるか」「それに伴ってコンピューターの役割りはどう変わり、IBMはそれらにどう対処するか」等が討論内容。最終日に会長がそれをまとめて方向付けを行ない、それから具体的な実行予算が作られる。戦略会議に始めから目標数値などは出てこないという。

 世界で最も自由な国アメリカ。ゆえに世界で最も競争の激しいアメリカ。アメリカはバブルの崩壊以後日本より一足先に立ち直った。その陰にはこのような必死の努力がなされている。復活の鍵は、(1)綿密な調査に基づく戦略、(2)過去に囚われない発想と必要な人材の配置、(3)優秀な個人への十分なチャンスと報酬 などであろうか。

 もって他山の石とすべし。"
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[36] ゼミ研修生を迎えて  2011/03/22 15:11:06
掲載日:09/09/1997  E-Mail  Home
 北海道大学S助教授の依頼でゼミ生の研修旅行をアレンジする事になった。先生の依頼は、勉強と共に広くアメリカそのものを見せてやって欲しいとのこと。各社の全面的な協力を得て、コンピュータ及び自動車業界の6社を訪問、ホームレスの人達が集まっている所から高級住宅街、グローサリー・ストアからウエハウス・セールまで多様な店を見せた。

 研修が終わった打上げ夕食会で、美しい絵葉書に思い思いの感謝を込めた全員からの礼状をもらった。その礼状の一部を紹介したい。

 「私たちのような学生のために、このような素晴らしいチャンスを与えて下さったすべての方々に感謝いたします。こちらに着いたばかりの頃は、ただただ目に映る外国の風景に感動するばかりでしたが、企業訪問が始まってからは、仕事の場としてのアメリカの風景に感心し、いろいろと考えさせられました。何もかもゼミだけでは決して学べなかった事ばかりです。この研修がなければ日本だけしか知らずに狭い視野で物事を捉えて行くところでした。自分がどれほどちっぽけであるかも、世界には本当にいろいろな人がいることも、つくづくと実感しました。それでも今回私が触れたことさえ、世の中のほんの一部にすぎないのだと思うとまだまだ知るべきことだらけです。」「アメリカで生き生きと活躍なさっている企業人の方達から生の声を聞くことも出来ましたし、様々な場所を訪れる過程であらゆる分野のお話を聞くことも出来ました。今はまだ、ひたすら沢山のことをインプットした状態ですが日本に帰ってからきちんと整理してこれからに活かしてゆきたいと思います。」「今回の研修で、僕は様々なことを『見て』『聞く』ことが出来ました。そして、これからその事を『考え』『行動に移す』ことが出来ればどんなに素晴らしいでしょう。こんどロスに来る時は立派な大人になっていたいと思います。」

 最近の若者は、自主性がない、目的を持たない、流行ばかり追いかけていると言われているが、彼らは明るく爽やかで真摯だった。研修旅行では企業訪問で多くの方々のご協力をいただいた。友人の一人は2週間にわたり自分の仕事を投げ出して運転手役を務めてくれた。

 この方々に「研修は有意義でした。若者達は本当に沢山のことを皆様方から学びました。彼等が日本に帰り、自分の体験を周囲に伝えてゆけば、やがて素晴らしい日本が蘇るでしょう。」と報告したい。
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[35] サン・アントニオ  2011/03/22 15:10:26
掲載日:08/19/1997  E-Mail  Home
 ロスアンゼルスからフェニックスを経由して3時間半、空港の建物から外へ出るとムッとした熱気に包まれた。ここは、アラモの砦で有名なテキサス共和国独立の発祥地、サン・アントニオの町である。

 宿はダウンタウンの中心、リバーサイド・サンターの横のマリオット・ホテル、一歩外に出るとすぐ遊覧船の乗り場があり、カラフルな夏のバケーション客でいっぱいだ。30人程乗れる遊覧船が行き交う川に沿って両側に遊歩道が続き、大きな木々の枝が遊歩道を歩く人々に木陰を差し伸べる。川岸の足元には緑や赤の葉脈を走らせた、里芋に似た植物が茂り、大きな木々の間に赤社のサルスベリの可憐な花が人々の目を楽しませる。スパニッシュのパセオ・デ・リオ(川の散歩道)という名前もしゃれている。

 遊覧船の行き交う川岸にはレストランや生演奏の入ったパブが立ち並び、散歩の途中で食事や「ちょっと一杯」が楽しめる。一角に川を挟んで観客席とステージが作られているところがある。星空の下、スポットライトを浴びてスパニッシュギターに色鮮やかな衣装のメキシコの民族舞踊が繰り広げられる。

 しかし、見所はなんといっても「アラモの砦」だ。当時はテキサス、カリフォルニアなどはメキシコの領地だった。1821年メキシコが本国のスペインから独立した頃から、テキサスにはアメリカ人の入植者が増え、自治権を求めてメキシコへの反発が強まっていた。

 1836年、メキシコの独裁者、サンタ・アナに率いられた2400人のメキシコ軍は、アラモの砦にたてこもったドラビス大佐以下188人のテキサス群を包囲・攻撃。12日間に渡る砲撃戦の末、3月6日運命の13日目、圧倒的に数で優るメキシコ軍の総攻撃にアラモのテキサス群は勇戦むなしく一人残らず玉砕する。アラモ砦陥落の46日後、サム・ヒューストン率いる800人の義勇軍は「アラモを忘れるな」を合い言葉に1500人余りのメキシコ軍に激しい攻撃を加え、これを破滅した。

 このような歴史に基づくからだろうか、今でもテキサス人は独立心が強い。サン・アントニオの町も至る所に一つ星のテキサス共和国の旗が掲げられている。10年にわたる独立戦争の後、テキサスをはじめメキシコ領土の半分近くはアメリカに併合されたが、アラモの砦はテキサスのみならずアメリカ史の大きな1ページとなって人々の胸に残っている。
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[34] 朝の散歩に  2011/03/22 15:08:58
掲載日:07/29/1997  E-Mail  Home
 早朝、波打ち際を散歩する。いつものビーチへの降り口から波打ち際までは白くて柔らかい砂が続き、一足毎に踏みしめないと歩きづらい。波打ち際に達すると、右に行くか左に行くか、その日の気分によって変わる。波打ち際にはジョギング姿が行き交う。波に打たれて砂が固まっているので走り易いのだ。胸毛を汗に光らせ上半身裸の男、格好よく陽に焼けた女、歩くのとあまりスピードの変わらないお年寄り、すれ違うたびに「ハーイ」と声を掛け合う。

 砂浜の所々に20〜30羽のカモメの群れ、波の砕けるあたりには、サンドパイパーが寄せては返す波に合わせて行きつ戻りつ、長いくちばしを砂に突き立て餌を漁っている。左手は、崖が突き出し急角度で海に落ちるあたりで砂浜が途切れ、ごろごろ石に変って岩礁地帯へと続く。右手は、遥かレドンドビーチのピアまで白い砂浜、砂浜に沿って一条のサイクリング道路が走っている。ピアの近くには見慣れたエジソン火力発電所の煙突、遥か彼方はサンタモニカのビーチ、その向こうに山に迫ったマリブの海岸が連なっている。

 散歩の途中で決まって2〜3人の釣り人に出会う。「何か釣れたかい?」とバケツを覗くのが癖になった。この砂浜で釣れるのはコビナと呼ばれる白身の魚、体長が50〜60センチ、鯉のような形をしているが口の周りが淡いピンクで鱗が細かく銀色に光っている美しい魚だ。波間にはいつもサーファーが見られるのだが、学校が休みになって一段と数が増した。

 散歩の途中、自分もたまに思い出したように走ってみる。5分もすると足がだるくなり息が切れてくる。「無理をするまい。徐々に慣らせばいいのだから。」「若い頃は長距離は得意だった。こんなはずはない。」こんな思いが交互に胸をよぎる。

 「最近毎朝散歩を始めたらすごく調子がいいんだよ」と言われて始めた早朝の散歩だがこんなに気持ちの良いものだとは知らなかった。別の友達が「治安が悪いとか、スモッグだとか言われるけれど、このロスアンゼルスの気候には換えられない。海岸を走っているとその幸せをつくづくと感じる。」と言っていたが誠に納得出来る。

 問題は三日坊主の自分の癖、果たしてどこまで続くやら、「夜遅くまで仕事をした。」「今朝は人と会う約束がある。」と言い訳をつけてもう3日もサボっている。この自然の恵みを受けない手はないとは思うのだが。
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[33] 子供たちにもっと遊びを  2011/03/22 15:07:39
掲載日:07/08/1997  E-Mail  Home
 日本を恐怖のどん底に陥れた神戸の土師淳君殺害事件は、容疑者が顔見知りの中学生だったとわかって更に人々にショックを与えた。知人宅では、中学生の容疑者が淳君の頭部をのこぎりで切り離した後、風呂で洗ったというニュースを聞いて、子供が「お母さん、僕もう日本へは行きたくない。」と涙を流したそうだ。これが正常な感覚で、容疑者の感覚は狂っているとしかいいようがない。

 日曜の夜。テレビ番組「ひとつ屋根の下」の最終回、不治の病に冒された小雪が、骨髄移植を前にして兄弟一人一人に逢う場面があった。最後の別れを覚悟した小雪だが、一人一人に話し掛けるのは相手への思いやりばかり。小さい頃から人一倍辛い目に遭って来た。いつもひとりで悲しい思いに耐えて来た。だから彼女には人の痛みが、人の悲しみがよく見えるのに違いない。死を覚悟してなお人を励ましつづける彼女の姿に多くの人が感動したことだろう。

 今の子供達は友達と遊ぶ機会が極端に少ない。学校から帰ると塾があり、その他にピアノを習ったり、そろばんを習ったり。親の競争心に駆り立てられ、ひたすら走る競走馬のようだ。

 子供たちには遊びの時間が必要だ。子供は遊びを通じて様々なことを感じ学ぶ。喧嘩して殴り合うことで他人の痛さがわかり、悲しみを経験することで他人の悲しみがわかる。苦しみに出会うことで他人の苦しみを推し測ることが出来る。人は、自分の体験したことや自分の見聞きしたことを尺度として物事を判断するからだ。

 受験戦争、塾通い、遊びはテレビゲームにインターネット。人に接することが少なく、内なる世界に住む者は想像によってどんどん心の中に自分の世界を広げて行く。やがて現実と想像は区別がつかなくなり、異常な行動となって現れる。異常と受け止めるのは周りであって、本人にとっては当たり前のことなのだ。想像力豊かに生まれついた者ほどその傾向がある。普通は、現実の世界に触れ、様々な人と出会うことにより自分の考えを正したり、新しい見方を身につけたりする。

 核家族化で、ただでさえ世代を超えた家族親族との触れ合いが希薄になっている中で、コンピューターゲーム、マルチメディア社会の到来で皆と遊ぶこともなく、ますます孤独な時間を過ごすことが多くなった子供たち。今回の事件はこのような社会への警鐘ではないだろうか。
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[32] 祖国へ、熱き心を  2011/03/22 15:07:03
掲載日:06/17/1997  E-Mail  Home
 日本では、今国会に在外投票制度のための公職選挙法の改正案が与野党から提出された。両党案の大きな違いは、与党案が在外選挙の対象を当分の間比例代表に限るのに対し、野党案は小選挙区も認めることにある。しかし、残念なことに与野党案ともに投票登録者を帰国の意思を有する者に限っている。

 憲法ではすべての国民は法の下に平等と規定している。折角公職選挙法の違憲状態を解消すべく改正案が提出されたのに、投票者登録に差別を設けるのでは新たな違憲状態を作ることになる。どうして在外投票に帰国の意思を有する者との条件をつけなくてはいけないのだろうか。

 改正案では何も触れていないので単なる推測でしかないが、日本国内から見ると帰国の意思を有せず永住する者は日本国民ではなく、永住、すなわち国を棄てた者が国政に参加するなどおこがましいということらしい。

 日系引退者ホームの生みの親、和田勇さんを描いた本に「祖国へ熱き心を」という本がある。戦後初めて全米水泳選手権大会にやって来た古橋、橋爪選手達の日本選手団は、和田一家の献身的な世話により、試合には絶好のコンディションで臨み、次々と驚異的な世界記録を達成する。敗戦で打ちひしがれていた日本国民はこの朗報に狂喜し、精神的に立ち直るきっかけとなった。和田氏はその後水泳チームだけでなく日本の多くの運動チームの面倒をみ、東京オリンピックでは自費で南米諸国を駆け巡ってオリンピック委員を説得し、東京開催実現に大きな力を発揮した。

 和田氏の行動に一貫しているのは「私は日本が好きで好きでたまりません」という祖国への熱い思いである。文中、古橋、橋爪が勝ち、フジヤマの飛魚と報道されるや強制収容所から戻り、ジャップ、ジャップと馬鹿にされていた日系人が翌朝からジャパニーズと呼ばれるようになったと和田氏は繰り返している。海外に出ればどの民族でも母国の盛衰によって大きな影響を受ける。海外に長く住む人は、決して祖国を棄てたわけではない。たまたま働く場所が海外になり、仕事や生活の都合上永住権を取ったり市民権を取ったりしているだけである。むしろ、このような人達こそ日本を外から客観的に見ることができ、国際社会における日本の本当の姿を本国に伝えることが出来る。在外投票制度の実現が近づいた今、永住者を投票の対象に加える意味を考えたい。
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[31] セーラム訪問  2011/03/22 15:06:29
掲載日:05/27/1997  E-Mail  Home
 赤、白、ピンク、真紅、紫、淡黄色、色とりどりの花が咲き乱れている。庭先にチョコンとうづくまったものから、大人の背丈の倍くらいのものまで。見慣れないかなり大振りの花だ。「ああ、あれはシャクナゲですよ」と車を運転しながら案内役の友人は事も無げにいう。シャクナゲといえば日本では高山植物、このように一般家庭の庭先に、あそこにもここにもと咲き乱れているのは珍しい。

 5月中旬のオレゴン、所用で1泊2日の旅に出た。LAからポートランドの空港へ2時間余り、空から見たポートランドは森と川と湖、港近くには近代的なビルも立ち並び、落ち着いた静かな町だ。

 空港を出て車で出迎えの友人と一時間余りで州都セーラムに着く。ポートランドの人口150万人に比べて州都セーラムは11万人、これでもオレゴン州で3番目の街なのだそうである。

 気候は雨や曇りの日が多く、統計によると晴天の日は年76日しかない。冬はほとんどが雨か曇りの日、緯度が高いので夕方3時頃から暗くなり、朝も出勤時刻は暗いという。

 セールスタックスがなく、物価や土地、家が安いのでオレゴンはリタイアした人達が大勢他州から移り住むことで知られている。ところがこの気候のため、老人の自殺率が非常に高いのだそうだ。暗鬱な気候、特に冬をどう過ごすかがキーらしい。その代わり、夏は花々が咲き乱れ、木々の緑は心を吸い取られそうに深く快適だ。

 アメリカでは州都は小さな都市に置いている州が多い。カリフォルニアも州都はサクラメントでロスアンゼルスやサンフランシスコに比べると小さい。駐在事務所をサクラメントやサンフランシスコに置いている県もあるが、日本の常識では情報収集は州都に限ると考えたのだろう。

 アメリカでは企業も本社を小都市に置く会社が少なくない。日本のように規制が各業種に及んでないので官庁に近くなくても営業に差し支えがないことが理由らしい。小さな町だと公害も少なく、従業員も質がよくて定着率のよい人達を比較的安く雇える。企業は当然コミュニティとの絆が強くなり、企業とコミュニティの間に一体感ができる。

 日本でも首都移転の論議が始まっているが、規制緩和と共に何時かそのような日が来るのだろうか。このようなことを考えながら、木々の緑と目に鮮やかなシャクナゲを後に帰途についた。
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[30] 在外投票の意義  2011/03/22 15:05:59
掲載日:05/06/1997  E-Mail  Home
 日本の国土はアメリカに比べると二十五分の一、その内八十%が山、天然資源はほとんど無く輸入に頼っています。一方、人口はアメリカの半分で、あるのは教育レベルの高い人的資源だけだから日本は貿易なしには成り立ちません。

 貿易も冷戦構造が崩壊した現在では、国と国との利害により品質の良いものを安く作れば売れるという時代は終わりました。一頃、日本の首相はトランジスターラジオのセールスマンなどというニックネームがつけられましたが、今ではアメリカもイギリスもフランスも自国の製品の売り込みに大統領や首相が躍起になっています。

 政治と経済が切り離せなくなった現在の国際政治は、適切な情報と共に優れた国際感覚が必要とされます。そして、この国際感覚は単に政治家のみならず国民全体に求められるものです。国民主義の社会では国民の総意による政治が行われるので、どのような政策を取るにしても国民の理解が必要だからです。

 この度、海外在住の日本人も国政に参加して投票ができるようにと、野党から公職選挙法の改正案が国会に提出されました。これに対抗して与党三党は政府案を提出することで合意してと報道されています。

 気になるのは、小選挙区と永住者を投票制度の対象から外そうという動きがあることです。憲法では国民の最も基本的な人権として、国民が国政に参加する唯一の手段である選挙権が満二十歳以上のすべての国民に保障されています。又、憲法では海外移住の自由まで保障しているのですから永住者を外すことは違憲状態の解消になりません。

 海外に住むと日本の動きに日々の生活やビジネスが直接影響を受けるので、日本の動きに無関心ではいられません。だから在留法人は、母国の動きに一喜一憂しながら日本を見守っています。むしろ、外国をよく知り、日本を外から客観的に見ることのできる永住者こそこれからの日本の国際化にとって大切なものと思います。

 今国会で成立が予想される公職選挙法が、憲法に保障されたようにすべての日本国籍を持つ日本人が等しく国政に参加出来るようになることを願っています。今国会で成立が予想される公職選挙法が、憲法に保障されたようにすべての日本国籍を持つ日本人が等しく国政に参加出来るようになることを願っています。
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[29] 相馬雪香さん  2011/03/22 15:05:30
掲載日:04/15/1997  E-Mail  Home
 顔を伏せ気味にじっとみんなの話を聞いている、今にも消え入りそうな小柄な体。「つい一昨日まで体調を崩して休んでいました。」という相馬雪香さん。その相馬さんが話し始めると、途端にシャンとして体が大きく見えてくるから不思議だ。相馬さんは“憲政の神様”・尾崎行雄の愛娘。尾崎記念財団の副会長である。

 3月の終わり、日本を訪ねた折り、元ロスアンゼルス在住の友人達に声をかけ、20名余りで懇親会を開いた。その席上にゲストとして相馬さんをお招きした。相馬さんは、1912年生まれ、女子学習院普通科を卒業、旧相馬藩主の長男・相馬恵胤氏と結婚、1939年よりMRA(道徳再武装運動)に携わる。1977年、日韓女性親善協会を旗揚げし日本側の会長に就任、85才の今も国際NGO(難民を助ける会)の日本の会長を務め、世界を駆け巡っている。

 「日本は今大変危険な時期に差し掛かっています。昭和6年から7年、私はカーネギー平和財団の講演依頼を受けた父についてアメリカへ行きましたが、その間に満州事変が起き、5.15事件が起きました。今はその当時の日本にそっくりの状況になりつつあります。」「戦後50年、日本は内外の情況に恵まれ経済復興しましたが、最近、日本人が傲慢になって来ているような気がします。相手を見下すような態度からは決して尊敬も友情も得られません。」「どうか日本を世界の孤児にしないでください。」「民主主義は一人一人が自分自身の考えと価値判断を持つことが前提です。」「皆さんのように海外経験のある方達の良識で今の世の中の流れを変えて下さい。」

 相馬さんの切々たる訴えに私たちは心を打たれた。「久し振りに背筋がシャンと伸びた気がした。」とは友人の言である。

 相馬さんの「難民を助ける会」では最近「地雷の代わりに花を下さい」という絵本を出版した。世界には1億個を超える対人地雷が埋められ、毎日約70人が犠牲になって手足や命を失っているそうだ。この本の収益はすべて地雷除去のために使われるという。「世界中で自由に出来るのは自分だけ、自分が動けば周りに動くものがある。」と信念を持って行動する相馬さんに私たちは応えたい。近々この本を100冊ばかり取り寄せて、ロスアンゼルスで仲間に買ってもらおうと計画中である。
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[28] 武士の娘  2011/03/22 15:04:51
掲載日:03/25/1997  E-Mail  Home
 海外へ出ると国内にいる時よりも日本や日本人について考えさせられることが多い。それは外国の様々なものを見て比較するからであり、外国人に聞かれるからであり、自分自身が自分のアイデンティティーを求めるからである。

 筑摩叢書から刊行された「武士の娘」という本がある。著者は杉本鉞子(えつこ)で、明治六年長岡藩の家老、稲垣家に生まれた。明治維新の嵐の中、武士の伝統の色濃い家庭で厳しい教育を施された著者は、やがて兄の親友でアメリカ東部で貿易商を営む杉本氏の嫁ぎ、単身アメリカへ渡る。

 行く先々で初めて見聞する異国の風物、習慣、投げかけられる様々な日本への質問は、深く日本を見つめ直すきっかけとなる。六歳の頃より四書(大学、中庸、論語、孟子)を学び、祖母や乳母、召し使いから様々な物語を聞かされて育った著者は、そのたび毎に日本を振り返り、アメリカと比較し、納得行くまで日本を考える。そして見つけたものは、古い封建制度の中で様々な旧弊、悪習もありながら、全体的には人々が各々の立場と身分で身を律し、義務と責任を果たしてゆく中で、身分の上下を超えた心の通い合い、思いやりのある世界だった。

 周りはすべてアメリカ人という環境で、この日本への鋭い洞察と愛着と誇りを持つが故に、周囲の人々に真率に対応し、アメリカという偉大な国にへつらうことなく、控え目ながらも日本の良いところは良いところとして主張する。その率直さのため、多くの人々に受け入れられ、愛されてゆく過程をみるとまさに国際化とは外国に迎合するのではなく、他を尊重しながら自分を主張するかと思い知らされる。

 そのしみじみとした語り口の中に、我々は科学が進歩し、経済が発展する中で、多くの日本の良きものを失ってきたのではないだろうかという思いがよぎる。

 戦後五十年、日本が新しい曲がり角に立ち、政治も経済も方向性を失って混沌とする中、明治維新の動乱期にアメリカに渡り自分を見失わず生き抜いた一人の女性の生き様は、私達の指針ともなるのではないだろうか。

 ちなみにこの本は英語で書かれてドイツ、フランス、デンマーク、スエーデンなど9ヶ国語に翻訳されたという。
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[27] 内部牽制システム  2011/03/22 15:04:01
掲載日:03/05/1997  E-Mail  Home
 最近、新聞紙上で金銭に絡んだ不正事件が多い。明治大学ラグビー部の寺西監督は、コーチ時代に一部の部員の親から多額の金品を受け取ったと解任された。官僚では厚生省の岡光次官のスキャンダル、政界では山口議員、オレンジ共済の友部議員など数え上げればきりがない。他にも農協の女子職員の多額使い込み、某商社社員の銅取引による多額損失や某銀行のニューヨーク支店の多額損失事件など、表面に現れたものだけでも相当な数に上る。少額の被害は極秘裏に内部で処理されるから実態はもっと多くなる。

 先日、ある公認会計士に「日系企業における社内不正事件の傾向と対策」というタイトルでセミナーをしてもらった。セミナーは「そんな手口が会ったのか」「言われてみればうちも危ない」とか実に様々な実例が紹介された。

 これらの不正事件に共通なのは、社内で相互牽制システムが働いていないということである。ある会社では女性社員が使い込みをしたのでクビにした。被害金額取り戻しの訴訟の準備をしていたところ、当人が夫と共に会社に現われた。「妻は会社にはめられた。わざと内部牽制を緩くしておいて出来心を起こさせた。これから会社の社長を訴える」といわれた会社側ではびっくりして提訴を取りやめた。

 不正の初めは一寸した出来心、「ちょっと借りておこう。後ですぐ返せばいい」「自分はこんなに働いているのだからこのくらいはいいだろう」これがだんだん感覚が麻痺して大きくなり、やがて自分でもどうしようもなくなる。

 アメリカは多民族国家、民族が違うことは価値基準・判断基準も違うということだ。だから不正が行われるのを前提に不正防止の業務システムが組まれる。例えば売掛金の回収だ。アメリカでは営業と売掛金の回収係を別にするのは常識だが、日本では「自分の売ったものは自分で責任を持って取ってこい」とばかりに営業が回収する。そこには内部牽制の働く余地はない。うちの社員に限ってという信頼があるだけである。

 不正を防止するためのシステムを作り、これを実行するのはトップの責任である。社員の不祥事で辞任するトップに同情論もあるが、普段から内部牽制のシステムをチェックするのが重要な仕事の一つだとすれば辞任は当たり前になる。願わくばその教訓を活かした不正防止のシステム改善案を残してもらいたい。
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[26] 日本を変えた聖徳太子  2011/03/22 15:02:21
掲載日:02/11/1997  E-Mail  Home
 日本人はどうも宗教について一般的にあまり厳格ではないようだ。神棚に御神酒を供え、榊と注連縄を飾り、柏手を打って拝むかと思えば、お盆や命日には仏壇に灯明を灯しお線香を上げて仏様を拝む。クリスマスにはツリーを飾りケーキを買って一家で楽しみ結婚式は教会で行う。外国人から見ると一体どの宗教を信じているのかさっぱりわからない。評論家、堺屋太一はその著書「日本人を創った十二人」の中で、この日本人の国民性を創ったのは聖徳太子であると説く。

 聖徳太子は熱心な仏教信者であった。当時、異なった宗教が入ってくるということは、単なる宗教の概念のみならず、それに付随する様々な技術や知識(絵画、彫刻、建築、器物、それらを作るための道具、人を動かす組織など)が共に入ってくることを意味した。今の世の中で外国の文物が入ってくるインパクトとは比べようもなく、これらの珍しい文物はすべてが斬新で目くるめくような光彩に包まれていたことだろう。新しい宗教やそれに伴う文物が入ってくると従来の秩序によって勢力を保持していたグループと新興勢力のグループの間に争いが起きる。

 聖徳太子はこの激動の時代を仏教信者として過ごしながら政治的には非常にうまく立ち回った。社会が神権政治からこうした新しい知識や技術を受け入れて財物を量産する時代へ変わろうとする時代的背景もあったに違いない。万世一系の天皇制は、振動神話に基づいている。天皇が仏教を信じ仏を信じることは、自ら天皇制を否定することになってしまう。

 神と仏の間に立って悩んだ太子は「神・仏・儒の習合思想」という奇抜な方法を考え出した。仏教を信じてもなにも神を捨てることはない、日本の神様も従来同様大いに崇めるべしとして「敬神の詔」を出したのである。聖徳太子の習合思想は宗教面から見ればとんでもない墜落である。

 ところがこの結果、異教を受け入れ、それに付随する知識や文物を取り入れても、自分達の神や仏を捨てなくてもよいのであるから堺屋太一のいう「ええとこどり」が出来るようになった。外国の技術や知識、文物の都合の良いところだけを良心の呵責なしに取り入れ、自分流に変えてしまうノウハウを身につけてしまったのだ。日本の現在の発展も案外ここに起因するかもしれない。
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[25] 職人国家日本  2011/03/22 15:01:33
掲載日:01/21/1997  E-Mail  Home
 最近日本へ行った時のこと、短い滞在の中で気になったことがあった。街でみかける中年の人達が疲れた顔をしているか、険しい顔をしていたのである。

 戦後五十年、日本は諸々の幸運に恵まれて、世界でも奇跡と言われる経済復興を遂げて来た。戦後の経済復興と共に育った私達にとっては、一年一年がまさに目を見張る経済成長であったし、やがてオリンピックや音楽などの世界でも日本人の活躍が目立つようになった。

 人々が「昨日よりは今日、今日よりは明日。真面目に一生懸命働きさえすれば確実に生活は良くなる」と明日を信じて生きていけた輝かしい時代であった。日本式経営が注目され、国力がピークを迎えた1980年代、日本の貿易黒字は留まるところを知らず、円は独歩高を続け、金余り現象で「消費は美徳」と海外旅行や海外投資ラッシュが相次いだ。

 1980年代の終わり、そんな日本をバブル崩壊という津波が襲った。膨れ上がった株価は暴落し、高価で買い漁った不動産物件は半値以下で処分されている。日本的経営の終身雇用、年功序列はリストラ、リエンジニアリングの掛け声のもとに崩れつつあり、人々は明日の我が職場喪失に脅えている。

 一体あの華やかな日本はどこへ行ったのだろう。本当に日本は駄目になってしまったのか。
 しかし考えてみよう。確かに日本人の外交は下手だし、国際社会でお金の使い方もスマートではない。日本はどうも国際政治の中で権謀術策を弄しながら各国と競って行くには不向きな国のようだ。

 しかし、日本人はこつこつと努力し、全体の目的のためには身を挺して働く人が多い。このような協調性、組織に対する献身があるが故に、これほどの産業国家を作り得たのだ。そうであるなら職人国家としてその特性を生かして世界に貢献してはどうだろう。

 日本人はその協調性ゆえに自分の意見を主張するよりも世論に流されるきらいがある。だから日本が強大な軍事力を持って独自に動き出せばいつ暴走するか分からないという危惧を持っている国も多い。国際政治の場で無理にリーダー・シップを取ろうと気張らず肩の力を抜いて、職人国家としての役割を果たしてゆくのが良いではないかと考えるこの頃である。
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[24] 32年前の卒業論文  2011/03/22 15:01:05
掲載日:12/24/1996  E-Mail  Home
 この秋帰国した時、32年前の卒業論文が届けられた。ゼミナールの担当教授が定年退職されるのを機にお返しいただいたものだ。当時教授は若く、教授というより先生という方がぴったりで、兄貴のような親しみがあった。

 卒論は400字詰め原稿用紙に171枚。先生の肝いりで立派に装丁され、手頃な本のスタイルとなっている。手に持つとずっしりと重く、青春の思い出そのものだ。書き始めた時は経営学界に新風を送る意気込みが、最後は締め切りに追われ3日間ぶっ通しで書いた。パラパラとめくってみるとせっぱ詰まって姉や妹を動員した痕跡が残っている。

 先生が若く、情熱に燃えていたから授業は活発だった。正規には午後二時から始まる80分授業だが、我々の授業は大抵夜の8時くらいまで続いた。一度先生がしゃべりはじめると1時間くらいは終わらないので「先生にしゃべらせるな」が合い言葉で学生同士活発に議論しあった。

 授業が終わると先生はよく我々を引き連れて屋台に連れて行った。といっても先生はまだ講師から助教授になるかならないかの時期で安月給だったに違いない。誰かが「おい、先生のところに米が無くなったらしいぞ」というと、それは一大事とみんななけなしのお金を出し合って米を買って贈った。 

 夏には決まって合宿があった。先生は大学でホッケー部のキャプテンだったから合宿は運動部の合宿の様相を帯びてくる。打ち上げの夜はみんなで酒を飲み、先生自ら先頭に立って町に繰り出す。一同肩を組み、警察署の前で「我々は〜大学の〜ゼミであーる。これから貴警察署にストームをかけーる」と先ず先生が名乗りを上げる。続いて路上でわっしょいわっしょいと気勢を上げ校歌を高らかに歌う。地方の大学だったからだろうが、それにしても先生は学生に全力で臨んでいた。

 卒業の年、奥様がお産で実家へ帰り、先生の自宅は学生の溜まり場となった。いつも4〜5人の学生が集まり「先生、今夜はカレーですよ」などと勝手に飯を炊いている。毎晩12時過ぎまで話に花が咲くのだが、少しでも下品な話をするとこっぴどく怒鳴られたものだ。落してもせいぜい野球の話だったのだから堅物の先生だった。

 今ではこんな先生は居なくなってしまったことだろう。先生、貴重な青春の思い出を本当にありがとうございました。
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[23] 電子式投票制度  2011/03/22 15:00:32
掲載日:12/03/1996  E-Mail  Home
 最近、アメリカ、ブラジル、メキシコの電子投票システムを視察しての帰りだという人達に会って話しを聞く機会を得た。

 アメリカは比較的早くから投票マシーンによる投票が行われていて、大半は機械的な投票マシーンのためそろそろ寿命がつきはじめているのだそうだ。一部には電子的なものに置き換えられているが数はまだ少ない。ところがブラジルやメキシコでは電子式投票が既に全面的に行われているという。

 ブラジルでは十月三日に行われた投票で電子式投票が実施された。国民にはあらかじめIDカードが配られ、これらのカードは各種の社会福祉制度とリンクされて投票しなければ社会福祉の受給に制限があるようである。メキシコでも同じようなIDカードが三千三百八十万人もの有権者に支給され、選挙までには何回も電子式投票のやり方について説明会を実施し、一億ドル以上ものお金をかけたそうだ。両国とも不正投票の防止が最大の狙いだという。今までは開票結果をめぐり常に訴訟や争うが絶えなかったのだから無理もない。白票を使ったり、選挙管理人の目をごまかしたり、いろいろな手口があったと聞いている。今回は電子式投票でこれらの不正手段が封じられ、落選の憂き目を見る候補者も大勢出たそうである。

 ヨーロッパでも多くの国で電子式投票が試みられ、ベルギーなどは成功している例だという。各国の方式はそれぞれ違った工夫を凝らしているが不正の防止、集計の速さ、識字率の低い人達でも容易な投票システム、人手の節約などに効果があるようである。

 日本では在外投票制度をめぐって大方の政治家が賛成の意思表示をしながら官僚サイドの技術論で息詰まっている海外で投票を実施した場合、どうやって候補者の政策や情報を伝えられるか、選挙人の本人の確認は、投票用紙の配布は、公示から選挙まで十二日で間に合うか、在外公館で投票させるか郵便投票を認めるか等々の問題がある。しかし、大半の先進国では在外投票が実施されている。

 コンピューターや通信の発達で情報の伝達は時間や空間を超えて何時でも何処とでも行えるようになった。日本も技術的にはどの国にも劣らないだけの技術やシステムが開発されている。壁は政治家と官僚の利害の絡んだ思惑だけだ。世論が盛り上がりこの壁が崩れた時こそ在外投票が一気に実現する時かもしれない。
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[22] 国民番号制  2011/03/22 15:00:02
掲載日:11/05/1996  E-Mail  Home
 日本の自治省は、いよいよ国民番号制を実施するための住民基本台帳法改正案を来年1月の通常国会に提出することを発表した。このシステムは国民一人一人に10桁のコード番号を設定し、全国どこでも氏名、住所、性別、生年月日の四つの情報を検索して本人確認が出来る。転入・転出手続業務の簡素化の他、選挙や旅券交付、納税者番号制などの活用も見込まれているそうだ。この制度は、以前からプライバシーの侵害で国家統制につながるのではないかと論議を呼んでいたものだ。

 アメリカでは国民一人ひとりにソーシャル・セキュリティ番号があり、既に国民番号制が実施されている。それどころか軍隊では MARC(Multi Automated Reader Card)と呼ばれる IDカードが使用され、個人の全ての情報が一枚のカードに収められているそうだ。しかも、これは近い将来マイクロチップに替わり、体の一部に埋めこまれるようになるという。IDが体に埋め込まれていればなくすこともなく、探知器によって何処に居るかを知ることが出来る。負傷した場合でも捕虜になった場合でも本人の居場所が分かる。

 この週末、ある本の出版記念パーティに出席した。著者は、いま、見えない所で急速にハイテク技術と結びついて世界的な規模で管理社会が出現しようとしていると指摘する。軍事機密のハイテク技術は途方もないくらい進んでいて、探知技術、マインドコントロール、ホログラムなど計り知れない技術が開発されているのだそうだ。

 国民番号を設定すればハイテク技術と共に役所の業務効率は飛躍的に上がるに違いない。しかし、その代償として一元的に管理統制され、将来個人よりも国家の意思によって国民が動かされるとしたら大変なことになる。

 人類は何百年もかかって民主主義という概念とシステムを創り出してきた。もちろん、このシステムも完璧ではなく、近年その限界が議論され始めている。しかし、民主主義にとって替るほどのより良いシステムがない今現在、国民が社会の主となり、一人ひとりの自由意志によって社会を動かすという現行のシステムが変わるためには、まだまだ時間を要するに違いない。国民番号制の導入に際してはもう少し時間をかけた充分な論議が必要であろう。
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[21] 民主主義の危機  2011/03/22 14:59:31
掲載日:10/22/1996  E-Mail  Home
 10月20日、日本では衆議院議員の総選挙が行われた。民主党の伸びが期待されたが結果はそれほどでもなく、自民党は過半数には及ばなかったものの239議席を確保して目標を達成、新進党は前議席を4議席下回って敗北、前政権の一翼を担った社民党とさきがけは激減した。一方、共産党は15議席から26議席へと大幅に伸びた。

 今回の選挙は非常に話題の多い選挙だった。第一に、日本では初の小選挙区制・比例代表制併用で選挙が行われたこと、もう一つは第三の極を目指した民主党の誕生と社民党・さきがけの分裂である。小選挙区制は、各党がより狭い選挙区で一選挙区一人の候補で争うため、金が掛からず政策論争による二大政党制を促進させると期待されて導入された制度である。ある勉強会でクイズが出された。行政改革、消費税などについて各党の見解の一覧表をばらばらにし、どれがどの党の主張かを当てるクイズである。驚いたことに、ほとんど同じような主張で、どれがどの党だか分からない。各党とも当選第一で、国民に耳障りの良い政策ばかりを掲げている。政治家は自分の信念を披露して国民に審判を仰ぎ、当選すればその実現に邁進するのが本来の姿であるべきだ。

 今回の投票率は 59.65% 、低いといわれた前回の投票率をも大きく下回った。「各党とも同じような公約」「どうせ投票しても政治は変わらない」「政治には期待が持てない」といわゆるしらけムードが低投票率の原因だという。4割を超える人の声が反映されない選挙が本当に民意を反映した選挙なのだろうか。

 投票してもしなくても選挙の結果は確実に一人一人に響いてくる。棄権した人は自分の意思表示を放棄したのだから「政治が悪い」「政府が悪い」などという資格はないはずだ。若者達に無党派層が広がり、嫌な社会から目をそむけ、自分の趣味、自分の仲間内に閉じこもる傾向があるという。嵐が吹いても目をつぶってじっとしていれば外の世界は見ないですむ。しかし、外はその間に確実に変わっているのだ。一人一人が自ら考え、自分がよいと思う社会を作るために行動する。自分達の社会は人から与えられるものではなく、自分で作り出すものなのだ。この覚悟があって始めて民が社会の主になれる。民主主義とは国民がそういう意識を持ち行動するものでなければ幾ら制度だけ整えても実態は伴わない。

 次回の選挙には是非多くの人達が投票することを願っている。
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[20] 変わり行く日本  2011/03/22 14:58:56
掲載日:10/08/1996  E-Mail  Home
 日本では9月27日に衆議院が解散され、10月8日公示、20日に衆議院議員の総選挙が行われることになりました。今回の選挙では新党の民主党がどれくらい伸びるかが国民の関心の的となっています。

 選挙で各党が掲げている公約の柱に「行政改革」があります。今まで何度も行政改革が叫ばれてきましたが掛け声倒れに終わりました。このたびは薬害エイズ問題から大和銀行問題、住専問題と官僚制度への国民の不信感が募り、財界も官僚にたいする批判を強め、大蔵省解体論がおおっぴらに論議されるなど、従来とは違った動きが見られます。世界の変化に伴い日本国内も従来のシステムでは対応できなくなりつつある兆しではないでしょうか。

 もし、官僚制度、特に大蔵省の機構にメスが入るとなれば日本が大きく変わる可能性があります。今までは多少不都合があっても省内の者なら省の権威と省益のためには目をつぶってかばってきました。しかし、薬害エイズ事件で元厚生省生物製剤課長が業務上過失致死容疑で逮捕されるなど、その構造が崩れはじめました。民間企業でも日本独特の経営形態ともてはやされた年功序列、終身雇用が崩れようとしています。自分の身が定年まで安泰でないとなったら会社への忠誠心は今までとは違ったものになります。2年前、先陣を切ってリストラで大量解雇を実施した企業はマスコミで報道され叩かれました。いまでは各企業とも当たり前のようにリストラを実施しています。叩かれた企業は尻込みし、リストラが遅れたため不振にあえぎ更に大きなリストラを迫られています。

 今の日本の変化が良い方向へ向かっているのか悪い方向へ向かっているのか分かりません。しかし日本の社会は確実に、しかも急速な勢いで変わりつつあることだけは間違いありません。そして今回の衆議院選挙がそれを加速させることは確実です。

 日本の政治は国民が参加せずに批判だけするようになってきているという声が聞かれますが、今回の民主党誕生の経緯にも見られるように、政治家も国民の声を無視しては動けない状況に追い込まれつつあります。いま日本が大きく変わる時こそチャンスです。一人一人が先ず参加し、関心を持つことから始めれば日本も良い方へ動くのではないでしょうか。
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[19] 奉仕の社会アメリカ  2011/03/22 14:58:18
掲載日:09/24/1996  E-Mail  Home
 ドアをノックされて開けてみると子供が立っている。スポーツのためのドネーションをして欲しいという。オフィスで電話が鳴る。ポリスやファイヤーデパートメントから寄付の要請である。その他、郵送ではチャイルド・ケア、ドラッグ撲滅、チャイルド・アビューズ、難民救済、音楽のサポートなど様々な寄付要請の手紙が届く。

 日系の団体では、この4〜5年ファンドレイジングのゴルフトーナメントが盛んになってきた。今では毎月のようにどこかでファンドレイジングのゴルフトーナメントが行なわれ、案内状が届く。

 アメリカの社会は寄付で成り立ち、公立学校でも寄付なしにはやって行けない。日本から来たばかりの人達は「どうして公立の学校が先頭に立って寄付集めなどやるのだろう」と理解に苦しむ。

 アメリカは50の州が各々独立性を保ちながら連邦政府を作っている。一つの国として成り立つためには連邦政府が必要だが自分たちのコミュニティは自分達の思うように作り上げたい。連邦政府は国レベルのことをし、他は自分達で好みの社会を作る。連邦政府は小さいほど良いと考える人もいる。教育も然り、自分の子供達には自分達の納得のゆく教育を施したいので、ステイトやカウンティが責任を持ち、もっと小さな単位のコミュニティ・レベルで教育委員会を作ってここが責任を持つ。自分達好みのコミュニティを作りたければ当然責任が生じる。コミュニティの一人一人がお金と汗を流さなければならない。寄付とともにボランティアが盛んな由縁である。

 ボランティアは義務感やかっこうよさだけでやるものでもなく、暇がある人だけがやるものでもない。「私は忙しいが、年に4日間、半日ずつ働ける」と多忙の中から時間をひねり出してボランティアをする人もいる。アメリカの社会ではお金だけでなく汗を流すことに社会の評価は高いようだ。

 この人達は「私は好きだからボランティアをしている」「このような場を与えてくれてありがとう」という気持ちが強い。ボランティアは「してあげる」のではなく「させてもらう」の精神だと教えられた。ボランティアを通じて異なる人種、異なる職種の人達と接することが出来る。その結果、人間関係の輪が広がりいろいろな人達の気持ちが理解できる。ボランティアは有益で楽しいものだ。義務感で無理は禁物、マイペースでボランティアを楽しもう。
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[18] ローズマリーの思い出  2011/03/22 14:57:51
掲載日:09/10/1996  E-Mail  Home
 ある日「親愛なる友へーーー」という書き出しで見慣れない手紙が届いた。家内が折り紙を通じて親しくしていたアイリッシュ系のおばあちゃん、ローズマリーの逝去を告げる手紙だった。彼女の願いにより葬儀は身内だけで、その代わりに一日みんなで集まって彼女を偲ぶ会を催すので、ゆかりの写真や思い出話を持ち寄って参加して欲しいという内容である。

 日曜日の午後、指定された家へ出向いた。次々と大勢の人達が訪れ、リビングもダイニングもキッチンもファミリールームも人でいっぱい。数えてみると50人以上の人達が集まっててんでに思い出話を交わしている。

 部屋には3ケ所に大きなボードが取り付けられ、今までの彼女の写真や記事がいっぱい。中には我が家で紙のチューリップを折り上げて私達と一緒に大きな笑顔で写っている写真も一枚混っている。ダイニングには別のボードがあり、参加者が一言ずつ彼女へのメッセージを書いて貼り付けるようになっている。テーブルには手作りのいろいろな食べ物や飲み物が用意され、お年寄りから小さな子供まで実にバラエティに富んでいる。入り口近くには彼女の略歴を印刷したものがバスケットに積まれており、表紙にはあの特徴のあるスマイルを浮かべた写真が貼られていた。

 彼女はとにかく明るい人で愚痴など聞いたことはなかった。昨年10月、出身地の東部へ嫁と孫娘の女三代の旅行をしたのが最後の旅行となったと聞いた。図書館や福祉の学校で働き、リタイア後も時間と体力の許す限りボランティアを続けたローズマリー。地方紙のコラムを受け持ち、旺盛な好奇心と独特のスマイルで常に人々を勇気付けたその人柄に打たれる。

 彼女にもらった月下美人が今年初めて花を付けた。その話をすると「一つの生命が終わって新しい生命が誕生したんだよ。甥のところにももうすぐ子供が生まれるし彼女の生まれ替りだね。」とホステス役の娘は語る。

 体調を崩してからは家族にしか会わず、友人知人にはいつまでも元気なままの自分の思い出を残そうとしたローズマリー。常に前向きに人生を楽しみながら人々を楽しませたローズマリー。私達にアメリカの良き一族の絆を見せてくれたローズマリー。彼女は今もどこかできっと顔いっぱいの笑顔を振りまいているに違いない。
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[17] 熱闘甲子園  2011/03/22 14:57:10
掲載日:08/27/1996  E-Mail  Home
 国中を沸かせたオリンピックも幕を閉じ、日系社会のビッグイベント二世週祭も終わった。日本では夏の風物詩、全国高校野球選手権大会が終わった。結果は大方の予想に反して松山商業が優勝。筆者が松山出身と知っている友人が早速ビデオテープを貸してくれた。

 決勝戦は熊本工業対松山商業。3対2で迎えたクライマックスは9回裏、ツーアウト・ランナーなし。熊本工業最後のバッターは1年生の澤村、内角高めの球を力いっぱい振るとボールは高々と上がり、左翼ラッキーゾーンへ舞い落ちた。狂喜乱舞の熊本工業応援席、目の前の勝利の瞬間が一転して消え去り、茫然自失の松山商業応援席。チアガールは涙が止まらない。試合は延長戦へともつれこんだ。

 10回の裏、熊本工業の攻撃、再び試合は最大の山場を迎える。松山商業2年生ピッチャーの新田は2塁打を打たれ遂に降板、澤田監督の取った策はなんと2者敬遠のフォアボール、ワンアウト・満塁策である。一打出ればサヨナラ負けなので、ワンアウト3塁もワンアウト満塁も変わらない。むしろ満塁にしてあわよくばダブルプレーをという狙いだろう。前進守備の松山商業に対して熊本工業は強攻策、打ったボールは高々と上空に舞い上がり3塁走者はタッチアップ、代わったばかりのライトの返球はダイレクトでキャッチャーへ。滑り込んだ土煙の中で主審の右手が上がりタッチアウトの宣告。結局試合は延長11回、松山商業が疲れの出た園村投手から3点を奪って優勝となったが、正に一進一退、一喜一憂、手に汗を握る好試合だった。

 松山商業にとっては5度目、27年振りの優勝だ。27年前の決勝戦、松山商業と三沢高校の対決も凄い試合だった。試合は大田投手と井上投手の投げ合いで延長18回、再試合。延長戦に入ってからはどちらにも勝たせたい、どちらも負けるなと声援を送った。

 夏の高校野球というとあの時の興奮を思い出す。27年の年月は経っているが、テレビに映る球児達のキラキラ輝く真剣な瞳と応援席の熱狂は変わらない。日に焼けた黒い顔、一点に集中した邪念のない顔。叫び、狂喜、涙した応援席。数々の番組やドラマが時代の移り変わりと共に消えてゆく中で高校野球選手権大会は78回を数える。未だに毎回人々を感動させるのは球児達のひたむきさと共に予期せぬドラマが生まれるからだ。今年もまた球史に名勝負を刻んだ。
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[16] ティファナ誘拐事件  2011/03/22 14:56:34
掲載日:08/13/1996  E-Mail  Home
 朝オフィスにくると緊急ニュースが飛び込んできた。8月10日午後7時頃、メキシコのティファナで三洋電機の米国現地子会社「サンヨー・ビデオ・コンポーネンツ」の金野社長が誘拐されたというのである。ニュースによると金野さんは会社の親睦行事でベースボールに参加し、みんなとバーベキュー・パーティを楽しんだ後に短銃で武装した数人の男達に連れ去られた模様だ。

 1986年11月、フィリピンで三井物産のマニラ支店長若王子さんが帰宅途中に誘拐され、136日後に解放された事件を覚えている人も多いに違いない。あれ以来89年3月ラオスのビエンチャン、90年5月フィリピン、91年8月コロンビア北部、92年1月同じくコロンビア、3月パナマ、94年1月マニラと立て続けに身の代金目的の日本人の誘拐が続いている。

 事件のあった午後7時といえばまだ太陽の照っている時間で人通りも多い。ティファナといえば観光客も多いし日系企業の工場も多い。まさかというところで起きた誘拐事件である。日本大使館からはかねてより「出勤の経路や時間を変えるように」との注意が出されているというが、計画的に狙われればなす術もない。特に安全に気を配ることの少ない日本からくれば自衛は難しい。

 産業革命以来、近代工業は次から次へと人間に便利なものを創り出してきた。しかし、すべての人がこれを享受できる訳ではない。産業が発達すればするほど貧富の差は大きくなる。文明の利器もこれがなかった時代は何とも思わなかったものが、周りの人が持っているのに自分だけが持ってなければ惨めになる。ラジオやテレビでは毎日のようにこれでもかこれでもかと新製品を宣伝する。目の前に人々が考えてもみなかった世界を描き出し、人々の欲望を掻き立てる。一連の誘拐事件はこうした誘惑に負けた人間の欲望の爆発のようにも思える。

 以前は業務上の必要があってよくメキシコを訪れた。自分が出会ったメキシコの人達はみんな人が良くてはにかみ屋だった。大好きなメキシコでこのような事件が起きたのは悲しい。事件が一日も早く解決し、金野さんが無事に戻られるのを心から願わずにはいられない。そして早く大好きなメキシコが安心して訪れることができるようになって欲しいものだ。
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[15] フライング・ウィング訂正  2011/03/22 14:55:57
掲載日:07/30/1996  E-Mail  Home
 7月2日付けの磁針に書いたフライングウィングについて、読者のO氏から詳細な資料とともに内容が事実に反するとのお手紙を頂戴した。巨大な爆撃機ステルスのデモ飛行を目の前にして感動をそのまま表現したのだが、聞き噛りの知識と事実はこのように違うのである。

 第一に、日本語で無尾翼、全翼機などと呼ばれているフライングウィングという形式は以前からあり、これが近代的に完成されたのはドイツのホルテン兄弟、J.ノースロップによるもので、フライングウィングすなわち無尾翼機は他にも沢山あり、これらの総称だということである。ホルテン兄弟の無動力グライダーH-1は、1931年に初飛行に成功し、その動力化されたH-2は1935年に飛んでいるという。

 ノースロップの最初のフライングウィングN-1Mは1940年7月に初飛行、百回以上ものテスト飛行を行い、現在はスミソニアン航空宇宙博物館に展示されているそうだ。ノースロップ氏はこれに自信を得てエンジン8基の巨人爆撃機、B-35を企画、テストのために3分の1の大きさのフライングウィング N-9Mを4機製作、1号機は1942年12月27日に初飛行したが翌年5月に墜落、2号機以降は無事に飛行を重ねて順調にデータを蓄積、ついに巨人機、フライングウィングB-35が完成、1946年6月25日に初飛行に成功したのだそうである。

 従って、第二の相違点は、当日飛行場に展示してあった3分の1サイズのフライングウィングが1946年6月25日に初飛行したと思っていたのだが、実はフルサイズの巨人機、B-35の初飛行だったことになる。
 また、第三の相違点として、ステルスはレーダーに補足されにくい飛行機として知られているが、コラムで「レーダー対策のためすべて曲線に形取られた」との表現は、レーダー波を発射方向に反射させないため、B-1においては曲線を廃し、スパッと切った直線で構成して電波の反射角度を変え、ステルス性を与えるようにデザインされているとのご指摘である。

 言われてみればなるほどとうなずけることばかりで自分の不明を恥じるばかりだが、懇切なお手紙と共に貴重な資料をいただいて大変有り難かった。今後も読者の皆さんの情報提供やご指摘を受けながら磁針の寄稿を続けたいと思う。
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[14] 心友遠方より来る  2011/03/22 14:55:30
掲載日:07/16/1996  E-Mail  Home
 デトロイトから友人がビジネス・トリップを兼ねて訪ねてきた。ロスアンゼルスにいた時に10年ばかり一緒に仕事をした元の同僚である。会社のデトロイト移転に伴って、ほとんどのアメリカ人従業員は辞めてロスアンゼルスに残った。毎年一回、こうした仲間が集まってBBQを催している。今年はこの友人の来訪に合わせて、リ・ユニオンBBQ大会と銘打ってBBQを行なうことにした。

 夏の暑い日差しがようやく西に傾き始めるころ、連絡を受けたメンバーが三々五々、手に手にドリンクやサラダ、ケーキを提げて集まってくる。久し振りに顔を合わせて握手をしたり、ハグをしたり、あちらこちらで会話がはずみ笑い声が弾ける。男も女も、近況を報告しあったり、昔話に花を咲かせたり、お互いに共通の話題があるということはいいことだ。ここには人種の隔たりや上下関係はない。共通の体験とはいっても、すべては過ぎ去った昔の出来事だから現在の利害関係は一切無い。思い出は年月にろ過されて、楽しかった思い出ばかりが蘇ってくる。日暮れとともにビールやワインが更に会話を活気つかせる。大人もひとときは子供に帰ってスイカ割りに興じ、大笑い。実に楽しいひとときとなった。

 翌日は友人の希望でゴルフ。遠慮の無い冗談と駄洒落の応酬にみんなで腹を抱えて笑う。5年の空白はあっという間に溶けてなくなり昔に帰ったようだ。一打毎に一言毎に日頃の疲れが消えてゆくようだ。何の遠慮もなく好き勝手なことが言い合える仲間というのは本当に良いものだ。やんちゃ坊主のような彼の性格は全く昔と変わっていなかった。同伴をお願いしたロスアンゼルスの友人とも、お互いに営業タイプの気質の所為かすぐに10年の知己のように親しみ合い、遠慮のない冗談を言い合う仲となった。側で見ていて「この2人は今後も結構長い付き合いになるな」と感じた。このようして友達の輪が広がってゆくのは嬉しい。久し振りに心の洗濯をした。
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[13] フライング・ウィング  2011/03/22 14:54:58
掲載日:07/02/1996  E-Mail  Home
 6月25日、ホーソン市のエアポートでノースロップ社のフライング・ウィングの50周年記念式典が行われた。フライング・ウィングというのは全く尾翼のない飛行機で、ジャック・ノースロップ氏が考案したユニークな飛行機だ。大きな主翼が両側後方に向かって拡げられ、操縦席は真ん中にぽこっと丸く付いている。形はブーメランにそっくり。2機のエンジンが主翼の後ろ側についていて、それまでの飛行機の常識を破る形をしている。実物を見ても、果たしてこれで本当に飛べるのだろうかと首を傾げたくなる。

 この飛行機がホーソン・エアポートを初めて飛び立ったのが1946年6月25日というから、終戦間も無い昭和21年のことである。フライング・ウィングはその奇妙な姿形から議会では購入をめぐって論議の対象となり、ジャック・ノースロップ氏は何度も公聴会に呼び出されしつっこく質問を浴びせられたという。

 とうとう堪忍袋の緒が切れたノースロップ氏は「これは俺の飛行機だ。俺が自信をもって作った飛行機だ。他人にとやかく言われる筋合いはない。買ってもらわなくて結構。」と大見得を切って契約を破棄してしまった。真偽のほどは確かめていないが、議会の証言でファック・ユーとやったというからよほど頭にきたのだろう。議会も対抗上納入されていた試作機を全て破棄させ、世にもユニークな形をしたフライング・ウィングの現物は地上から消え去ったかに見えた。ところがある日、飛行機のサルベージ・ヤードで沢山のジャンクの中に破壊されたフライング・ウィングが1機混じっているのが発見された。以来、何人もの熱心な飛行機気違いのボランティア達によって部品が集められ修復されてとうとう再び空を飛べるようになったのである。今はチノ市の航空博物館に収まっているが、この記念すべき日にホーソン・エアポートまで飛来し、この日の主役を務めることになった。

 50周年記念式典が続く中、人々が空を見上げて口々に感嘆の声を上げた。この日のメインイベントのデモ飛行を行なう最新鋭爆撃機Bー2ステルスが上空に姿を現したのだ。もう誰もスピーチを聞く者などいない。1度上空を通り過ぎたステルスは大きく左に旋回しながら南の空に姿を消した。数分後、東の空にライトをつけたステルスのエイの姿にそっくりの黒い機体がぽつんと現れたかと思うと見る見るうちに迫ってきた。人々の真上を圧倒的な大きさとレーダーに補足されないために曲線に形取られた優雅な姿を見せながら地上500フィートの高さで滑走路の真上を直進。機は人々に体を揺り動かすエンジンの轟音と身内から沸き上がる感動を残してゆっくりと西の上空へと消え去った。

 このステルスにはフライング・ウィングの基本的な機体設計が受け継がれているという。50年前、議会であざけられた醜いアヒルの子が、白鳥となって人々の前に姿を見せた瞬間であった。
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[12] 県人会ピクニック  2011/03/22 14:54:22
掲載日:06/18/1996  E-Mail  Home
 夏になると新聞紙面には県人会のピクニックの広告が目立つ。今日はそんな県人会のピクニックに参加した。

 会場には県から贈られた紅白の幕が張り巡らされ、幟が立って華やかな雰囲気を盛り上げる。会場目指して三々五々集まってくる人達は「久し振りだねえ」「あんたに逢うのも一年振りだね。元気だった?」「一年に一回みんなの顔が見られるのが楽しみでねえ」等と話している。   

 会場のパークでは早くから来た世話役達が火を起こしBBQの支度。スピーカーからは郷土民謡の音楽が流れ、周りの景色を見ないとアメリカにいるとは思えない。テーブルには丹精込めて作った料理の数々が並べられ、次々に焼きあがったステーキやチキンが運びこまれる。大皿に盛られたマグロの刺し身、大鍋のおでんやソーメンに歓声があがる。余興にカラオケが飛び出す。

 食事の後はお待ちかねのゲームの開始。緑の芝生に赤いラバーコーンを並べて作った会場で幼児用の宝探しから始まり、スプーンレース、デカパン競争、ビーチボールリレーとプログラムは続く。お年寄り向けには魚釣り大会、水風船投げなどが用意され、老いも若きも一緒になって楽しむ。子供達に大人気のスイカ割りがいつもゲームの締めくくりだ。

 やがて広場の歓声が止み、子供達も走り疲れるとみんな揃って記念撮影。参加者一同には数々のお土産が配られ来年の再会を約して帰途につく。後に残って後片付けをするのは幹事の責任。

 そんな中で二人の若いカップルが目をひいた。今年が初めての参加だというのにゲームが終わると持参したホーキと塵取りを取り出し、会場の隅から隅まで掃き清めてくれた。若い人にも日本精神健在なりと嬉しくなった。

 年に一回、同郷の県人が集まって近況を報告しあい一緒に食事する。三世、四世の子供達もこのような催しを通じて日本に触れ、集団での社会性を身に付けてゆくのだろう。彼等は県人会といっても日本といってもピンとこないかも知れない。しかし、このような思い出が大きくなって自分のアイデンティティを確立する時に役立つに違いない。

 どの県人会も最近では若い人達の参加が少ないという。しかし若い人達にも役割を振り、企画に参加してもらえば楽しい行事が沢山出来るはずだ。若い人達の楽しみは若い人でないとわからない。若者もお年寄りも一緒になって楽しむピクニックが今後も続くことを願っている。
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[11] 世界の共通語  2011/03/22 14:52:33
掲載日:06/04/1996  E-Mail  Home
 10年前、「このロスアンゼルスでは何ケ国語が話されていると思う?」と聞かれた。居合わせた人は「8ケ国くらいかな」「いや、15ケ国くらい」「もしかしたら30〜40ケ国」とまちまちだった。それがなんと「98ケ国語も話されている」と聞かされた時には「えーっ!そんなに!」と一斉に驚いたものだ。

 あれから10年、国際都市ロスアンゼルスで今ではいったい何ケ国語が話されているのだろう。

 第二次世界大戦後、「戦争はお互いの無理解から、平和は対話から」と世界の共通語エスペラント語が作られた。しかし、半世紀経った今、エスペラント語は世界の共通語にはならなかった。インターナショナル・ランゲージ(国際語)とはいったい何語だろう。

 世界の共通語である限り、その言葉が多くの人に通じなくてはならない。友人いわく、現実的には第一の要件は英語(米語)、第二の要件は、「流暢でない英語」、この二つの要件が国際語の条件だという。いわれてみればなるほど、流暢な英語はアメリカ国内、限られた人々のもので、世界の各地で話される英語は決して流暢とはいえない英語が主流である。

 以前に日本から来た社長のために、ベネズエラの取引先の社長との会話を通訳させられたことがある。ベネズエラの社長はスペイン語、日本の社長は日本語。そこでスパニッシュを話すウエハウス・マネージャーを仲介に対話が始まった。なにしろ、日本語から英語へ、英語からスペイン語へ、話し終わると今度は逆にスペイン語から英語へ、英語から日本語へと帰ってくるのだから大変だ。最低の意味は伝わっても感情や微妙なニュアンスはとても伝わってこない。とうとう痺れを切らせてベネズエラの社長はつたない英語で話し始めた。ところがお互いに流暢でない英語の方が仲介に米人を置くよりも良く通じるのである。まったく世界の共通語は流暢な英語ではないことを身を持って体験した。

 戦後50年、経済発展はようやくアメリカ・ヨーロッパ中心からアジアへ、南米へと世界中に広がって行こうとしている。そこで話される共通語はけっして流暢な英語ではない。しかし人々はお互いの意思を通じさせ、ビジネスをするのに不自由はしない。


 流暢な英語はアメリカの方言だと思えば気が楽になる。下手な英語でも堂々と胸を張って世界の人達と話そうではないか。
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[10] 母の日に思う  2011/03/22 14:48:03
掲載日:05/21/1996  E-Mail  Home
 アメリカで最も花屋が繁盛するのは母の日だそうだ。先週の日曜日は母の日、今年も沢山の花が世界の各地でお母さん達に届けられたことだろう。

 私の母は亡くなる8年前に癌に罹った。「高齢なので手術をして寿命が伸びる確率と、手術により体力が弱って寿命が縮む確率と半々だ」と医者に言われ、母は半々なら痛い思いをするより薬で養生しようと決意した。

 それからは日本へ帰るたびに出来るだけ時間を作って母の側に居るようにした。一緒に暮らさない私には、側にいても話すことには限りがあり、何を話せば良いかすぐに言葉に詰まってしまう。しかし母にとってはじっと側にいるだけで満足だったらしい。アメリカへ帰る時には必ず玄関の外まで見送って来て手を握り涙声になる。それがやり切れなくてわざと邪険に振る舞ったり、さっと後も振り返らず別れたりした。そんな時も背中には何時までも見送る母の熱い視線を感じていたし、手には皺立った母の手の温もりが何時までも残っていた。

 やがて母は病床に伏すようになり、危篤の知らせに日本へ駆けつけた。その時は一時的に持ち直し、私の希望的な慰め話をよそに死後の始末を細々と話した。むしろ自分のことより私の身を気遣ってばかりいた。話に疲れると横になったままじっと顔だけを見つめていた。

 結局母の死に目には間に合わなかった。弔問客で賑やかな間は気が紛れたが、葬儀場でいよいよ最後の別れという時になって悲しみがどっと溢れた。「こんなことならどうして1週間に1通の手紙くらい送ってやらなかったのだろう」と悔やまれた。

 母の存命中は、何かあるとその度に母のところに一族が集まった。正月には兄弟姉妹が一堂に集まったし、大勢の孫達と共にマイクロバスで民宿に泊まったりもした。母はみんなの顔を見てただ始終にこにこしていた。

 あれから間もなく4年、今でも私たちは人集めが好きだ。「人が大勢寄ると楽しいよ」というのが母からの最大の贈り物だったかも知れない。

 どんな時でも、人知れずいつも子供達の心配をしてくれている母親、病気の時はスープを作り、いつまでも枕許に座り続ける母親、母の日はこの有り難い母に感謝を捧げる日である。
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[9] 日本の新党構想  2011/03/22 14:47:38
掲載日:05/07/1996  E-Mail  Home
 アメリカでは現在、大統領選挙を巡ってし烈な戦いが繰り広げられ、世界の耳目を集めている。ところが先進諸国では、政治への関心が薄らいできているのか、政治家への失望感が募ってきているのか投票率が年々下がってきている。日本も御多分に漏れず投票率は低迷の一途を辿っている。 

 ところが日本では、女性とお年寄りや若者の政治参加が活発化しているのだそうだ。先日、あるホテル行われたパネル・ディスカッションでこのことが報告された。そういえば高投票率を誇った時代は、労働組合や経済界、地方有力者が選挙民を動員していたに過ぎなかったのかも知れない。その意味でこの変化は、ようやく個人個人が自分の意志で政治参加をし始めたともいえる。

 パネラーの一人、前北海道知事の横路孝弘氏は、政治の流れを変えるためには「第三の極」が必要だとして新党結成を提唱している。横路氏によると「一流のはずの官僚や経済が様々な問題を露呈し、日本は改革を迫られている」「お上が第一、民は第2という構図を変えなければならない」「財政は公共事業中心の予算で硬直化している。何事も政府主導の行政からもっと民間企業や地方自治体を活かした方法に変えるべき」という。その変革手段として、女性やお年寄りや若者の参加で活発なローカル・パーティを全国的なネットワークで結んで「提言型の市民運動」を結集し、政党が選択肢を出して選挙でその是非を国民に問う政治に変えて行きたいと主張する。

 これに対してパネラーの岩見隆夫氏は、横路氏達の活動に好意的ながらも「過去に地方から攻め上って政権を取った政党は少ない。政党作りは旗(政策)と顔(党首)が大切だ」とコメントした。

 討論は多岐にわたり活気があった。出席者の反応は「横道さんのような政治家が日本をリードしてくれれば、日本も変わるかもしれない」「しかし、政治という泥沼の中で、果たしてあのような理想的な考えや手法が通るだろうか」「Jネットやナショナル・リーグなどの草の根運動が日本を動かすほどに日本の国民は意識変革ができているだろうか」というのが大方の意見だった。真面目、清潔、爽やか、シャープと好印象を残し、超人的なスケジュールをこなして横路氏は日本へ発った。氏の活躍を期待したい。
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[8] 在外投票制度  2011/03/22 14:47:06
掲載日:04/23/1996  E-Mail  Home
 ほとんどの先進国では、人々は海外に住んでいても投票を通じて母国の国政に参加できる。ところが日本人は海外に住むと日本への選挙ができなくなる。民主主義というのは「全ての国の政策を国民の総意で決めることができる」(主権在民)ことに特徴がある。そして国民の意見は国会へ選挙を通じて自分の選んだ代議士を送ることによって表明される。だからどの国の憲法でも平等な選挙権は最も大切な国民の基本的権利として明記されている。

 では日本の憲法には国民に平等な選挙権は保障されてないのだろうか。憲法第15条では「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」「公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する」とある。また第44条では、議員及びその選挙人の資格は如何なる差別もしてはならないと平等性がうたわれている。更に第22条では居住、移転、職業選択の自由を保障し、外国移住の自由まで明記されている。

 ではどうして日本人は海外に住むと選挙ができないのだろうか。去る5月1日、日本弁護士連合会(日弁連)は、この原因が実際の選挙手続を規定する「公職選挙法」にあるとして、早急に公職選挙法の改正を行なうように要望書を提出した。提出先は衆参両院議長、内閣総理大臣、法務・外務・自治大臣宛である。これは昨年5月、ロスアンゼルスなど海外6ケ国、8ケ所を結ぶ「海外有権者ネットワーク」の人権侵害の申立てを受けて調査・審議した結果で、これが重大な人権侵害にあたると判断した為である。

 日弁連が要望書を出したからといって法的な拘束力があるわけではない。実際には自治省あたりが法案を作るか国会議員の有志が集まって議員立法を目指すかで、なお多くの月日を要することは間違いない。

 これが実現したらどうだろう。意外と選挙をする人は少ないかも知れない。しかし、選挙のたびに海外投票者の動向は注目されるし、そのため国民の海外に向ける関心も高まり日本の国際化に貢献するかもしれない。外国に住むと日本政府の動向が日々のビジネスや生活に影響するから無関心ではいられない。政治が駄目だからといって投票しなければ社会は変わらない。海外でも選挙が出来ることは大きな意義があると思う。
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[7] 海外日系人大会  2011/03/22 14:46:33
掲載日:04/09/1996  E-Mail  Home
 毎年5月に東京で海外日系人大会が開かれている。今年は5月8日から10日までの3日間、主催は(財)海外日系人協会である。この協会は外務省の外郭団体で、海外に住む日本人、日系人の情報を集めサポートするのが目的だ。大会の開かれる5月は新緑の季節で、日本の四季の中でも最も美しい季節である。この気持ちの良い時期に海外にいる同胞を招いて心からもてなしたいというのが協会の願いでもある。 

 第1日目は砂防会館で「海外参加者歓迎パーティ」。2日目はメイン行事「代表者会議」「全体会議」が行われる。代表者会議では、各国、各団体の代表が集まり、夫々のテーマや意見を出し合って海外からの実情報告や要望が提出され討議される。全体会議では、それらの討議結果が大会の決議事項としてまとめられ発表される。大会決議事項は特別に拘束力を持つ訳ではないが、政府内でも正式な海外からの声として尊重される。その意味では、この大会は海外からの声が直接政府に届く数少ない催しとして貴重なものではないだろうか。他に歓迎行事として「総理大臣主催」「衆参両院議長主催」「東京都知事主催」とレセプションが目白押しだ。

 昨年は自分も縁あってこの大会に参加した。全体会議の開会式には常陸宮ご夫妻が列席され、お言葉を賜った。夜は総理大臣官邸で官房長官主催のレセプション。初めて足を踏みいれる首相官邸。華やかなシャンデリアの下で官房長官の歓迎の挨拶があり、数々のご馳走が供された。大会3日目、最終日の夜は椿山荘で東京都知事主催のレセプション。ここではいつも一番豪華なご馳走が出るというのが常連の評判だった。

 ブラジルからは百名もの人達が参加した。フィリピンからも大勢の人達が来ていた。あちこちで各国の人々の賑やかな交歓が行われ、記念写真が撮られる。艶やかな振袖姿のミス東京は人気の的で引っ張りダコだった。宴も終わりに近づくと、お互いに来年の再開を期して別れの言葉が飛び交う。シーユーアゲイン。アディヨース・アミーゴ。再見。またあいましょう、お元気でね。

 他に「皇居参観」「靖国神社参拝」「NHK見学」も含まれ、参加費用は一人8千円。海外に住む日本人、日系人は誰でもが参加できる。参加申込みは4月23日まで、皆さんも参加してみては如何?
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[6] パソコン教室  2011/03/22 14:45:57
掲載日:03/26/1996  E-Mail  Home
 世間では、マルチメディアだインターネットだと騒がしくなってきているが、実際に世の中がフルにコンピューターを使う社会になるのは21世紀に入ってからだと思っていた。しかし、どうも動きはもっと急で、もっと早いらしい。パソコンやインターネットを使おうかどうしようかという時期は過ぎて、仕事をする為には使わざるを得ない。いわばパソコンの使用はノーチョイスの時代が来てしまったようだ。

 こうなると中年も峠を越してしまった人間にとっては辛い。以前、一気にパソコンをいれて社内のコンピュータ化を図った社長がいた。「社内の反応は面白いよ。20才台の者は喜んでやる。30才台は仕事だからやる。40才台は必死でやる者と諦めるものとが半々だな。50才台は初めから諦めている。」

 それから十年、パソコンの世界は機械もソフトも日進月歩、特にウィンドウズ95が発売されてからは格段に使い易いものになった。「コンピューターを使えなければ時代に取り残されそうな気がする。パソコン教室で若者達と一緒に習うのは気が引ける。社内の若い女性に聞くのも都合が悪い。」このような人達のために最近パソコン教室を開いた。その進歩の度合は予想したより遥かに早い。お互いに教え合ったり競い合ったり。今までキーボードに触ったことの無い人までが同年代のクラスメイトと学ぶ気安さからか嬉々として楽しんでいる。授業のシリーズ半ばにして、モデムで手紙をパソコンから直接FAXしたり、経営資料を作ったりする人も出てきた。それだけソフトが使い易くなったのだろう。

 パソコンの面白さを更に掻き立てるものにインターネットがある。ホームページと呼ばれる掲示板があり、自由に新聞を呼んだり買い物をすることができる。映画もテレビも好きな時に好きなものを観れる。ここでは情報はあり余り氾濫する。一度この世界に入ると次から次へと展開される未知の世界に魅せられて、あっという間に時間が経ってしまう。 

 これからはどうやって情報を得るかでなく、あり余る情報の中から如何に自分の必要な情報を抽出し、分析し、使ってゆくかが必要となるだろう。

 21世紀はどうもますます忙しい社会になりそうだ。
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[5] 日本訪問  2011/03/22 14:42:29
掲載日:03/12/1996  E-Mail  Home
 久し振りに日本へ帰り、10人余りのロスアンゼルス在住経験者に集まってもらった。その席上、帰国当時に何が日本とアメリカの相違点であると感じたかを語ってもらった。

 住宅が狭い、物価が高い、政治家が頼りない等の話が続く中で「何もかも序列の世界で息が詰まりそうだ」というところでは皆が一様に肯いた。

 会社はもち論の事、クラブ活動や仲間内の集まり、親戚縁者の集いに至るまでこの序列は附いて廻る。平社員が高級車を乗り回したり、分不相応な服装をすると白い目で見られ、全ての集まりは席順が決まっている。課長にこのお土産なら部長にはもっと高価なものを、結婚祝いや香典は「あの人がこのくらいなら私はこのくらい」と慶弔金の多寡まで序列に合せて考えねばならない。
XX校よりはOO校、 OO校の中でもあの学部よりはこの学部の方が格上などという話は良く聞かれる。「もし役所が日本の全国民に全て序列をつけようと思えば可能かも知れないなあ」という話まで飛び出した。
アメリカ人を100人ばかりの集まりに連れていった友人がいた。会場ではお互いに席を譲り合いながら席順が決まってゆく。初対面の人でも勤め先や地位、年齢、出身校、学部などを聞いて何となく席が決まって行く。このアメリカ人は100人もの人が短時間に見事に序列を作って席に着いたのを見て驚いたという。

 集まった人達は一様にロスアンゼルスの青空と暖かい気候を懐かしがった。しかし、一番懐かしかったのは、思うことが自由に言えて振る舞える自由な空気ではなかっただろうか。

 日本滞在中は、例年になく厳しかった寒さも緩み、あちらこちらで梅が満開だった。湘南の海岸では、海の青と松の緑が真っ白な砂浜に映えて絵のように美しかった。久し振りに会った友達は懐かしく、兄弟縁者は精いっぱいに歓待してくれた。世間は住専だ、HIV訴訟だと騒がしかったが、これは日本が新しい社会秩序への雪解けの過程にあると見做したい。旧体制が批判され、大蔵省解体論まで飛び交う中で日本のシステムが大きく変わろうとしている。人情細やかで、風光明媚なこの美しい日本にやがて新秩序と共に素晴らしい時代が来ることを願いつつ成田を後にした。
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[4] 4人の戦士  2011/03/22 14:41:31
掲載日:02/29/1996  E-Mail  Home
 駐在期間を終え、帰国を目前にしたH氏の送別会に招かれた。八人ほどの極く内輪の送別会だった。彼にはバカを言い合える仲間が三人いる。H氏を含めたこの四人は「戦士の誓い」なるものを立てた。戦士とは戦後の日本の経済発展を支えてきた企業戦士のことである。

 戦後、日本の企業戦士はあらゆるものを犠牲にして、ただひたすら会社の命ずるままに働いてきた。高度成長期が終わった今、暫し戦いの手を休めて静かに周りを見まわす。子供達は巣立とうとし、企業戦士として残された時間は幾ばくもない。

 人生のたそがれの光がほの見えてきた時、彼等四戦士は余生を有意義に楽しむべく「オーロラの誓い」を打ち立てた。
「我々団塊の世代は生まれてこの方、競争の世界に身を置く戦士として日本経済を支えてきたと自負するものです。しかし齢すでに五十歳にならんとし、定年まで余すところ十数年となりました。将来は、米国に住みついてしまいそうな戦士、会社の肩たたきに会いそうな風前の灯戦士、女狂いの重役になりそうな戦士、ゴルフの回数だけはプロゴルファー並みの戦士、聖徳太子の金庫番のような任務につく戦士、と様々ですが、誰もが年を取り定年を迎えることは事実です。我々戦士四名はこれからの残された人生をより有意義に、より楽しくするため、先ず『オーロラの誓い』を立てるものであります」

 オーロラの誓いとは、一人が定年になった時、皆でアメリカ横断ゴルフの旅をする。ワゴン車を交代で運転しながら自炊し、気ままに有名ゴルフ場を巡る。最後には北極に到達し、オーロラを見ながら八十歳を迎えた時の「西日の誓い」を立てるのだそうだ。
 また、「白寿の誓い」として、「最後に人の迷惑を省みず生き残った戦士は、不幸にして惜しまれながら先に天国に往った戦士、または地獄に落ちて往った戦士の墓参りをする」という。

 他人にはたわいのない戯れ事だが当人達は大真面目、送別会の席上を飛び交う遠慮会釈のない悪口とジョーク、そこに彼等の強い心のきずなを見た。いつの日か四人の戦士が肩を寄せ合って、北の空を彩る怪しくも華麗なオーロラの舞いに見とれて立ち尽くす日が来るだろう。
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[3] 文化大革命  2011/03/22 14:40:48
掲載日:02/13/1996  E-Mail  Home
 彼は上海生まれの上海育ち。イギリス人の父は、若い頃に中国に渡った。父親は中国をこよなく愛し、中国人女性と結婚し、やがて中国名を名乗って中国に帰化した。だから彼は中英の混血である。外見は全くの白人で、中国人との混血とは見られない。

 文化大革命当時の彼は大学生、革命の嵐は学園にも吹き荒れた。学生達は毛沢東語録を肌身離さず身に付け、復唱した。当時、毛語録はこの嵐から身を守る唯一のお守りだったのである。

 彼は当然のことながら迫害の対象として目の敵にされた。外見上はまったくの白人で、文化大革命では、偉大な毛沢東主席、偉大な中国、偉大な東洋が叫ばれていたからである。

 ある夜、彼の部屋に10数人が襲来し、灯を消した暗闇で彼をめった打ちにした。これといった理由があったわけではない。彼の外見が気に食わなかっただけである。革命の嵐が吹き止んだとき、当局に「誰がやったんだ、名前を挙げろ」といわれた。彼は「暗闇で見分けがつかなかった」と答えた。見分けがつかなかったのではない。告発する事により、恨みが恨みを呼ぶ事態を避けたかったに過ぎない。彼は言う「一人一人の名前は今でもはっきりと覚えている。許す事は出来る。しかし決して忘れる事はできない」と。

 そのようなどん底で彼を愛し結婚する女性が現れた。子供も出来たが下放政策の下で、家族と離れて遠隔地に追いやられ、農作業に従事した。家族に会えるのは年に一回のみだ。自分の町までには汽車で3〜4日も掛かる。町が近づくのをあと何日、あと何時間と数えながら懐かしい家族への道を辿ったそうだ。それだけに再び家族と別れるときは断腸の思いだったに違いない。

 中世のヨーロッパでもアメリカでも魔女狩りが行われ、多くの罪のない人々が劫火の中に焼き殺された。現在も、アフリカ各地やボスニア・ヘルツェゴビナで同じような事が繰り返されている。

 文化大革命。やはりあれは熱病のようなものだったのだろう。その熱病は中国全土を席捲し、貴重な多くの書物が焼かれ、有能な多くの知識人達がいわれのない迫害を受けた。古いもの、西洋風のものは全てが否定されたのである。この熱病は10年に渡って続き、中国に計り知れないダメージを与えることになった。

 彼はその後も長年、ドアに人の気配がしただけでびくっと身構える癖が抜けきれなかった。肋骨を折られ酷く傷ついた背骨は、心の古傷と共に今でも痛むという。
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[2] 張さん  2011/03/22 14:28:44
掲載日:01/30/1996  E-Mail  Home
 近くのガソリン・スタンドは韓国人、張(仮称)さんが経営する。ある日「フリー・ドライタオルあり」の貼り紙が出された。このスタンドはガソリンを満たすと自動洗車が無料で出来る。洗車を済ませた人はタオルを借りて水気を拭き取れば車はピカピカの洗い立てとなるのだ。

 張さんは実に働き者、見ていると一瞬もじっとしていることがない。このドライタオルのアイディアも彼の発想だという。働くことがいっこうに苦にならないようで、毎朝4時半には起き5時半には教会へ行く。家に帰って朝食を済ませ、7時にはスタンドへ出勤している。「早起きは健康にいいんだよ」と張さんは目を細めて笑う。

 以前花市場の見学に行った時、「最近の若者達はCPAや弁護士になりたがり、3時、4時起きの辛い花屋を希望する者はいなくなってしまった。昔はこの市場も日系人で溢れていたものだ。」と日系人のオーナーが話してくれた。また、あるナイトクラブでは韓国人のホステスが自分は6時には成果市場で働いているという。

 体を動かし額に汗するよりももっと楽に収入を得るのが賢いとされる作今である。アメリカの議会は85%以上が弁護士出身の議員で占められているという。勤勉が徳とされた日本人が次第にライフスタイルを変え、一方に労働に喜びを感じる韓国人がいる。
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[1] フロートの飾り付け  2011/03/22 14:27:19
掲載日:01/22/1996  E-Mail  Home
 今年で107回目を迎えたローズパレード、今回初めてフロートの飾り付けにボランティアで参加してみた。

 会場のテントではドライフラワーの花びらを鋏で切る仕事が割り当てられた。30人余りの人達がてんでにかたまり、鋏を片手に作業に取り掛かる。黄色の花びら係り、紫の花びら係り。黙々と作業に専念する者、手よりも口の方が活躍している者、椅子に腰掛けたりアスファルトに腰を下ろしたり、各人まちまちのスタイルで作業に励む。2時間も働いて成果の花びらを集めてみると切り集めた花びらは片手に乗るくらいしかない。正に気の遠くなるような単調な作業だ。時々係りの人が別の作業を希望する人を募りにくる。この日、コーンの皮を四角に切ったり、ココナツの白い実を貼り付ける作業も体験した。

 フロート作りは8月頃から始まり、完成までに膨大な数のボランティアが働く。 隣に座ったおばあちゃんは遠くカンザスシティからで、もう10年もボランティアを続けているそうだ。テントの中ではどのフロートにも大勢の人達が立ち働いている。中学生、高校生、若者、お年寄り、誰もが真剣だ。今まで何度もパレードでフロートは見ているものの「ああきれいだなあ。良く出来ているなあ」としか思わなかったがその裏にこんなにも大変な作業があったのだ。

 明けて1996年元旦。例年見ているパレードだが今年は一味見方が違う。今まではフロートの豪華さや美しさ、その動きに目を奪われていたが、今はその背後に働いている大勢の人達の姿が見えてくる。「ああ、あの紫の部分は一体どれだけの人達の手で花びらが集められたことだろう」「あの部分はコーンの皮だ」「あそこは蓮の葉を張り合わせてあるに違いない」などと細部に目がいってしまう。

 作業中「このペースでパレードに間に合うのだろうか」と心配した。そのフロートが今堂々と目の前を行進してゆく。多種多様な大勢のボランティア達を、何時の間にか一つに纏めあげ、一大ページェントに仕立てあげるアメリカ、ここにアメリカの力の秘密があるように思える。

 今年も華やかなローズパレードは全世界の人々に新年の夢と希望を届けたに違いない。
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